呉巨

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呉 巨(ご きょ、生没年不詳)は、中国後漢末期の武将。

はじめ劉表に仕え、蒼梧太守となった。ただし、当時の交州刺史部は士燮に支配されており、実際に統治していたかは疑問である。劉備は昔馴染みであったため、劉表死後に曹操の追撃を受けた時、呉巨を頼って落ち延びようとした。しかし孫権軍の魯粛が「呉巨は平凡な人物だから、頼りにしても当てにならない」と進言したため、落ち延びることをやめたという。

劉表死後、劉表から交州刺史に任命されていた頼恭を追い出し自立した。しかし210年、孫権が交州刺史として歩騭を派遣するとその家臣になった。しかし、孫権に対して含むところが多かったため、それを察した歩騭に会談の席上で斬り殺され、その首を晒しものにされた。

小説『三国志演義』では第42回にて、諸葛亮と魯粛の間で前述の会話がなされ、その会話上で名前が挙がる場面がある。名前も呉臣(ごしん)に変更されている。