レオ・レオニ

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テンプレート:Infobox 芸術家 レオ・レオニテンプレート:Llang1910年5月5日 - 1999年10月11日)は、アメリカ合衆国イタリアイラストレーター絵本作家レオ・レオーニと表記されることもある。

来歴

生い立ち

1910年オランダアムステルダムにて、ダイヤモンドカッター工の父ルイス・レオニ(レオが9歳の時に公認会計士の資格を取得する)と母エリザベト(後にウィレム・メンゲルベルクに見出されオペラ歌手として活躍)の間に生まれた[1]。家はユダヤ人の裕福な家庭で、コレクターの叔父の影響で、ピカソクレーなどの芸術に囲まれて育った。また市長から特別許可を得たことで、自宅から徒歩圏内にあったオランダ王立美術館の石膏像の部屋でのデッサンが許されていた。学生時代はベルギーブリュッセルアメリカフィラデルフィアへの引越しを経た後、14歳の時にイタリアジェノヴァに移住し、その後スイスチューリッヒ大学にて経済学を学ぶ。

アメリカ移住と絵本作家デビュー

1931年、21歳のレオは当時18歳のノーラ・マッフィー結婚した[2]。同時期フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティと出会い、未来派グループに参加するが、1932年の展覧会以降は距離を置くことになる。1939年、イタリアのファシスト政権誕生と人種差別法公布により、アメリカ合衆国亡命し、フィラデルフィアの広告代理店NWエイヤーに就職する。ニューヨークで複数の新聞社美術担当編集者、グラフィックデザイナーとして働きながら、美術学校や大学で講義を行い、各都市での巡回展も開いた。1945年にアメリカ国籍を取得し、1953年にはアスペン国際デザイン会議の初代会長を勤める。エリック・カールの才能を見出し、ニューヨーク・タイムズ広報部への就職を世話した上、編集者を送り絵本の仕事も勧めた。1959年、孫のために作った絵本『あおくんときいろちゃん』で絵本作家としてデビューを果たした。

イタリア帰国後

1962年、再びイタリアに戻り、自身のイラストレーターや、彫刻の活動を始める。以後およそ40冊の絵本を発表する。1970年以来想像上の植物の構想を練り始め、1976年に「平行植物」の題で学術書の体裁で出版された。

1999年、イタリアのトスカーナ州で死去。

作品

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

  • 「レオ・レオニ 絵本のしごと」カタログ 2013年、Bunkamura
  • 「レオ・レオーニ 希望の絵本をつくる人」松岡希代子 2013年、美術出版社

外部リンク

  • "Preface", About Leo Lionni | 100 Years of Leo Lionni, Random House.
  • "On the Brink of War", About Leo Lionni | 100 Years of Leo Lionni, Random House.