マリンライナー

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テンプレート:列車名 マリンライナー (Marine Liner) は、西日本旅客鉄道(JR西日本)と四国旅客鉄道(JR四国)が岡山駅 - 高松駅間を宇野線本四備讃線予讃線瀬戸大橋線)経由で共同運行する快速列車。JR西日本による一般公募によって決定された。

本項では、本州四国を結んでいた連絡列車の沿革についても記述する。

概要

快速「マリンライナー」は、1988年4月10日瀬戸大橋の完成に伴い、本四備讃線が開通したことにより運転を開始した。これは、宇野線を運転していた快速「備讃ライナー」と宇高連絡船の普通便と急行便(ホーバー便)の代替といえる。

JRグループの快速・普通列車は1990年代から2000年代前半にかけて順次車内全面禁煙化が図られたが、当列車は快速「備讃ライナー」として運行を開始した際から全車禁煙となっており、当時としては思い切った施策であった。なお、普通列車の車内が原則として全面禁煙となったのはJR西日本では1993年岡山広島支社管内では1992年)、JR四国では1994年である。ただし、JR四国管内の電車や1000形気動車は導入当初から車内全面禁煙である。

運行概況

岡山駅 - 高松駅間71.8kmを52分 - 63分で運行している。全列車がこの区間でのみ運転されており、他区間への乗り入れや区間列車は設定されていない。「マリンライナー」は宇多津駅構内の短絡線「宇多津通過線」を経由するため、同駅は通過扱いとなる。運転開始以来(前身の「備讃ライナー」時代も含め)、列車番号は3120M+号数だったが、増発により3190番台まで達したため、2008年3月15日のダイヤ改正で3100M+号数に変更されている。

基本的に1時間あたり2本運転されている。岡山駅で山陽新幹線との接続が考慮されており、高松発の始発列車は岡山発の始発の新幹線に、岡山発最終列車は岡山着の新幹線最終列車の到着と接続できるようにダイヤが組まれている。そのため最終列車の岡山発時刻は午前0時を過ぎている。列車が遅延した場合には、しばしば新幹線が延発することがある。強風等により瀬戸大橋線が不通になった場合は、始発・終着駅を宇野線宇野駅へ変更して宇野港 - 高松港間において船舶による代行輸送を行うか、児島駅での折り返し運転を行うかのいずれかの措置がとられる。

茶屋町駅 - 児島駅間と坂出駅 - 高松駅間で最高速度130km/h運転を実施している。日本の他地域で運賃以外の料金が不要な列車で130km/h運転を実施している事例は、JRでは常磐線上野駅 - 日立駅間においてE531系電車で運行される列車、京阪神地区の東海道本線山陽本線琵琶湖線JR京都線JR神戸線新快速と一部の快速、北海道の快速「エアポート」、JR以外では首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスなどと少ない。

JR四国内で実施している夏季・冬季の車内温度を保つためのドアの半自動扱いは高松駅のみで実施し、途中駅では全部のドアは自動で開閉する。また岡山駅でも冬季に限り、早朝や深夜を中心に半自動扱いを実施する列車がある。また普通車自由席に設置されている補助席は、朝ラッシュ時の上りは全区間、夕方・夜ラッシュ時の岡山駅→ 茶屋町駅・児島駅間では使用できない。

岡山駅の発着ホームは主に6番のりばであるが、一部8番のりばや5番のりばに入線する列車がある。そのうち5番のりばの有効長は6両分であることから、多客期でも増結ができない運用がある。

停車駅

岡山駅 - (大元駅) - (備前西市駅) - (妹尾駅) - (早島駅) - 茶屋町駅 - (植松駅) - (木見駅) - (上の町駅) - 児島駅 - 坂出駅 - (鴨川駅) - (国分駅) - (端岡駅) - (鬼無駅) - 高松駅

  • ( )内の駅は一部の列車のみ停車(備前西市駅は一部の上り列車のみが停車)。
  • 妹尾駅と早島駅の双方を通過する列車はなく、少なくともいずれかには停車する。昼間は選択停車が行われ、朝ラッシュ時は両方、夕ラッシュ時(岡山発15時以降)の高松行きは必ず妹尾駅に停車する。

使用車両・編成

テンプレート:Main

2010年3月以降の編成図[1]
マリンライナー
テンプレート:TrainDirection
1 2 3 4 5
5000系 223系
G
  • 全車禁煙
  • 一部は7両・3両・2両編成で運転
凡例
テンプレート:Bgcolor=グリーン車
指=普通車指定席
自=普通車自由席

2003年10月1日から、高松運転所(JR四国)に所属する5000系(3両編成)と、岡山電車区(JR西日本)に所属する223系5000番台(2両編成)が使用されている。基本的に両者を併結した5両編成で運転されているが、早朝・深夜は5000系(69 - 72・75号)または223系5000番台(1 - 3・73・77号)のみで運転される列車も存在するほか、8・12号は223系5000番台をさらに2両増結した7両編成で運転されている。

2007年6月下旬から、ダイヤ改正による新幹線からの乗り換え客の増加やラッシュ時の混雑対策として、網干総合車両所から223系2000番台を岡山電車区が借り受けて、サハ223形を223系5000番台編成の中間に組み込んで3両編成とした。これにより早朝・深夜が5000系または223系のみの3両編成、日中が6両編成 (3+3) 、ラッシュ時の一部が9両編成 (3+3+3) となり、年末年始大型連休お盆などの多客期の一部の列車は終日9両編成で運用されることがあった。また、5000系2編成と223系1編成で組成された8両編成 (3+2+3) で運用されたこともあった。

その後、2010年1月19日から1月23日にかけて223系3両編成、従来の2両編成に戻された。1月24日以降は9両編成が2両減車され7両編成に、6両編成が1両減車され5両編成に、3両編成の半分5本が2両編成での運転に変更された[2][3]。これにより、中間に組み込んでいたサハ223形2000番台は編成から外され、網干総合車両所に返却されている。

高松側の先頭車両は2階建て展望車であり、2階はグリーン席、1階は普通車指定席である。いずれもリクライニングシートシートピッチもほとんど同じ(普通席は970mm、グリーン席は1,000mm。ただし窓割は1階席・2階席とも970mm間隔に合わせて設計されている)であるが、背面テーブルの有無や座席背面の形状に違いがあり、座席のリクライニング角度も普通席は浅くグリーン席は深い、といった差異を設けている。なお、高松側運転席直後の平屋席4席もグリーン席となっており、座席指定の際も「マリンライナー(パノラマグリーン)」とマルス管理上は別列車扱いとなっている(グリーン券には「マリン・パノラマxx号」と表記している)。全部で4席しかない関係上、空席状況サイトの「JR CYBER STATION」やみどりの券売機指定席券売機)での空席状況は1枚も発券されていない状態でも空席が残りわずかであることを示す「△」であり、十分空席があることを示す「○」にはならない。岡山側の平屋席2席は車椅子利用者など移動制約者対応の普通車指定席となっており、こちらはマルス管理上は他の普通車指定席と同様に「マリンライナーxx号」であるが、指定席の車両を表す部分が「1号車FL」という表示になっている。なおこの席はみどりの券売機での表示はされず購入できないうえ、「JR CYBER STATION」にも表示されない。

高松側のデッキはグリーン車のデッキとして扱われ、ここでの立席乗車はグリーン料金が発生する。岡山側のデッキに設置されているトイレは男女兼用の洋式と男性用小便器ブースの2種類があり、前者は出入口にボタン操作式自動ドアを備え、車椅子での利用にも配慮したバリアフリー対応になっている。このほか、223系側にもバリアフリー対応のトイレが設けられている。

折り返しの際、1号車では座席を一斉転換させている関係上、車内清掃が終わるまで指定席の乗客は乗車できない。213系時代は岡山駅での折り返しの際に一旦ドアを閉めて全車両の車内清掃をしていたが、置き換えの際に自由席車両の清掃は廃止された。

過去の使用車両

1988年4月10日の運行開始時から、1987年以降「備讃ライナー」で先行使用されていたステンレス製軽量車体の213系を引き続き使用したが、高松側の先頭車両は瀬戸大橋の眺望を望めるように新製された普通鋼製の展望グリーン車を連結し、1980年以来8年ぶりに四国連絡列車のグリーン車が復活した。同年7月には普通車指定席も設けられている。

しかし、運行から15年程度しか使用されていないものの、グリーン車は塩害による車体へのダメージが酷い上、普通車も2扉のためラッシュ時の乗降に時間がかかっていたことが原因での遅延が慢性化していたため、2003年9月30日で運用を終了した。なお、置き換えられた213系は、転用できないサハ213形の一部が廃車になった他は岡山支社エリア各線の普通列車運用に転用されている。213系で運行されていた時代は優先座席の設定がなく、また、朝ラッシュ時には普通車指定席の設定がない列車があった。

2007年2月に宇野線早島駅付近で踏切事故の被害を受けた223系5000番台が使用不能となり、修理入場中の代走として同年3月末まで元々指定席車両を連結せず、130km/h運転をしない下り最終の77号と上り始発の2号において213系の運用が復活した[4]

利用状況

岡山県内の岡山駅 - 児島駅間は通勤・通学需要が多いため、終日混雑しているが、乗客の大部分がその区間で降りてしまい、高松まで乗る人は非常に少なくなっている。[5]

運行開始当初は毎時1本の設定であり、当時の瀬戸大橋ブームも相俟って、指定席がグリーン車のみで即日完売となるなど人気が集中したことから、瀬戸大橋線開業当日には「マリンライナー」2号の続行で2本の臨時列車(1本はキハ181系で茶屋町駅まで)が運行されたほか、翌4月11日からもJR西日本持ちの115系・JR四国持ちの111系などを使用した臨時快速が岡山駅 - 宇多津駅・坂出駅・高松駅間(一部は岡山駅 - 茶屋町駅・児島駅間の普通を延長運転)に運行された。当初、これらの列車は市販の全国版時刻表には掲載されておらず、沿線で配布された修正時刻表にのみ記載される列車であった。その後も折からのバブル景気もあり、瀬戸大橋線の利用が好調であったことからスーパーサルーン「ゆめじ」編成のクモロ211形+モロ210形電動車ユニットも繁忙期を中心に増結に入るようになり、同年7月からは普通車にも指定席を設定するとともに、大型連休・お盆などの多客期の一部の列車は終日12両編成や11両編成で運用された。さらにJR西日本の117系100番台(指定席あり)や115系3000番台などを使用した臨時「マリンライナー」や、167系や115系を使用した臨時快速が岡山駅 - 高松駅間に設定され、213系の増備落成にともなう増発が実施される1989年3月までの間、毎日運転の臨時列車として運行された。臨時「マリンライナー」はその後も繁忙期に運行された時期があり、JR西日本の221系が使用されたこともあった。また、近年は2010年より隔年で開催されている瀬戸内国際芸術祭の影響で、利用者数はわずかに増えている。[6]

臨時列車

マリンライナー京阪神ホリデー号

2003年10月11日から13日までの3日間、快速「マリンライナー京阪神ホリデー号」が運転された。高松駅 - 京都駅間を全車指定席のホリデー号として1往復運転された。途中の客扱い停車駅は、坂出駅・三ノ宮駅大阪駅のみで、5000系と223系5000番台が使用されたが、京阪神地区での運用はこのとき限りとなっている[7]

懐かしの213系マリンライナー号

瀬戸大橋開通20周年を迎えた2008年4月10日に「懐かしの213系マリンライナー号」(リバイバルトレイン)が運転された[8]。運転区間は高松駅 → 岡山駅間の上り1本のみで、6両編成の全車指定席であった。グリーン車はスーパーサルーン「ゆめじ」編成のうちの1両でかつて「マリンライナー」でも使用されたクロ212-1001が使用された。

停車駅
高松駅 - 坂出駅 - 児島駅 - 茶屋町駅 - 早島駅 - 妹尾駅 - 岡山駅

四国連絡列車沿革

元々、宇高連絡船との連絡の関係で宇野線には東京駅大阪駅発着のものを中心に、多くの列車が運行されていた。

1972年3月15日山陽新幹線岡山駅乗り入れにより、従来の東京駅や大阪駅からの昼行の連絡列車を廃止し、代わりに岡山駅 - 宇野駅間の快速列車を設定して新幹線などから宇高連絡船への連絡とした。当初は153系など廃止された急行列車用の車両が充当されたが、普通車の混雑緩和を目的として宮原電車区113系に置き換えられ、さらに京阪神地区での車両の所要増から1980年に岡山電車区に新製配置された115系1000番台に置き換えられ、この際にグリーン車が廃止された(なお、グリーン車は横須賀線総武快速線直通運転開始に伴う所要増のため関東地区に転用された)。さらに1987年3月より「備讃ライナー」の名称が与えられて213系が使用されるようになった。「備讃ライナー」は「マリンライナー」に投入する車両の先行使用の性格が強い列車であった。

宇野線開業と直通列車の運行開始

戦後の直通列車

ファイル:Wasyu.jpg
2002年3月30日に宇野線で165系により運行されたリバイバルトレイン「リバイバル鷲羽」
ファイル:485 uzusio uno.jpg
1983年7月に485系により運行されたリバイバルトレイン「うずしお」
  • 1950年(昭和25年)10月1日:東京駅 - 宇野駅間に夜行急行列車1往復が運転開始(東京駅 - 岡山駅間は「安芸」と併結運転)し、東京駅発着の四国連絡列車が初登場。また、大阪駅 - 宇野駅間にも夜行準急列車が設定された(広島行きと併結)が、こちらの方は宇高連絡船に客車の一部を積み込み、松山駅愛媛県)と須崎駅高知県)まで直通運転を行い、「海を行く汽車」として話題になった。
  • 1951年(昭和26年)12月2日:東京駅 - 宇野駅間の夜行急行列車に「せと」と命名される。
  • 1953年(昭和28年)11月11日:大阪駅 - 宇野駅間の夜行準急列車が独立運行となる。
  • 1955年(昭和30年)5月11日:宇高連絡船で沈没事故が発生。これにより「客車内に居る乗客が、船が沈没する際に脱出することは困難である」とされたため、乗客の乗った客車の航送が中止される。
  • 1956年(昭和31年)11月19日:「せと」が「瀬戸」に変更して独立運行されるとともに、大阪駅 - 宇野駅間の夜行準急列車が普通列車に変更される。その代替として京都駅 - 宇野駅間に昼行の準急列車が広島行き準急列車と併結ながら設定される。
  • 1958年(昭和33年)10月1日:京都駅 - 宇野駅間運行の準急列車が独立運行になる。
  • 1959年(昭和34年)9月22日:京都駅発着の準急列車に「わしう」と命名される。
  • 1960年(昭和35年)10月1日:「わしう」は「鷲羽」と漢字表記に変更。また、山陽本線の倉敷駅までと宇野線の電化が完成したため、「鷲羽」は153系を使用して客車から電車化され、さらに3往復に増発。運行区間も京都駅・大阪駅 - 宇野駅間になる。
  • 1961年(昭和36年)10月1日 :サンロクトオのダイヤ改正により、次のように変更。
    1. 東京駅 - 宇野駅間で特急富士」が151系電車で1往復運転開始。宇野線に初めて特急列車が運転される。その間合い運用として、大阪駅 - 宇野駅間に特急「うずしお」を1往復設定。
    2. 山陰方面からの直通列車として岡山駅 - 出雲市駅 - 博多駅間運行の準急「しんじ」が宇野駅まで乗り入れ。
  • 1962年(昭和37年)9月1日:宇野駅 - 鳥取駅間の準急「砂丘」が設定され、岡山駅 - 宇野駅間で「しんじ」と併結して乗り入れるようになる。
  • 1964年(昭和39年)10月1日:東海道新幹線開業に伴い東海道本線の昼行特急列車を全廃することになったため、「富士」は廃止。「富士」の東海道新幹線と重複しない新大阪駅 - 宇野駅間に関しては「ゆうなぎ」と名称変更して存続。また「瀬戸」の補助列車として同区間に急行「さぬき」を設定する。
  • 1965年(昭和40年)10月1日:宇野線列車の大増発が行われ、「鷲羽」は夜行1往復も設定され下り7本・上り8本になる。また宇野駅 - 出雲市駅間で準急「たまつくり」が運転開始。
  • 1966年(昭和41年)3月5日:走行距離100km以上の準急列車を急行列車に格上げさせることになったため、「鷲羽」「砂丘」「しんじ」は急行列車となる。
  • 1968年(昭和43年)10月1日:ヨン・サン・トオと呼ばれるダイヤ改正により、「うずしお」が「ゆうなぎ」に統合されると同時に1往復増発されて3往復、「瀬戸」が「さぬき」を統合して2往復、「しんじ」も「たまつくり」を統合して2往復、「鷲羽」は定期9往復・不定期2往復の11往復となる。

新幹線岡山開業後

  • 1972年(昭和47年)3月15日山陽新幹線の新大阪駅 - 岡山駅間が開業。これに伴うダイヤ改正により、以下のように変更。
    1. 新幹線開業区間における輸送は多くが新幹線に振り替えられることになったことから、「うずしお」は全廃、「鷲羽」も夜行1往復を残して廃止となる。
    2. 「砂丘」「しんじ」の宇野駅乗り入れも廃止。
    3. 「瀬戸」は1往復に統合し特急へ格上げ。
    4. それらの列車の代替として茶屋町駅のみ停車する快速列車が岡山駅 - 宇野駅間にほぼ1時間間隔で運行を開始。快速列車は「鷲羽」で運用されていた153系を転用し、グリーン車も連結した。なお、153系は現行の「サンライナー」に相当する山陽本線岡山駅 - 三原駅間の快速列車にグリーン車も営業して使用された。
      • その後、混雑を緩和するために快速列車は宮原電車区所属の113系に置き換えられ、153系は山陽本線快速主体の運用となる。113系編成の送り込みのため大阪駅 - 岡山駅間の直通普通列車(大阪駅 - 西明石駅間快速)が設定され、宇野線快速のグリーン車廃止・岡山電車区移管後も民営化初期まで運転されていた。
  • 1980年(昭和55年)
    • 2月13日:京阪神地区の増発に宮原電車区の113系を、また横須賀線・総武快速線直通運転開始に際して113系グリーン車をそれぞれ捻出する必要が生じたことと、国鉄の度重なる運賃・料金の値上げから利用が減少したことにより、快速列車のグリーン車を夜行急行「鷲羽」の間合い運用であった1往復をのぞいて廃止、車両も岡山電車区に新製配置された115系1000番台に置き換え。
    • 10月1日:利用客の減少により夜行急行「鷲羽」を廃止。これにより間合い運用されていた快速列車1往復も115系に代替され、快速列車のグリーン車は全廃。
  • 1985年(昭和60年)3月14日:快速列車の一部が妹尾駅に停車。
  • 1987年(昭和62年)
ファイル:JR west 213 bisanliner okayama.jpg
9両編成で運転する備讃ライナー
(1987年)
    • 3月22日:翌年の瀬戸大橋の完成を前にして快速列車に115系に代わって213系の使用を開始[9]
    • 4月1日:快速列車に「備讃ライナー」の愛称を命名、1号車(高松寄り先頭車両)は指定席とされる[9]

テンプレート:-

本四備讃線(瀬戸大橋線)開業後

  • 1988年(昭和63年)4月10日:瀬戸大橋の完成に伴うダイヤ改正により、次のように変更。
    1. 「備讃ライナー」と宇高航路の連絡船ならびにホーバークラフトを廃止し、岡山駅 - 高松駅間に快速「マリンライナー」を運転開始。
    2. 特急「瀬戸」を高松駅発着に変更。
    3. 特急「しおかぜ」「うずしお」「南風」の岡山駅乗り入れを開始。
  • 1998年平成10年)7月10日:「瀬戸」が285系電車に使用車両を変更し「サンライズ瀬戸」となる。
  • 1999年(平成11年)3月13日:「マリンライナー」の岡山発15時以降の高松行の全列車が妹尾駅に停車するようになる。
  • 2001年(平成13年)5月:高松駅改修による駅複合施設サンポート高松開業に伴う祝賀列車として臨時急行列車「サンポート高松号」が、485系により大阪駅 - 高松駅間で運行。
  • 2003年(平成15年)10月1日:「マリンライナー」の使用車両を5000系・223系5000番台に置き換え、一部区間での最高速度を110km/hから130km/hに変更[10]
  • 2007年(平成19年)6月下旬:223系5000番台編成に同2000番台付随車1両が組み込まれる。
  • 2008年(平成20年)4月10日:瀬戸大橋開通20周年を記念し、「懐かしの213系マリンライナー号」を運転[8]
  • 2009年(平成21年)3月14日:宇野線早島駅 - 久々原駅間の複線化により、「マリンライナー」の岡山駅 - 児島駅間での所要時間が1 - 2分短縮される。
  • 2010年(平成22年)1月24日:223系5000番台編成に組み込まれていた同2000番台1両の減車が完了[3]

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

関連項目

テンプレート:Sister


テンプレート:JR四国の列車

テンプレート:日本における列車種別一覧
  1. 2003年10月 - 2007年6月でもこの編成で運転されていた
  2. テンプレート:PDFlink - 西日本旅客鉄道岡山支社プレスリリース 2009年12月18日
  3. 3.0 3.1 快速「マリンライナー」の編成減車について - 四国旅客鉄道プレスリリース 2009年12月18日
  4. JR瀬戸大橋線の列車とクルマ衝突 - レスポンス自動車ニュース 2007年2月11日
  5. 利便性高まるJR瀬戸大橋線- 四国新聞 2003年10月5日
  6. JR四国、瀬戸大橋線利用1%増 13年度、芸術祭など貢献- 日本経済新聞 2014年4月4日
  7. 平成15年度【秋】の臨時列車の運転(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年8月22日
  8. 8.0 8.1 「瀬戸大橋線開業20周年」に関する事業概要(インターネット・アーカイブ)- 四国旅客鉄道プレスリリース 2008年1月28日
  9. 9.0 9.1 『鉄道ファン』2009年1月号 交友社 p.126
  10. 平成15年秋 ダイヤ改正(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年7月30日