三菱・コルト1000
コルト1000 (COLT 1000)は、三菱自動車工業の前身である新三菱重工業、後に三菱重工業が製造・販売していた自動車である。
本稿では、改良型であるコルト1100、コルト1200、コルト1500についても記述する。
概要
1963年6月、従来のコルト600の上位車種として登場。当時流行のフラットデッキスタイルを備えた、三菱初の4ドアセダンであった。
ジープの国産化やシルバーピジョン・スクーターなどから小型車生産に携わるようになった名古屋市・大江の名古屋自動車製作所および京都市の京都製作所を中心とした開発グループの手になるモデルである。同じ新三菱系ながら、オート三輪トラック「みずしま」の開発・生産を起源とする岡山県の水島自動車製作所の製品(軽自動車の初代ミニカ、2ストロークエンジン車のコルト800)とは完全に別系統のモデルであった。
当初1000でスタートし、2年後にはデボネアとの格差を埋めるために1500シリーズを追加。1000は後に排気量をアップし1100シリーズに移行する。1968年5月にはニュー・コルトとして同一ボディの1200/1500シリーズに収束する。後期にはコルトシリーズ初の本格的ホットモデル 1500スーパースポーツ(SS)が存在したこともあった。
堅実な設計だが特徴の薄い小型セダンで、1960年代中期に盛んであった競合メーカー各社の新車攻勢の中ではさしたる成績を収めるには至らなかった。1969年のコルトギャランの登場によりコルトは1200のみに整理されたが、しばらくの間細々と販売されていた。
歴史
1963年6月、発売。三菱初の量産型4ドアセダンで、また、KE43型と命名されたOHV・直列4気筒の水冷エンジンも三菱の量産乗用車用としては初のものである。最高出力51ps 最高速度125km/h デザインは初代デボネアに先行して、ゼネラル・モーターズ出身のハンス・S・ブレッツナーが関与している。
1965年10月、KE45型OHV・水冷直列4気筒エンジンを搭載した1500発売。デボネアの6気筒用シリンダーブロックをベースに、ボアを広げて4気筒用としたもの。最高出力70ps 最高速度140km/h 外観は丸型4灯式ヘッドライトとなり、また1000と基本的ボディデザインは共通ながらも全長、ホイールベース共に延長された。
1966年9月、コルト1000F(コルト800のボディに1000ccユニット搭載)デビューと同時にセダン1000も1100cc(KE44型OHV・水冷直列4気筒エンジン)へ換装。最高出力58ps 最高速度135km/h 国産としては初の1.1リッターユニットで「プラス100ccの余裕」で有名な初代カローラのデビューより2ヶ月早かった。
1966年12月、1500スポーツセダンを追加。1100のボディに1500用パワーユニットを搭載。最高出力は70psと標準型1500と変わらず。最高速度は145km/h。1100スポーティDXと共通の黒塗りグリルが装着され、メカニズム面では三菱車としては初のフロントディスクブレーキが採用された。
1968年5月、マイナーチェンジ。セダン系は角型ヘッドライトとなる。ボディは1500のものに一本化され、また従来の1100ccは1200cc(KE46型OHV・水冷直列4気筒エンジン)に変更された。メカニズム面ではチルトステアリングを採用。1200は最高出力62ps 最高速度140km/h
1968年8月、1500スーパースポーツを追加。標準型1500に対し、圧縮比8.5を10.0に高め、またSUツインキャブレターを装着して最高出力85ps 最高出力155km/h。
1969年10月、コルトギャランのデビューに伴い、1200のみに車種整理されるが1970年いっぱいで生産中止となる。
- Mitsubishi-Colt1500.jpg
コルト1500
後継車
1969年12月にコルト・ギャランが発売されるが、コルト・ギャランはトヨタ・コロナや日産・ブルーバードのライバルとなり車格が大型化したため、三菱のコンパクトセダンが復活するのは1973年登場のランサーまで待たなければならなかった。
参考文献
- 『セピアカラーで綴る1960年代のクルマたち』-モーターマガジン社