佐野浩敏
佐野 浩敏(さの ひろとし、1962年2月18日 - )は、日本のアニメーター、イラストレーター。福岡県出身。田川浩のペンネームで小説のイラストを描いたことがある。
経歴
アニメーターを志望して、アニメ制作会社の葦プロダクション(現・プロダクション・リード)へ持ち込みをして、面接をした影山楙倫についていく形で、設立されたばかりのカナメプロダクションへ[1]。1982年、テレビアニメ『魔境伝説アクロバンチ』でデビュー。初期の参加作品が当時人気のアニメーター金田伊功の影響を多大に受けていたアニメ制作会社カナメプロダクション関連だった事が作画スタイルに影響を及ぼしている。
カナメプロ倒産後の、1980年代末から1990年代前半にかけては、松尾慎、仲盛文、高見明男らとフリー集団のスタジオ「EDGE」を結成して在籍した[2]。
後に佐野本人が師と仰ぐアニメーター出身の漫画家安彦良和から、メカ作画監督としてオファーを受け、アニメ映画『ヴイナス戦記』で仕事をする機会を得る。佐野の弁によると、安彦の前作『アリオン』には力量不足を自覚し参加を断念したため、念願の仕事だったという。テンプレート:要出典
この直後、テレビアニメ『機動戦士ガンダム』『機動戦士Ζガンダム』との架け橋的な作品であるOVA『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』に携わる。この作品製作時に前述の2作品に携わった安彦を意識せざるを得ないことになるが、このことがクオリティーの高い作りへと結びつき、佐野が一般に認知される事になる。ちなみに、「安彦さんの描くガンダムがガンダム。他には全然魅力を感じないです」と語ったこともある[3]。
「ロボ描き屋」を自称[4]。その腕前が評価され、雑誌・DVDジャケットなどの印刷物媒体では参加作品以外であっても、佐野のイラストを見ることが出来る。
参加作品
テレビアニメ
1982年
- さすがの猿飛(原画)
1983年
- プラレス3四郎(原画)
1984年
- 北斗の拳(原画)
1985年
- 機動戦士Ζガンダム(原画)
- ダーティペア(原画)
- 超獣機神ダンクーガ(OP原画)
- ビデオ戦士レザリオン(最終話原画)
1986年
- 機動戦士ガンダムΖΖ(原画)
1987年
- 機甲戦記ドラグナー(原画)
1989年
- 機動警察パトレイバー(作画監督、原画)
1992年
- 宇宙の騎士テッカマンブレード(キャラクターデザイン原案協力)
1993年
- 機動戦士Vガンダム(メカニカルデザイン協力)
1994年
- 機動武闘伝Gガンダム(メカニックディレクター、作画監督、OPアニメーション、原画)
- とっても!ラッキーマン(原画)
1995年
- 獣戦士ガルキーバ(メカ作画監督、原画)
1996年
- 天空のエスカフローネ(メカニカルディレクター、メカ作画監督、原画)
1998年
2000年
- アルジェントソーマ(メカニックサポート)
2002年
- ラーゼフォン(アニメーションディレクター)
2009年
- 真マジンガー 衝撃! Z編(24話 25話、原画)
OVA
1984年
- バース(原画)
1985年
- 戦え!!イクサー1(原画)
1987年
1989年
- MIDNIGHT EYE ゴクウII(メカニックデザイン、メカ作画監督)
- バブルガムクライシス
1991年
- 機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY(総メカニカル作画監督)※小説版の挿絵も担当
1993年
- ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日(第3話、キーアニメーター)
1994年
- 宇宙の騎士テッカマンブレードII(メインキャラクターデザイン)
- BOUNTY DOG/月面のイブ(キャラクターデザイン、作画監督)
1995年
劇場アニメ
1989年
1991年
- 機動戦士ガンダムF91(作監協力)
2000年
- エスカフローネ(メカ作画監督)
2003年
- ラーゼフォン 多元変奏曲(アニメーションディレクター)
書籍
- 2001年 佐野浩敏ガンダム画集『EDGE of GUNDAM』