三井住友海上火災保険

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
住友海上火災保険から転送)
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox 三井住友海上火災保険株式会社(みついすみともかいじょうかさいほけん、テンプレート:Llang[1])は、日本損害保険会社である。MS&ADインシュアランスグループの中枢企業の一つである。

略称は三井住友海上みついすみともかいじょう)。証券界では三住海上(さんすみかいじょう)が上場銘柄としての略称として使われていた[注釈 1]。この略称は、2008年平成20年)4月に設立された持株会社の三井住友海上グループホールディングスが東証の上場銘柄の略称として引き継いでいたが、同社は2010年(平成22年)4月にMS&ADインシュアランスグループホールディングスに商号変更されている。

概要

熾烈な業界3位争い[注釈 2]を繰り広げ、お互いに強烈なライバル意識を持っていた三井海上・住友海上がメインバンクさくら銀行[注釈 3]住友銀行)の合併の影響によって合併に至った。なお、存続会社は三井海上火災保険株式会社。本社は中央区新川の旧住友海上本社に設置。2013年10月に神田駿河台の旧三井海上本社ビルを改築するとともにビル1棟を新築し、旧住友海上本社と旧三井海上本社に分かれている本社機能を統合、本社所在地も同地に移転。

合併後の現在は保険料収入1兆4928億円(2007決算)で、東京海上ホールディングスの2兆1486億円に続き、1兆3866億円の損保ジャパンと激しい2位争いを展開していた。2010年(平成22年)4月にはMS&ADインシュアランスグループとして、あいおい損害保険及びニッセイ同和損害保険(2社は同年10月に合併し、あいおいニッセイ同和損害保険に改称)と経営統合し、東京海上日動を上回るリーディングカンパニーが誕生した。

合併後、旧住友海上出身者(植村裕之)→旧大正海上出身者(江頭敏明)→旧住友海上出身者(現職の柄澤康喜)と、社長ポストはいわゆるたすきがけ人事となっている。2012年6月時点で、江頭がMS&ADの社長と当社の代表権のある会長を兼務、柄澤が当社の社長とMS&ADの代表権のある執行役員(社長補佐担当)を兼任している。

沿革

  • 1893年明治26年) 関西の同業、貿易関係の有志により大阪保険株式会社設立。
  • 1899年(明治32年) 大阪保険株式会社、大阪火災保険株式会社に商号変更。
  • 1907年(明治40年) 大阪火災保険株式会社、大阪火災海上運送株式会社に商号変更。
  • 1916年大正5年) 大阪火災海上運送株式会社、大阪商船グループの傘下に入り大阪海上火災保険株式会社に商号変更。
  • 1917年(大正6年) 山下汽船山下亀三郎の提唱で、扶桑海上保険株式会社設立。
  • 1918年(大正7年)10月 三井物産を中心として、三井海上の前身大正海上火災保険株式会社設立。
  • 1940年昭和15年) 扶桑海上保険株式会社、住友財閥の傘下に入り住友海上火災保険株式会社に商号変更。
  • 1941年(昭和16年)11月 大正海上火災保険株式会社が新日本火災保険株式会社を合併。
  • 1942年(昭和17年) 大阪海上火災保険株式会社が摂津海上火災保険株式会社を合併。
  • 1944年(昭和19年)3月 大阪海上火災保険株式会社と当時の住友海上火災保険株式会社が新設合併し、大阪住友海上火災保険株式会社設立。
  • 1944年(昭和19年)6月 大正海上火災保険株式会社が三井火災保険株式会社を合併。
  • 1954年(昭和29年)7月 大阪住友海上火災保険株式会社、住友海上火災保険株式会社に商号変更。
  • 1991年平成3年)4月 大正海上火災保険株式会社が、三井海上火災保険株式会社に商号変更。
  • 1996年(平成8年)8月 三井海上が三井みらい生命保険株式会社を、住友海上が住友海上ゆうゆう生命保険株式会社をそれぞれ設立。
  • 2001年(平成13年)9月 シティグループの子会社と三井住友海上が合弁で、変額個人年金保険専業会社「シティ・インシュアランス・サービス株式会社」設立。
  • 2001年(平成13年)10月 三井海上火災保険株式会社を存続会社として、住友海上火災保険株式会社を合併し、商号を三井住友海上火災保険株式会社に変更。同時に傘下の生命保険会社も合併により三井住友海上きらめき生命保険に商号変更。
  • 2002年(平成14年)7月 シティ・インシュアランス・サービス株式会社が商号を「三井住友海上シティインシュアランス生命保険株式会社」に変更、生命保険業の認可を取得し、営業開始。
  • 2003年(平成15年)11月1日 三井ライフ損害保険の全保険契約を、三井住友海上に包括移転。
  • 2005年(平成17年)10月 三井住友海上シティインシュアランス生命保険を三井住友海上メットライフ生命保険に商号変更。
  • 2006年(平成18年) 金融庁が保険契約締結・保険募集・保証証券に関する業務の2週間停止を命令[2]
  • 2006年(平成18年) 金融庁が国外子会社設置認可申請・国外支店等設置届出・国外合弁会社設立届出に関する業務の3ヶ月間停止を命令[2]
  • 2006年(平成18年) 金融庁が新規商品認可申請、既存商品改訂届出、他社代理・代行認可申請等に関する業務の1年間停止を命令[2]2007年2月23日付処分解除)。
  • 2006年(平成18年) 金融庁が第三分野商品の保険契約締結・保険募集に関する業務の無期限停止を命令[2](2007年2月23日付処分解除)。
  • 2008年(平成20年)4月 株式移転により持株会社三井住友海上グループホールディングスを設立。当社は三井住友海上グループホールディングスの完全子会社となる。
  • 2010年(平成22年)4月 三井住友海上グループホールディングスがあいおい損害保険ニッセイ同和損害保険(2社は同年10月に合併し、現在はあいおいニッセイ同和損害保険)と経営統合に伴い、MS&ADインシュアランスグループホールディングスへ商号変更。これに合わせ、当社と三井住友海上きらめき生命保険のシンボルマークを「MS&AD」に変更。
  • 2011年(平成23年)1月1日 この日で会社を解散したスミセイ損害保険の全保険契約を、三井住友海上に包括移転。スミセイ損害保険で契約した保険の事故受付等一切の業務を引き受ける。
  • 2012年(平成24年)10月31日 MS&ADインシュアランスグループ内の資産運用事業再編の一環として、トヨタファイナンシャルサービスが保有していたトヨタアセットマネジメントの全株式を取得[3]

主力商品

CMキャラクター

2002年(平成14年)9月より黒木瞳を起用。MOST、MOSTファーストクラスとViV終身のコマーシャルに出演している。 2007年(平成19年)10月からは、企業イメージCMのキャラとして、堀北真希竹野内豊が起用されている。

提供スポンサーとなっているテレビ朝日の『報道ステーション』やテレビ東京の『ガイアの夜明け』、ホームページ内で放映中のCM内容を見ることができる。それ以前にはCHAGE and ASKAなどを起用していた。

旧住友海上時代の2000年頃には松村和子のデビュー曲である「帰ってこいよ」を替え歌にしたCMが放送されたことがある(歌っているのは別の人)。

スポーツ

1991年(平成3年)(旧三井海上)創設の陸上競技部があり、実業団駅伝では最多7回の優勝を勝ち取っている。土佐礼子渋井陽子大平美樹橋本歩などの選手が所属。

旧住友海上創設の女子柔道部もあり、アテネオリンピック(2004年)、北京オリンピック(2008年)金メダルの上野雅恵、アテネオリンピック銀メダルの横澤由貴、北京オリンピック銅メダルの中村美里を擁する、実業団有数の強豪チームである。

サッカー日本代表オフィシャル協賛スポンサーである。

不祥事

保険金不払い

2005年(平成17年)9月27日、損保16社による保険金の不当な不払いが大量にあることが公表され、同社もその中にリストアップされていた。その後の2005年(平成17年)11月25日、新たに不当な不払いを行っていた事が判明した10社を合わせた26社の内の1社という立場となり、他の25社と共に金融庁から業務改善命令を受けた[4]

2006年(平成18年)6月21日、同社の販売する第三分野保険にて保険金の不適切な不払いが大量に(927件分)確認された。その中でも終身医療保険での不適切な不払いが顕著に見られ(305件)、これを悪質と見た金融庁から業務停止命令を受けることになった。これにより、同社は商品の販売など業務の遂行に様々な制限を受けることになった[2](なお、金融庁は抜本的改善が図られたとして2007年2月23日付で全ての処分を解除した)。

2006年(平成18年)9月には、金融庁からの不払い再調査命令に対する調査結果を発表。46,819件、およそ33億900万円分が不当不払いに該当していた。しかしその後、損保各社から第三分野保険での大量不払いが発覚したほか、2×4住宅に対する火災保険料の取りすぎ行為も発覚したため、同年11月17日にはこれを重く見た金融庁が損保26社に対して不払い実態の再々調査を命令。同社にも調査命令が下された。

2006年(平成18年)12月10日には、2×4工法の建築物に対する火災保険料を取りすぎていた問題が発覚した。

2007年(平成19年)3月20日、同社は他の損保大手5社に先駆けて不払いの調査結果を発表。不払いの合計は5万1,486件、金額にして54億3,300万円となり、昨年9月時点での調査結果と比較して4,770件、21億2,400万円分が増加したことになった。また、火災保険料取りすぎ行為の中間調査結果も同時に発表。8,855件、およそ8億円分を余計に取っていたとの結果となった[5][注釈 4]

顧客情報の漏洩

ファイル共有ソフトの利用
2006年(平成18年)1月17日、業務委託先社員のパソコンコンピュータウイルスに感染し、顧客情報590人分を主とした内部情報が、ファイル共有ソフトWinny上に流出してしまった。
ファックスの誤送信
子会社の三井住友海上メットライフ生命保険にて、個人年金保険の顧客情報を無関係の一般家庭にファックス送信したことが明らかになった[6][注釈 5]。2009年8月12日、同社は契約者や被保険者など117人の氏名、保険金の額、申込番号、代理店名が記載されたリストを代理店にファックス送信したが、その際にファックス番号を誤ったため一般の住宅に送信されてしまった[6]。誤送されたリストは、同社が翌日回収した[6]。なお、誤送信の理由は、廃止された支店にまでリストを送信してしまったところ、その支店のかつてのファックス番号と同一の番号が既に別の個人に割り当てられており、そちらに送信されたためだとされる[6]

不正な契約手続き

三井住友海上火災保険では、代理店での契約手続きで不正行為が頻発していた。同社に対する金融庁の検査や、同社からの報告によって、これらの問題が明るみとなり、2006年(平成18年)6月に金融庁より公表された[2]。それによると、代理店が保険料の立替を行っていた事例が少なくとも120件も見つかっており、保険業法第300条第1項第5号に違反すると指摘された[2]。また、同発表によれば、代理店が保険の契約者に対して重要事項の説明をしていない事例が6件見つかり、こちらも保険業法第300条第1項第1号に違反するとされた[2]。さらに、顧客と同姓の印鑑を悪用し、無断で保険の継続契約を締結する手口も明らかになった[2]。金融庁の同発表によれば、顧客の意思を確認せずに勝手に継続契約を締結した事例が、判明しただけで36件も確認され、同様に保険業法第307条第1項第3号に違反すると指摘された[2]。これらの事実に対して、金融庁は「法令等遵守の意識が乏しく」[2]「代理店に対する管理態勢が極めて不適切」[2]と指摘し、同社を厳しく批判した。

国外拠点の管理の不備

イギリスに設立された子会社にて出納に関する内部統制の不備が発覚しており、2006年(平成18年)6月に金融庁より公表された[2]同子会社の代表取締役は、契約書がないまま支出を行ったり、取締役会の承認が必須とされる場合も承認を得ない支出を行ったり、さらには虚偽の理由に基づく支出をしていたことが明らかとなった。しかし、金融庁がこの問題を指摘するまで、三井住友海上火災保険は調査も処分もしておらず、子会社代表取締役に対する口頭注意にとどめていた。金融庁は「海外拠点に対する管理・監督機能は、極めて不十分」[2]と指摘し、三井住友海上火災保険では「経営陣による内部統制は機能していない」[2]と結論づけた。

経営トップの引責辞任と復帰

2006年(平成18年)5月1日に行われた取締役会にて、同年6月末に当時会長の井口武雄(合併前の旧三井海上社長)と当時社長の植村裕之(合併前の旧住友海上社長)がそれぞれ退職し(後任には旧住友海上出身の秦喜秋(当時・副社長)が会長、旧大正海上出身の江頭敏明が社長(社長就任に先立ち、常務執行役員からCEO兼務の常務執行役員に就任している)となった。すなわち、たすきがけ人事という結果になっている[7])、最高顧問へ就任することが決定された[8]。 しかし、その6月末を目前とした6月21日に医療保険を中心とした第三分野保険にて悪質な不払いを行っていたことが原因で、金融庁に業務停止命令の厳しい行政処分が言い渡されたことにより、井口と植村は最高顧問への就任を辞退。事実上の引責辞任となった[9]

それからおよそ1年余りが経過した2007年(平成19年)8月23日、最高顧問を辞退し会社から去ったはずであった井口と植村が、同年7月23日付けで「常任顧問」として復帰していたことが判明した。同社は「経営には関与していない」「人事委員会で了承を得ている」という理由で両人の復帰を公表していなかった。 しかしながら両人の復帰により責任の所在が有耶無耶になることと、常任顧問には報酬が支払われ、かつ専用室を与えられることなどから、同社の対応には批判を呼んでいる。

関連会社

関連項目

注釈

  1. 「三井住友」は三井住友フィナンシャルグループの略称として使われている。
  2. 損害保険業界は長年、業界首位が旧東京海上(現東京海上日動)、2位は旧安田火災(現損保ジャパン)で、大正海上→三井海上と住友海上が3位争いを繰り広げるという構図が続いていた。
  3. 三井銀行と旧太陽神戸銀行の合併行で三井グループに属した。
  4. 火災保険の過徴収は、4ページ目後半「II. 火災保険における建物構造級別の判定誤りと割引適用漏れ等一斉点検の状況について」以下を参照(件数および金額の各数値は、1の内容と2の内容の合計値である)
  5. 「謝って」との表記は原文ママ。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:三井グループ

テンプレート:住友グループen:Mitsui Sumitomo Insurance Co.
  1. 「概要」『会社概要/会社情報/三井住友海上』三井住友海上火災保険、2009年3月31日
  2. 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 2.12 2.13 2.14 金融庁「三井住友海上火災保険株式会社に対する行政処分について」『三井住友海上火災保険株式会…:金融庁』金融庁、2006年6月21日
  3. 資産運用事業統合に関する合意について - 5社連名によるリリース(配信元:三井住友海上損害保険) 2012年10月2日(2013年2月23日閲覧)
  4. 金融庁「損害保険会社26社に対する行政処分について」『損害保険会社26社に対する行…:金融庁』金融庁、2005年11月25日。
  5. 三井住友海上火災保険『業務改善計画の実施状況について2007年3月20日、4頁。
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 「顧客リストを謝って一般宅へファックス送信 - 三井住友海上メットライフ生命」『顧客リストを謝って一般宅へファックス送信 - 三井住友海上メットライフ生命:Security NEXT』ニュースガイア、2009年8月24日
  7. なお、2010年(平成22年)4月1日付の人事で、持株の社長に専念するため、旧大正海上出身の江頭社長が代表権のある会長となり、後任には、旧住友海上出身の柄澤康喜専務が昇格し、柄澤専務と同じ旧住友海上出身の秦会長が取締役に退く。ここでもやはりたすきがけとなっている。
  8. 植村裕之『役員の異動に関するお知らせ2006年5月1日、1頁。
  9. 読売新聞 2006年6月22日 - 三井住友海上、医療保険を無期限停止…金融庁処分