只見線
|} 只見線(ただみせん)は、福島県会津若松市の会津若松駅から新潟県魚沼市の小出駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)。
目次
概要
豪雪地帯を走る路線で、並行する国道252号が福島・新潟県境の六十里越付近の積雪量が多く、冬季(年により異なるが、11月下旬から翌年5月中旬まで)に通行止めとなるため、その間は福島県只見地区・新潟県魚沼地区間の唯一の交通手段となる。このような特殊事情により、経営に困難のある非常な閑散路線でありながら、国鉄再建法による赤字ローカル線廃止の対象除外となっていた。なお冬季の積雪量によっては只見線も運休することが多い。特に新潟県側は降雪が多く、除雪車がたびたび出動する。また駅によっては、積雪量を示す目盛り入りの3メートル棒が線路わきなどにある。
会津若松から会津坂下までは会津盆地の南方をU字状に大迂回、その先は山間部に入り、屈曲し小ダムの多い只見川沿いの谷間を、上流へと奥深く遡って行く。田子倉湖付近から長大な六十里越トンネルで県境を越え、破間川(あぶるまがわ)沿いに谷を下り、その破間川が魚野川に合流する小出へと至る。沿線の多くは只見川沿いの山村で、会津盆地・新潟県内も含め全線でローカル色の濃い車窓風景が続く。
絶景の秘境路線であり、その風情と車窓から眺める破間川・只見川の渓谷美、それにマッチした新緑や紅葉が美しいことで知られ、行楽シーズンは混雑することもある。2008年10月11日の日本経済新聞によれば、NIKKEI PLUS1 何でもランキング「紅葉の美しい鉄道路線ベストテン」の第1位に選ばれており、過去には、2003年11月29日に「雪景色のきれいなローカル線ベストテン」の第3位に選ばれている。
また、特に中央部は秘境ともいえる地域を縫うように走っており、いくつかの駅は秘境駅と呼ばれる。両端の会津若松駅と小出駅を除き、駅施設にキヨスクなどの売店は無いが、中間駅の会津川口駅構内の「金山町観光情報センター OASIS」では飲食品・土産物類を、只見駅構内の「只見町観光まちづくり協会」では、特産品の土産を中心に扱っており観光情報も提供している。
路線データ
- 管轄(事業種別):東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 区間(営業キロ):会津若松駅 - 小出駅 135.2km(基本計画上は起点と終点が逆転)
- 軌間:1067mm
- 駅数:38駅(起終点駅・臨時駅含む)
- 只見線所属駅に限定した場合、起終点駅(会津若松駅は磐越西線、小出駅は上越線の所属[1])が除外され、36駅となる。
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)
- 保安装置:
- 最高速度:65km/h
- 運転指令所:
小出駅 - 大白川駅間は新潟支社管内、只見駅 - 会津若松駅間は仙台支社管内である。正確には、大白川駅と只見駅間の六十里越トンネル内(会津若松駅起点95.7km地点)に支社境がある。
2007年12月11日小出駅午前7時4分着の列車をもって、大白川駅 - 小出駅間はタブレット閉塞式の使用を終了し、特殊自動閉塞式に移行した(2007年12月4日新潟支社発表)。只見駅 - 大白川駅間は2008年9月26日に、西若松 - 会津坂下駅間は2011年10月7日に特殊自動閉塞式に移行している。JRの旅客線で唯一のタブレット閉塞式区間として残っていた会津坂下駅 - 只見駅間についても、2012年9月23日に会津坂下駅 - 会津川口駅間が特殊自動閉塞式に切り替わり[2](会津川口駅 - 只見駅間は2013年10月現在も不通で、再開の見込みも立っていないため、閉塞という行為自体が行われていない)、これをもって災害等で長期運休中の路線の区間をのぞいてタブレット閉塞方式を行うJR旅客路線は完全消滅した。
運行形態
1972年3月15日から1988年3月12日まで急行「奥只見」が運行されていたが、現在は普通列車のみの運行である。使用されているキハ40形の一部にワンマン運転対応車があるが、これは他からの転属によるものであり、ワンマン運転は行われていない。基本的に全列車線内折り返しで他線との直通はしないが、磐越西線や上越線方面からの臨時列車が年に何本か設定されることがある。なお、会津若松駅から小出駅へ向かう方面が下り列車であり、その逆方面が上り列車である。
2011年7月の新潟・福島豪雨災害で、会津坂下駅 - 小出駅間が不通となり、12月3日までに会津坂下駅 - 会津川口駅間・大白川駅 - 小出駅間が復旧した。その後2012年10月1日に只見駅 - 大白川駅間が復旧したが、会津川口駅 - 只見駅間は2014年4月現在も不通のままであり、復旧のめどが立っておらず、代行バスが運行されている[3]。
1日あたりの列車本数は会津若松駅 - 会津川口駅間が6往復、只見駅 - 小出駅間が3往復となっており、このほかに会津若松駅 - 会津坂下駅間・大白川駅 - 小出駅間の区間列車が1往復ずつ運転されている。
豪雨災害前のダイヤでは、1日あたり会津若松駅 - 会津川口駅間は8 - 9本程度、会津川口駅 - 只見駅(冬季は大白川駅)間は3往復、只見駅(冬季は大白川駅) - 小出駅間は5往復(1往復は大白川駅発着・土曜・休日・休校日は運休)であった。全線通しての運行は5時間程度の所要時間である。
会津若松駅 - 西若松駅間には会津鉄道の列車も乗り入れており、只見線会津川口・小出方面の列車よりも本数は圧倒的に多い。
使用車両
すべて郡山総合車両センター(仙コリ)に所属、同センターの会津若松派出所に常駐する。
- キハ40系(東北地域本社色)
- すべてエンジン未更新車(DMF15HSA形エンジン)で、一部冷房車(キハ40 2085, 2140, 2141)、ロングシート車(2010年現在キハ40 542, 578, 579の3両)もあり、これらは、トイレも完全に撤去されている。また、キハ40 548, 549, 550, 2025は座席が削減された3列クロスシート車である。キハ40 550は汚物処理装置が未取り付けで、只見線のキハ40系では唯一流し管が残存している。
- 特有の設備として、NTTドコモの衛星電話であるワイドスターが装備され、一部列車無線が通じない区間で使用される。
他に臨時列車として、新津運輸区所属のキハ58系や真岡鐵道のC11形蒸気機関車、小牛田運輸区のびゅうコースター風っこ等がシーズン中に入線することがある。
特記事項として、2007年2月10日 - 11日の只見雪祭り号臨時列車に秋田車両センター所属の元よねしろ用キハ58系が2連で入線した。また、2009年と2010年の3月には「ふるさと」を使用した「酒樽列車」が喜多方 - 只見で運転された。2014年6月28日・29日には「POKÉMON with YOU トレイン」用キハ100系を使用した「ポケモン只見線号」が会津若松 - 会津川口で運転された。
なお、会津若松 - 西若松間を走行する会津鉄道からの乗り入れ車両は、「会津鉄道#気動車」を参照のこと。
歴史
若松(会津若松) - 会津柳津間は軽便鉄道法により計画されたもので、会津線の名称で1928年までに開業した。会津柳津 - 小出間は、改正鉄道敷設法別表第29号前段に規定する予定線「福島県柳津ヨリ只見ヲ経テ新潟県小出ニ至ル鉄道」である。会津柳津からは、そのまま会津線の延長として1941年に会津宮下まで、小出からは1942年に大白川までが只見線として開業した。
戦後は、田子倉ダムの建設のため1956年に会津宮下 - 会津川口間が開業。会津川口から只見を経てダム建設現場までは、電源開発株式会社の専用鉄道として敷設され、1957年から1961年までダム建設輸送に使用された。田子倉ダム完成後は、会津川口 - 只見間を国鉄の営業線として使用するための改良が施され、1963年に国鉄線として開業した。また大白川地区では、1942年 - 1968年の間、珪石の採掘事業が行われ、その運搬用としても利用されていた。全通前の昭和30年代後半 - 40年代前半が最も乗降客数・貨物輸送量数が多かったとされる。
1971年、只見 - 大白川間が開業。会津線の会津若松 - 只見間を同線から分離して只見線とし、小出 - 会津若松間の路線として全通した。
会津線(会津若松 - 只見)
- 1926年(大正15年)10月15日 : 会津線 会津若松 - 会津坂下 (21.6km) が開業。西若松・会津本郷・会津高田・新鶴・会津坂下の各駅新設。
- 1928年(昭和3年)11月20日 : 会津坂下 - 会津柳津 (11.7km) を延伸開業。塔寺・会津坂本・会津柳津の各駅新設。
- 1934年(昭和9年)11月1日 : 会津若松-会津柳津間ガソリンカー運転開始[4]。七日町・根岸・若宮の各駅新設。
- 1941年(昭和16年)10月28日 : 会津柳津 - 会津宮下 (12.1km) を延伸開業。郷戸・滝谷・会津檜原(仮停車場)・会津西方・会津宮下の各駅新設。
- 1942年(昭和17年)6月1日 : 会津檜原仮停車場を駅に改める。
- 1956年(昭和31年)9月20日 : 会津宮下 - 会津川口 (15.4km) 延伸開業。早戸・会津水沼・会津中川・会津川口の各駅新設。
- 1957年(昭和32年)12月 - 1961年(昭和36年)12月 : 会津川口 - 只見間 電源開発(株)専用鉄道貨物輸送実施。
- 1963年(昭和38年)8月20日 : 会津川口 - 只見 (27.6km) を延伸開業。会津横田・会津蒲生・只見の各駅新設。
- 1965年(昭和40年)2月1日 : 本名・会津越川・会津大塩・会津塩沢の各駅新設。
只見線(小出 - 大白川)
- 1942年(昭和17年)11月1日 : 只見線として小出 - 大白川 (26.0km) が開業。越後広瀬・越後須原・入広瀬・大白川の各駅新設。 一ツ橋信号場(入広瀬 - 大白川間、専用線発着貨物取り扱い)新設。
- 1951年(昭和26年)
- 1954年(昭和29年)
- 10月1日 : 一ツ橋信号場を廃止。
- 12月10日 : 黒又川仮乗降場(入広瀬 - 柿ノ木(仮)間)を新設。
- 1965年(昭和40年)7月15日? : 黒又川仮乗降場を廃止。
全通以降
- 1971年(昭和46年)8月29日 : 只見 - 大白川 (20.8km) を延伸開業(旅客営業のみ)。田子倉駅を新設。会津若松 - 只見間を会津線から分離して只見線に統合し、只見線を会津若松 - 小出 (135.2km) とする。
- 1972年(昭和47年)10月2日 : 客車普通列車を廃止し、旅客列車をすべて気動車化。
- 1974年(昭和49年)10月31日 : 蒸気機関車が最後の運転。
- 1980年(昭和55年)
- 10月1日 : 大白川 - 小出 (26.0km) の貨物営業を廃止。
- 12月1日 : 会津宮下 - 早戸間で線路に落石があり、上り回送列車が乗り上げ、先頭車が鉄橋脇に転落、2両目が脱線し、運転士が負傷する事故が発生。
- 1982年(昭和57年)8月1日 : 西若松 - 只見 (85.3km) の貨物営業を廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 : 東日本旅客鉄道が承継(第1種・小出 - 会津若松(基本計画では起点・終点が逆転しているためこの順序))。日本貨物鉄道(第2種・西若松 - 会津若松 3.1km)。柿ノ木仮乗降場を駅に改める。
- 1996年(平成8年)4月16日 : 会津水沼 - 会津中川間で脱線事故が発生。
- 1999年(平成11年)4月1日: 日本貨物鉄道が西若松 - 会津若松 (3.1km) の第二種鉄道事業を廃止。
- 2001年(平成13年)
- 10月6日 : 全線開通30周年を記念して「SL&DL会津只見号」を会津若松 - 会津川口・只見間で運転(この年から「SL会津只見号」として毎年運行となる)。
- 12月1日 : 田子倉駅を臨時駅に改める(冬季休業化、時刻表に臨時駅の表示なし)。
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)
- 3月12日 : 早戸 - 会津水沼間の下大牧付近の斜面が雪解けに伴い大規模に崩落し、その土砂に下り列車が乗り上げ先頭車が脱線、運転士が負傷する事故が発生。会津坂下・会津宮下 - 只見間が不通となり、バス代行(同年4月8日運行再開)。
- 6月9日 : 会津中川 - 会津川口間、只見線を跨いで只見川に架かっていた町道の橋梁の撤去作業中に橋げたが一部ずり落ち、下り列車が接触して屋根が大破する事故が発生。負傷者なし。会津宮下 - 只見が不通となり、バス代行(同年7月1日運行再開)。
- 上記事故による只見線用車両4両破損のため、2005年(平成17年)7月 - 2006年(平成18年)3月の間、小牛田(キハ40548)・秋田(キハ48 1507)・八戸(第1次キハ40 558、キハ48 539・第2次キハ40 593、キハ48 1547)各区より車両を借り入れて運行。また、八戸区第2次車両は翌年3月まで只見線で運行された。
- 2005年は3月の脱線事故と前後の冬の豪雪とあいまって、半年間近くがバス代行という状態になった。
- 2007年(平成19年)12月11日 : 大白川 - 小出間を特殊自動閉塞化。
- 2008年(平成20年)9月26日 : 只見 - 大白川間を特殊自動閉塞化。
- 2011年(平成23年)
- 7月23日 : 全線開通40周年を記念して「只見線全線開通40周年号」を会津若松 - 只見間で運転[5]。
- 7月30日 : 新潟・福島を襲った豪雨により会津川口 - 会津大塩間で只見川第5 - 第7橋梁が流失、また会津坂本 - 会津柳津間で路盤が流出し、会津坂下 - 小出間が不通となる[6][7]。
- 8月7日 : 会津坂下 - 会津宮下間が復旧[7]。
- 8月11日 : 大白川 - 小出間が復旧[7]。
- 8月28日 : 7月23日に続き、「只見線40周年号」を大白川 - 小出 - 長岡間で再び1往復運転[8]。
- 10月7日 : 西若松 - 会津坂下間を特殊自動閉塞化。
- 12月3日 : 会津宮下 - 会津川口間が復旧[9][10]。
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)3月16日 : 田子倉駅を廃止[13]。柿ノ木駅を臨時駅に改め全列車通過とする[14]。
過去に運行された優等列車
多層階建て急行「いなわしろ」
1959年に仙台駅 - 喜多方駅間で準急「あいづ」として運行を開始。1965年に会津川口駅(1967年から季節列車として只見駅まで延長)・会津線会津田島駅・磐越西線喜多方駅の3方向からの列車を会津若松駅で取りまとめて仙台駅へ向かう形態となり、1966年に急行に格上げされ、1968年に「あいづ」の愛称が上野駅 - 会津若松駅間の特急に使用されることになり、「いなわしろ」と改称された。
この列車の特色は、気動車の機動性を生かして多層階建て列車として運用したことにある。キハ55系等のほか、会津線系統直通には、本来普通列車用だが単行運転可能なキハ52形等が充当された。
併結相手は会津若松駅 - 仙台駅間が急行「あがの」(喜多方駅発の「いなわしろ」が無い号便に限る)、郡山駅 - 仙台駅間が急行「いわき」である。沿線は豪雪地帯のため、冬期間は併結相手が遅延して何時間も来ないこともあったが、主要道の除雪もままならない時代だったことから、地域住民の貴重な足として運行され続けた。1982年、東北新幹線開業に伴う大規模ダイヤ改正で廃止された。
- 廃止時停車駅(福島駅 - 只見駅間は急行区間、仙台駅 - 福島駅間は普通列車)
多層階建ての列車の宿命として、複雑な運転系統に伴う運用上の錯綜があった。ここではその例として、1968年(昭和43年)10月ダイヤ改正時の上下の「いなわしろ2号」の場合を挙げる。
- 下り「いなわしろ2号」
- 上り「いなわしろ2号」
- 「いなわしろ2号」は仙台始発であるが、始発時点で水戸行きの「いわき2号」を併結。福島駅で「いわき2号」の福島始発列車を併結し、郡山駅で「いわき2号」と別れて磐越西線に入り、会津若松駅で会津田島行き、会津川口(只見)行き、喜多方行きの3つの列車に分割されてそれぞれの終点に向かった。
「いなわしろ」、「あがの」、「いわき」と行き先が異なる上、それぞれ連結する相手の号便が異なること、多層階になった後も福島駅で分割・併合するなどしたため、時刻表の表記も各駅の乗車案内も難解をきわめた。何よりも乗客自身、乗っている号車が目的地にたどり着くのか確認することすら苦労したようである。
冬季運休急行「奥只見」
奥只見(おくただみ)は、1972年10月2日から1988年3月13日(実質1987年11月30日)まで、会津若松駅 - 小出駅間(1982年11月15日からは普通列車として上越線浦佐駅まで延長)に運行されていた列車である。定期列車であったが、利用度および車両運用を配慮して、冬季の12月1日から翌年の3月31日まで運休する措置がとられる特異な列車であった。
表定速度は、只見線の線路条件の悪さ、運転士が1人乗務のためタブレットの通過取り扱いができないことによる交換駅全停車などにより40km/h程度に留まり、全線走破には3時間半程度を要した。
車両は一貫して非冷房のキハ58系で、1985年3月13日(実質1984年11月30日)までは3両編成、1985年3月14日(同1985年4月1日)からは2両編成で運転。本州内最後の非冷房優等定期列車であった。
- 廃止時停車駅(小出駅 - 浦佐駅間は普通列車)
なお、1971年8月29日から1972年10月1日までは臨時列車として運転され、只見駅から上越線経由で上野駅まで乗り入れていた。上野駅 - 小出駅間では、当時上野駅 - 秋田・柏崎駅間に運転されていた急行「鳥海」・「よねやま」と併結して運転されていた。
2006年7月15・16日には、浦佐駅 - 会津若松駅間で復活運転が行われる予定だったが、大雨の影響により運休となり、同年9月23日に改めて運転された。
この列車を舞台にした小説に、西村京太郎の「急行奥只見殺人事件」がある。
新潟・福島豪雨による長期路線寸断
2011年7月の新潟・福島豪雨により、只見線は一時小出 - 会津坂下間113.6kmが不通(被害状況は前述)となり、徐々に復旧しているものの、会津川口-只見間27.6kmは、2014年2月現在、災害発生から2年半以上経過しているが、復旧工事すら行われておらず、代行バスが運行されているが、該当地域には「このまま廃線になるのではないか」と危機感が強まっている。
2013年1月、福島県知事および周辺自治体首長が、JR東日本に同区間の復旧・存続を要請した。また福島県は国に対し、JR東日本への財政支援を求めた。これはJR東日本が東日本大震災で、路線等に多大な被害を受けたが、同社は2013年当時も黒字経営[15]であり、黒字経営の会社に鉄道軌道整備法の災害復旧援助が適用されないためである[16]。また福島県は、復旧費用の一部を補助できないかを検討している。こうした動きに対して、2013年5月にJR東日本本社側からは、復旧費用が85億円との試算で着工から復旧まで4年以上かかるとの見通しが示された[17][18](特に第八只見川橋梁の復旧だけで工期が4年かかる見込み)。またJR東日本単独での復旧は困難との見方をしており、今後福島県や沿線自治体との負担について調整されることになる[19]が、難航している。JR東日本は、2014年8月5日に金山町で行われた住民説明会で、福島県と沿線自治体から工事費の4分の1の負担を提示していることを明らかにした上で[20]、同区間の復旧の可否を2014年10月以降に判断する方針を示している[21]。
今回の只見線橋梁流出等の原因となった洪水被害については、只見線とほぼ平行して流れる只見川に、東北電力と電源開発が計10基のダムを建設したが、そのうちの一つ、滝ダムについては堆積する砂が貯水容量の38%に達しており、各ダムの堆積砂による貯水容量の低下により、ダムからあふれた水が、只見川で洪水となり、被害を拡大させた事を所有者の電源開発が認めている[22]。只見線不通区間に位置する金山町の被災者150名でつくる「只見川ダム災害金山町被災者の会」は、只見川流域の安全対策を怠ったダム災害と訴え、只見線をダムの堆積砂を運ぶ貨物線としても、活用してはどうかとの意見もある[23][24]。
同様に、全国のJR路線で、災害(東日本大震災によるものを除く)により長期運休となっている路線は、名松線(家城駅 - 伊勢奥津駅間)と、岩泉線(茂市駅 - 岩泉駅間全線)があるが、名松線は、JR東海・津市・三重県の三者協定が締結され、三者で分担協力して不通区間の復旧を行うことになり、2016年度の復旧を目指している[25]。また岩泉線は、JR東日本から鉄道での復旧を断念し、バスによって輸送を継続したいという方針が発表され[26]、2014年4月1日に廃止された[27]。
駅一覧
- 全列車普通列車(全駅に停車)
- (臨):臨時駅
- 線路(全線単線) … ◇・∨・∧:列車交換可、|:列車交換不可
- 駅名欄の背景色がテンプレート:Colorである駅(本名駅 - 会津蒲生駅)は平成23年7月新潟・福島豪雨により不通・バス代行となっている区間の駅であることを示す(2012年10月1日現在)。
- バス代行の停車箇所は当該駅のほか、2012年12月1日より会津川口 - 本名間に「川口高校前」、本名 - 会津越川間に「湯倉入口」、会津蒲生 - 只見間に「叶津」が追加されている[28]
駅名 | 駅間営業キロ | 累計営業キロ | 接続路線 | 線路 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|---|
会津若松駅 | - | 0.0 | 東日本旅客鉄道:磐越西線 | ∨ | 福島県 | 会津若松市 |
七日町駅 | 1.3 | 1.3 | | | |||
西若松駅 | 1.8 | 3.1 | 会津鉄道:会津線[* 1] | ◇ | ||
会津本郷駅 | 3.4 | 6.5 | | | |||
会津高田駅 | 4.8 | 11.3 | | | 大沼郡 会津美里町 | ||
根岸駅 | 3.5 | 14.8 | | | |||
新鶴駅 | 2.0 | 16.8 | | | |||
若宮駅 | 2.1 | 18.9 | | | 河沼郡 会津坂下町 | ||
会津坂下駅 | 2.7 | 21.6 | ◇ | |||
塔寺駅 | 4.4 | 26.0 | | | |||
会津坂本駅 | 3.7 | 29.7 | | | |||
会津柳津駅 | 3.6 | 33.3 | | | 河沼郡 柳津町 | ||
郷戸駅 | 3.6 | 36.9 | | | |||
滝谷駅 | 2.7 | 39.6 | | | |||
会津桧原駅 | 1.9 | 41.5 | | | 大沼郡 三島町 | ||
会津西方駅 | 2.2 | 43.7 | | | |||
会津宮下駅 | 1.7 | 45.4 | ◇ | |||
早戸駅 | 5.8 | 51.2 | | | |||
会津水沼駅 | 3.9 | 55.1 | | | 大沼郡 金山町 | ||
会津中川駅 | 3.2 | 58.3 | | | |||
会津川口駅 | 2.5 | 60.8 | ◇ | |||
本名駅 | 2.8 | 63.6 | | | |||
会津越川駅 | 6.4 | 70.0 | | | |||
会津横田駅 | 3.2 | 73.2 | | | |||
会津大塩駅 | 2.2 | 75.4 | | | |||
会津塩沢駅 | 5.5 | 80.9 | | | 南会津郡 只見町 | ||
会津蒲生駅 | 3.0 | 83.9 | | | |||
只見駅 | 4.5 | 88.4 | ◇ | |||
大白川駅 | 20.8[* 2] | 109.2 | ◇ | 新潟県 魚沼市 | ||
(臨)柿ノ木駅 | 3.2 | 112.4 | | | |||
入広瀬駅 | 3.2 | 115.6 | | | |||
上条駅 | 3.1 | 118.7 | | | |||
越後須原駅 | 4.4 | 123.1 | | | |||
魚沼田中駅 | 3.9 | 127.0 | | | |||
越後広瀬駅 | 2.5 | 129.5 | | | |||
藪神駅 | 2.1 | 131.6 | | | |||
小出駅 | 3.6 | 135.2 | 東日本旅客鉄道:上越線 | ∧ |
テンプレート:Reflist 国鉄・JRの他の駅名と重複しないよう、地方名の「会津」(この地域の旧国名は「岩代」であるが、こちらは使われていない)を冠した駅が非常に多い。根岸駅が根岸線根岸駅と同名なのは、根岸線の駅の方が遅れて開業したことによる。
廃駅
- 田子倉駅(只見駅 - 大白川駅間) - 2013年3月16日廃止。
- 黒又川仮乗降場(柿ノ木駅 - 入広瀬駅間) - 1965年7月15日頃廃止。
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:東日本旅客鉄道仙台支社 テンプレート:東日本旅客鉄道新潟支社
テンプレート:赤字83線- ↑ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
- ↑ 2.0 2.1 テンプレート:PDFlink - 東日本旅客鉄道仙台支社、2012年9月7日。
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 『鉄道省年報. 昭和10年度』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 7.0 7.1 7.2 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:PDFlink - 東日本旅客鉄道新潟支社。只見駅まで運行予定だったが、豪雨災害で短縮運転。
- ↑ 3日に運転再開 只見線会津宮下―会津川口間 JR仙台支社 - 交通新聞、2011年12月1日。
- ↑ 只見線の一部運行再開 会津宮下-会津川口間 - 福島民報、2011年12月4日(共同通信47NEWSより)
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:PDFlink - 東日本旅客鉄道仙台支社、2012年9月7日。
- ↑ テンプレート:PDFlink - 2013年2月25日、東日本旅客鉄道仙台支社
- ↑ テンプレート:PDFlink - 2012年12月21日、東日本旅客鉄道新潟支社
- ↑ 東日本大震災の路線復旧をまだ一部区間のみ行っているだけで、経費をまださほど支出していないため。
- ↑ テンプレート:PDFlink
- ↑ 只見線復旧費85億円 - 2013年5月23日読売新聞福島版
- ↑ テンプレート:PDFlink - 東日本旅客鉄道、2013年5月22日
- ↑ JR、単独復旧「困難」 只見線不通区間 財政支援、県などと協議へ - 2013年5月13日福島民報(2013年5月20日閲覧)
- ↑ 只見線、秋以降に復旧の可否判断へJR東日本が説明会で意向示す新潟日報 2014年8月5日
- ↑ 復旧可否、10月以降に判断 JR東日本、金山で方針説明福島民報 2014年8月6日
- ↑ 東北電力は認めていない。
- ↑ 節出典 東京新聞 2013年3月17日発行 「ダム乱開発の人災」・「大洪水で線路寸断」26面・27面
- ↑ 節出典 2013年2月2日 福島民報論説 【只見線の全面復旧】公共交通自覚と責任を
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:PDFlink 2013年3月22日閲覧。
- ↑ テンプレート:Cite press release
- ↑ テンプレート:Cite web
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