南陽市 (河南省)

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テンプレート:基礎情報 中国の都市

南陽市(なんようし)は、中華人民共和国河南省に位置する地級市

地勢

漢水の支流である白河の西岸に位置する。農業機械の生産や、綿織物絹織物の生産も盛ん。約220キロ北東に同省の鄭州、320キロ南東に湖北省の武漢が位置している。

歴史

春秋時代にはに属すると呼ばれる都市であり、金属工業が盛んだった。

の時代に強制的に移民が送り込まれて南陽郡が設置され、前漢の時代に発展が進んだ。後漢を興した光武帝は、この都市周辺の南陽盆地を勢力基盤としていた。後漢後期の140年永和5)では、南陽郡の人口は52万戸で全土で最高を記録している。

その後も、中国における経済、文化の中心地の一つとして発展を続けた。古代中国の科学者、文学者で地震計を発明したとされる張衡が南陽の出身である。

行政区画

年表

南陽地区

  • 1949年10月1日 - 中華人民共和国河南省南陽専区が成立。南陽県方城県唐河県泌陽県南召県鎮平県内郷県西峡県淅川県鄧県新野県桐柏県が発足。(12県)
  • 1949年11月22日 - 南陽県の一部が分立し、南陽市が発足。(1市12県)
  • 1950年4月28日 - 唐河県の一部が南陽県に編入。(1市12県)
  • 1950年5月7日 - 南陽市の一部が南陽県に編入。(1市12県)
  • 1950年9月9日 - 南陽県・鄧県の各一部が新野県に編入。(1市12県)
  • 1951年6月15日 - 南陽県の一部が南召県・方城県に分割編入。(1市12県)
  • 1952年5月5日 - 唐河県の一部が南陽県に編入。(1市12県)
  • 1952年5月27日 - 唐河県の一部が南陽県に編入。(1市12県)
  • 1952年6月10日 - 南陽市が南陽県に編入。(12県)
  • 1952年6月11日 - 唐河県の一部が南陽県に編入。(12県)
  • 1952年11月30日 - 湖北省襄陽専区襄陽県の一部が唐河県に編入。(12県)
  • 1953年7月9日 - 南陽県の一部が分立し、南陽鎮が発足。(12県1鎮)
  • 1953年11月10日 - 南陽鎮が市制施行し、南陽市となる。(1市12県)
  • 1960年8月15日 - 南陽県が南陽市に編入。(1市11県)
  • 1961年10月5日 - 南陽市の一部が分立し、南陽県が発足。(1市12県)
  • 1965年6月16日 - 泌陽県が駐馬店専区に編入。(1市11県)
  • 1965年11月13日 - 南陽県・唐河県・方城県の各一部が駐馬店専区泌陽県の一部と合併し、社旗県が発足。(1市12県)
  • 1969年3月15日 - 南陽専区が南陽地区に改称。(1市12県)
  • 1974年10月17日 - 南召県・方城県の各一部が合併し、雲陽弁事処が発足。(1市12県1弁事処)
  • 1977年3月20日 - 雲陽弁事処が南召県・方城県に分割編入。(1市12県)
  • 1983年8月6日 - 南陽県の一部が南陽市に編入。(1市12県)
  • 1988年11月17日 - 鄧県が市制施行し、鄧州市となる。(2市11県)
  • 1994年7月1日 - 南陽地区が地級市の南陽市に昇格。

南陽市

  • 1994年7月1日 - 南陽地区が地級市の南陽市に昇格。(2区1市10県)
    • 南陽市・南陽県の各一部が合併し、宛城区が発足。
    • 南陽市の残部・南陽県の残部が合併し、臥竜区が発足。

観光

三国時代のの君主、劉備に仕えた諸葛亮をまつった武侯祠がある。

交通

出身者

姉妹都市・提携都市

外部リンク

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