モン・サン=ミシェル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Coor title dms

テンプレート:Infobox

ファイル:Mont Saint Michel village.jpg
モンサンミシェルにある家々
ファイル:200506 - Mont Saint-Michel 20 - Street.JPG
修道院下の狭い路地は店が立ち並び観光客で溢れている
ファイル:Mont-Saint-Michel-2004.jpg
陸地化が進んだ様子(2004年当時)

モン・サン=ミシェルMont Saint-Michel)は、フランス西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶ小島であり、同名の修道院がある。モン・サン=ミシェルは「聖ミカエルの山」の意で、旧約聖書にその名が記される大天使・ミカエルのフランス語読みに由来する。行政上はル・モン=サン=ミシェルというコミューンを形成する。

カトリックの巡礼地のひとつであり「西洋の驚異」と称され、1979年「モン・サン=ミシェルとその湾」としてユネスコ世界遺産文化遺産)に登録され、1994年10月にはラムサール条約登録地となった。

地形

ノルマンディー地方南部・ブルターニュとの境に近いサン・マロ湾はヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所として知られる。潮の満ち引きの差は15メートル以上ある。このため、湾の南東部に位置する修道院が築かれた岩でできた小島はかつては満ち潮の時には海に浮かび、引き潮の時には自然に現れる陸橋で陸と繋がっていた(トンボロ現象)。島の入口には潮の干満時刻を示した表示があり、満潮時には浜に降りないようにと記されている。最も大きい潮が押し寄せるのは満月と新月の28-36時間後といわれており、引き潮により沖合い18kmまで引いた潮が、猛烈な速度で押し寄せる。このためかつては多くの巡礼者が潮に飲まれて命を落としたといい、「モン・サン=ミシェルに行くなら、遺書を置いて行け」という言い伝えがあった。

1877年に対岸との間に地続きの道路が作られ、潮の干満に関係なく島へと渡れるようになった。しかし、これによって潮流をせき止めることとなり、100年間で2mもの砂が堆積してしまった。急速な陸地化(陸繋島化)が島の周囲で進行しており、島の間際まで潮がくることは滅多になくなりつつある。かつての姿を取り戻すべく2009年には地続きの道路が取り壊され、2010年には代替となる新たな橋がかけられることが計画されている。 なお、橋は現在建設中で2014年の完成を目指している。

ファイル:Mont st michel aerial.jpg
サン・マロ湾に浮かぶモン・サン=ミシェル

世界遺産の厳島神社がある広島県廿日市市とは姉妹都市である。

イギリス海峡を挟んで英国コーンウォール州にある英語で同名のテンプレート:仮リンクはモン・サン=ミシェルそっくりの小島で、古い城砦と教会がある。また、同じ聖ミカエルの修道院はアイルランド南西端の島であるスケリッグ・マイケルでもケルト人が始めており、モン・サン=ミシェルまで結んだ、これら3か所はほぼ一直線上に位置する。

建築物

主要部はゴシック様式だが、内部はさまざまな中世の建築方式が混ざり合って構成されている。教会堂はカロリング期の様式で、身廊はテンプレート:仮リンク1112世紀)、百年戦争後の1421年に破壊されたロマネスク様式の内陣はフランボワイアン・ゴシック様式(15世紀半ば~16世紀初頭)として再建された。これら周囲を13世紀の重層構造の修道院建築と13~15世紀の軍事施設が取り囲んでいる。ゴシック・リヴァイヴァル建築の鐘楼と尖塔は1897年に完成し、その上に奉られた剣と秤を持つ金のミカエル像は彫刻家テンプレート:仮リンクによって製作された。深層部からは、岩山の上に幾層にもわたり建造され続けた建築遺構も残る。

モン・サン=ミシェルの歴史

  • この島はもともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民ケルト人が信仰する聖地であった。
  • 708年、アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けたが、悪魔の悪戯だと思い信じなかった。再び同じ夢を見たが、また信じなかった。ついに3度目には大天使はしびれを切らし、今度はオベールの額に指を触れて強く命じたところ、オベールは稲妻が脳天を走る夢を見た。翌朝、オベールは自分の頭に手を置くと脳天に穴が開いていることに気づいて愕然とし、ここに至って大天使ミカエルのお告げが本物であると確信してここに礼拝堂を作ったのが始まりである。
  • 966年にはノルマンディー公テンプレート:仮リンクベネディクト会の修道院を島に建て、これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になったものである。中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきた。
  • 百年戦争の期間は島全体が英仏海峡に浮かぶ要塞の役目をしていた。モン・サン=ミシェルの入り口には今もイギリス軍が捨てていった大砲とその弾が残っている。
  • 18世紀末のフランス革命時に修道院は廃止され1863年まで国の監獄として使用され、その後荒廃していたが、ヴィクトル・ユゴーの紹介がナポレオン3世を動かし、1865年に再び修道院として復元され、ミサが行われるようになった。
  • 19世紀には陸との間に堤防を造成して鉄道・道路ができ陸続きになり(鉄道は後に廃止)、フランス西部の有数の観光地となっている。
  • 1979年にはユネスコ世界遺産に登録された。2006.8.5現在、3人の修道士が在住し、9人の修道女が近隣の町から通って運営に当たっている。
  • 近年、堤防道路(1849年築造)の影響により、島の周囲が砂洲化しつつあり、国家事業として2億3000万ユーロ(約312億円)をかけて、かつての「島」に戻す工事が進んでいる。2006年から着手し2015年完成予定で、駐車場となっている堤防の代わりに橋でつなぎ、海流により堆積砂を取り除く。これに先立ち、潮の流れを妨げにくい脚付きの橋(長さ約760m)が2014年7月22日に開通した[1][2]

入り口にある「プラールおばさん」(la Mère Poulard)のオムレツ(スフレリーヌ)が名物料理となっている。

世界遺産

1979年に登録され、2007年に緩衝地域が拡張された。

登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。テンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/core

アクセス

  • パリモンパルナス駅からフランス高速鉄道TGVで約2時間半、レンヌ駅下車。レンヌ駅北口を出て右手すぐのバス乗り場から、モンサンミシェル行きのバスで約1時間20分。
  • パリモンパルナス駅からフランス高速鉄道TGVで約3時間、ドル・ド・ブルターニュ駅下車。ドル・ド・ブルターニュ駅を出て右手すぐのバス乗り場から、モンサンミシェル行きのバスで約30分。
  • パリから観光ツアーバスで約4時間。

参考文献

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:フランスの世界遺産

テンプレート:Link GA
  1. モンサンミシェルの橋開通=「孤島」回復へ期待-仏
  2. 仏 モンサンミシェルに新たな橋