佐野浩敏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

佐野 浩敏(さの ひろとし、1962年2月18日 - )は、日本のアニメーターイラストレーター福岡県出身。田川浩のペンネームで小説のイラストを描いたことがある。

経歴

アニメーターを志望して、アニメ制作会社の葦プロダクション(現・プロダクション・リード)へ持ち込みをして、面接をした影山楙倫についていく形で、設立されたばかりのカナメプロダクション[1]1982年テレビアニメ魔境伝説アクロバンチ』でデビュー。初期の参加作品が当時人気のアニメーター金田伊功の影響を多大に受けていたアニメ制作会社カナメプロダクション関連だった事が作画スタイルに影響を及ぼしている。

カナメプロ倒産後の、1980年代末から1990年代前半にかけては、松尾慎、仲盛文、高見明男らとフリー集団のスタジオ「EDGE」を結成して在籍した[2]

後に佐野本人が師と仰ぐアニメーター出身の漫画家安彦良和から、メカ作画監督としてオファーを受け、アニメ映画『ヴイナス戦記』で仕事をする機会を得る。佐野の弁によると、安彦の前作『アリオン』には力量不足を自覚し参加を断念したため、念願の仕事だったという。テンプレート:要出典

この直後、テレビアニメ『機動戦士ガンダム』『機動戦士Ζガンダム』との架け橋的な作品であるOVA機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』に携わる。この作品製作時に前述の2作品に携わった安彦を意識せざるを得ないことになるが、このことがクオリティーの高い作りへと結びつき、佐野が一般に認知される事になる。ちなみに、「安彦さんの描くガンダムがガンダム。他には全然魅力を感じないです」と語ったこともある[3]

「ロボ描き屋」を自称[4]。その腕前が評価され、雑誌・DVDジャケットなどの印刷物媒体では参加作品以外であっても、佐野のイラストを見ることが出来る。

参加作品

テレビアニメ

1982年

1983年

1984年

1985年

1986年

1987年

1989年

1992年

1993年

1994年

1995年

1996年

1998年

2000年

2002年

2009年

OVA

1984年

1985年

1987年

1989年

1991年

1993年

1994年

1995年

劇場アニメ

1989年

1991年

2000年

2003年

書籍

  • 2001年 佐野浩敏ガンダム画集『EDGE of GUNDAM』

参考文献

脚注

  1. 「ボクはこうしてカナメに入った 佐野浩敏」『アニメック』Vol.31、ラポート、p.71.
  2. 「キャラクタデザイナーの肖像 高見明男」『アニメージュ』1999年2月号、徳間書店
  3. 『機動戦士ガンダム ハチゼロ/ハチサン/ゼロハチ』(太田出版)に収録されたインタビューより
  4. 『アニメ・マンガ・戦争』p.173。