北川智規 (野球)

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テンプレート:BLP unsourced テンプレート:Infobox baseball player 北川 智規(きたがわ とものり、1978年1月9日 - )は、埼玉県狭山市出身の元プロ野球選手投手)。現在は、オリックス本社の社員。

経歴

プロ入り前

県内屈指の進学校である埼玉県立川越高等学校ではエースを務めた。2年の夏の甲子園埼玉県大会では、4回戦で土肥義弘のいる春日部共栄に敗れた。

卒業後は高校の先輩である杉本友の助言もあり、一年浪人して横浜国立大学教育学部に進んだ。神奈川大学野球リーグ通算36勝を挙げ、5度のノーヒットノーラン、大学通算奪三振552(大学野球日本記録)を記録、2年次の1999年には第27回日米大学野球選手権の日本代表となる。横浜ベイスターズのキャンプにも参加したことがある。さらにシドニーオリンピック野球日本代表候補にも入るが、肩を痛め最終的には落選。

2000年のドラフト7位でオリックス・ブルーウェーブに入団。契約金0円で入団した選手の中で、初の出来高2000万円払い獲得選手となり、話題となる。

プロ入り後

1年目から一軍入り。初登板2001年8月26日、西武戦(神戸)の7回、リリーフとして登板した。最初の対戦打者であった清水雅治から三振を奪い、いきなり初奪三振を記録した。

2001年9月26日には、マジックを1とし、優勝目前であった近鉄戦に先発した。北川は好投を見せ、勝ち投手の権利を得て降板したが、リリーフエース大久保勝信代打北川博敏にサヨナラ満塁ホームランを打たれ、プロ初勝利はならなかった。

好投しても援護に恵まれない試合が続いたが、2年後の2003年9月27日、対ダイエー戦でプロ初勝利を挙げている。

2004年オフに戦力外通告を受け、引退。

引退後

親会社のオリックス株式会社に球団初の入社。2005年11月に宅建試験に合格した。

プレースタイル・人物

テンプレート:雑多な内容の箇条書き

  • サイドスローから繰り出すキレのある速球と、角度は小さいが鋭いカーブが武器だった。
  • プロには珍しい国立大学出身で、奪三振の大学記録を所持していた。
  • 上記の試合以外にも、好投しながらリリーフ陣が持ちこたえられず、勝利を消されたケースはいくつかある。
    • 2001年9月4日日本ハム戦では、7-5と2点リードの5回から登板し、2回を無失点に抑えている。試合に勝利すれば、勝利投手の最有力であったが、後続が打たれ、逆転されている。尚、北川はこの試合で生涯唯一のホールド(パ・リーグ旧規定)をマークしている。
    • 2002年9月13日、日本ハム戦では、8回2死まで1失点に抑えながら、当時のリリーフエース萩原淳井出竜也に逆転弾を浴びている。
  • 1997年に同球団に筑波大学からドラフト1位で入団し、国立大学初のドラフト1位として注目を集めた杉本友川越高校の先輩に当たる。
  • 選手名鑑の好きな女性のタイプには、横浜国立大学の後輩でもある眞鍋かをりを挙げている。ちなみに同じ教育学部(眞鍋は学部改編後の教育人間科学部)である。
  • 教育学部出身であるため、教員免許を所持している。

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 オリックス 7 3 0 0 0 0 1 0 -- .000 81 19.2 19 3 6 0 0 9 0 0 9 8 3.66 1.27
テンプレート:By2 4 4 0 0 0 0 3 0 -- .000 95 21.1 20 2 10 1 2 14 0 0 10 10 4.22 1.41
テンプレート:By2 10 1 0 0 0 1 1 0 -- .500 60 13.1 15 4 7 0 0 7 0 0 11 11 7.43 1.65
テンプレート:By2 4 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 21 4.0 6 1 4 0 0 1 0 0 7 7 15.75 2.50
通算:4年 25 8 0 0 0 1 5 0 -- .166 257 58.1 60 10 27 1 2 31 0 0 37 36 5.55 1.49

記録

背番号

  • 59 (2001年 - 2004年)

関連項目

テンプレート:オリックス・ブルーウェーブ2000年ドラフト指名選手