ピレスロイド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ピレトリンから転送)
移動先: 案内検索

ピレスロイド (pyrethroid) とは、除虫菊 (Chrysanthemum cinerariaefolium Bocquilon) に含まれる有効成分の総称で、今日では各種誘導体が合成され広く殺虫剤として利用されている。天然に産するピレスロイドは菊酸を共通構造にもっており、ピレトリン I (Pyrethrin I) とピレトリン II (Pyrethrin II) を主成分とする6種の化合物の混合物である。また、微量成分のピレスロイドとしてシネリン Iシネリン II あるいはジャスモリン Iジャスモリン II も含まれ、いずれもピレトリンと同様な作用を持つことが知られている。

ピレトリンの誘導体は合成ピレスロイドと呼ばれ、アレスリンなどが知られている。ピレスロイド類は昆虫類両生類爬虫類神経細胞上の受容体に作用し、Na+チャネルを持続的に開くことにより脱分極を生じさせる神経毒である。哺乳類鳥類の受容体に対する作用は弱いので安全性の高い殺虫剤である。初期の合成ピレスロイドには菊酸構造が存在したが、現在の合成ピレスロイドには共通化学構造はもはや存在しない。

構造

天然ピレスロイドは酸性分の菊酸とアルコール成分のピレスロロンとの酸エステルである。

菊酸

テンプレート:Main 菊酸(きくさん、chrysanthem(um)ic acid)はシクロプロパンカルボン酸の一種でテルペノイドである。1891年、シュラクデンホーフェン (Schlagdenhauffen) とレーブ (Reeb) が除虫菊を水蒸気蒸留することにより単離した。菊カルボン酸 (chrysanthemum-monocarboxylic acid) とも呼ばれる。

化学式 C10H16O2 で、分子量は168.23。IUPAC名は (1R,3R)-2,2-ジメチル-3-(2-メチル-1-プロペニル)シクロプロパンカルボン酸、CAS登録番号は4638-92-0。融点17–21℃の不安定な黄色の油様物質で殺虫作用を持つが、光、空気酸化により分解し失活する。不揮発性で、などの極性溶媒には溶けにくい。

ピレスロロン

(Pyrethrolone) はピレトリンの菊酸エステルのアルコール成分 (1S)-2-メチル-4-オキソ-3-(2Z)-2,4-ペンタジエニル-2-シクロペンテン-1-オールにつけられた慣用名である。

利用

除虫菊18世紀ヨーロッパでその粉末が農薬として利用され、その後除虫菊は米国あるいは日本へと普及していった。

日本では明治時代に除虫菊が導入され、1890年明治23年)に上山英一郎が、江戸時代以来の「蚊遣り火」に除虫菊を応用した蚊取線香を発明し、それが普及することでピレスロイドが殺虫剤として広く利用されるようになった。今日では除虫菊そのものが利用されることは殆どなくなり、蚊取り線香であっても合成されたピレトリンやアレトリン等の合成ピレスロイドを原料にして製造されている。

天然ピレスロイドのピレトリンは光、酸素、アルカリに不安定で、環境中に揮発した後は速やかに分解・失活する短時間作用型の防虫剤である。この性質は農薬としては欠点となり、あるいは除虫菊を原料とするのでは大量生産は困難であることから、20世紀前半から合成ピレスロイドが研究され、実用化されるようになった。合成ピレスロイドの実用化により、農薬・家庭内殺虫剤としてピレスロイド系薬剤が広く利用されるようになり、エアロゾル剤(殺虫スプレー)、燻蒸剤、揮発製剤(防虫シート)、乳剤(防疫用・園芸用)など多様な利用形態が開発されている。

疫学的にはマラリア黄熱病などを媒介する蚊などを防除する目的で除虫菊が古くから利用されてきた。第二次世界大戦以降はDDTなど有機塩素系農薬が汎用された時代もあったが、有機塩素系農薬の残留性・体内蓄積性が問題となり製造禁止になると再び合成ピレスロイドも、ダニなど媒介動物の駆除に利用されるようになった。日本国では蚊取り線香などが利用されるが、中央アフリカなどでは合成ピレスロイドを吸着させた蚊帳も利用されている。しかしピレスロイド耐性の蚊が1996年平成8年)に発見され、蚊・ダニなどに対する耐性発現が問題になっている。

ピレスロイドは哺乳類・鳥類に対する毒性は比較的低く、昆虫・両生類・爬虫類などには強力に作用するため、人畜防虫剤として有用である[1]。害虫駆除のためのピレスロイドの利点として、速効性、忌避効果(嫌がってピレスロイド濃度の高い部分に近づかない)、フラッシングアウト(隠れている虫を追い出して殺す効果)、安全性(人間など、恒温動物に対して有害性が低い)が指摘されている[2]

天然ピレスロイド

ピレトリン

ピレトリンは (Pyrethrin) 1919年大正8年)と1923年(大正12年)に山本の構造決定の報告があるが、1924年にスイスのヘルマン・シュタウディンガーレオポルト・ルジチカによって殺虫活性物質の主成分の構造が決定され彼らによりピレトリンと命名された。ピレトリンは混合物で、ピレトリン I とピレトリン II が含まれ、いずれも殺虫作用を持つ。昆虫の神経受容体に強力に作用するが、哺乳類の受容体に対する作用は比較的弱く、昆虫への作用量ではまったく作用を表さない為、除虫菊としての使用を含め人畜防虫剤として古くから利用されてきた。光や空気酸化により速やかに失活するので作用時間が短い特徴がある。

皮膚に直接塗布してアレルギーを誘発する例がある。大量のピレトリンにさらされると、 紅斑皮膚炎丘疹掻痒などの皮膚症状気管支喘息傾眠血管運動神経性鼻炎アナフィラキシー様反応、口唇のしびれ感、吐き気下痢耳鳴り頭痛情動不安協調運動障害間代性痙攣知覚麻痺衰弱など神経症状が現れることがある。重篤な場合は中枢性の呼吸停止により死に至る場合がある。

  • ピレトリン I (Pyrethrin I) — IUPAC名は (1R,3R)-2,2-ジメチル-3-(2-メチル-1-プロペニル)シクロプロパンカルボン酸 (1S)-2-メチル-4-オキソ-3-(2Z)-2,4-ペンタジエニル-2-シクロペンテン-1-イルエステル、CAS登録番号は121-21-1。空気中で速やかに酸化を受け失活する。
  • ピレトリン II (Pyrethrin II) — IUPAC名は (1R,3R)-3-[(1E)-3-メトキシ-2-メチル-3-オキソ-1-プロペニル]-2,2-ジメチルシクロプロパンカルボン酸 (1S)-2-メチル-4-オキソ-3-(2Z)-2,4-ペンタジエニル-2-シクロペンテン-1-イルエステル、CAS登録番号は121-21-1。空気中で速やかに酸化を受け失活する。

シネリン

ファイル:構造式 Cinerin.png
シネリン 構造式

1945年昭和20年)に除虫菊から再発見されたピレスロイド。ピレトリンと同様な作用を持つ。皮膚に直接塗布してアレルギーを誘発する例がある。大量のシネリンにさらされると、 紅斑、皮膚炎、丘疹、掻痒などの皮膚症状、喘息、傾眠、血管運動神経性鼻炎、アナフィラキシー様反応、口唇のしびれ感、吐き気、下痢、耳鳴り、頭痛、情動不安、協調運動障害、間代性痙攣、知覚麻痺、衰弱など神経症状が現れることがある。重篤な場合は中枢性の呼吸停止により死に至る場合がある。

  • シネリンI (Cinerin I) — IUPAC名は (1R,3R)-2,2-ジメチル-3-(2-メチル-1-プロペニル)シクロプロパンカルボン酸 (1S)-3-(2Z)-(2-ブテニル)-2-メチル-4-オキソ-2-シクロペンテン-1-イルエステル、CAS登録番号は25402-06-6。空気中で速やかに酸化を受け失活する。
  • シネリンII (Cinerin II) — IUPAC名は (1R,3R)-3-[(1E)-3-メトキシ-2-メチル-3-オキソ-1-プロペニル]-2,2-ジメチルシクロプロパンカルボン酸 (1S)-3-(2Z)-(2-ブテニル)-2-メチル-4-オキソ-2-シクロペンテン-1-イルエステル、CAS登録番号は121-20-0。空気中で速やかに酸化を受け失活する。

ジャスモリン

ファイル:構造式 Jasmolin.png
ジャスモリン 構造式

(Jasmoline) ジャスモリンのアルコール成分は、ジャスミンの香り成分ジャスモンの4位にヒドロキシ基が付いたアルコールである。他のピレスロイドと同様に殺虫作用を持つ。

  • ジャスモリン I (Jasmoline I) — IUPAC名は (1R,3R)-2,2-ジメチル-3-(2-メチル-1-プロペニル)シクロプロパンカルボン酸 (1S)-2-メチル-4-オキソ-3-(2Z)-2-ペンテニル-2-シクロペンテン-1-イルエステル、CAS登録番号は4466-14-2。
  • ジャスモリン II (Jasmoline II) — IUPAC名は (1R,3R)-3-[(1E)-3-メトキシ-2-メチル-3-オキソ-1-プロペニル]-2,2-ジメチルシクロプロパンカルボン酸 (1S)-2-メチル-4-オキソ-3-(2Z)-2-ペンテニル-2-シクロペンテン-1-イルエステル、CAS登録番号は1172-63-0。

合成ピレスロイド

アレスリン

ファイル:Allethrin 2D.svg
アレスリンI (R = −CH3)
アレスリンII (R = −COO</sub>CH3)

テンプレート:Main アレスリン(Allethrin)はピレトリンの構造を元に初めて合成化学的に創造された殺虫剤で、構造が異なるアレスリン I、アレスリン II が知られている。なお、いずれも立体不明の混合物として合成および命名されているので、アレスリンと呼んだ場合は8種の異性体混合物を指す。

  • アレスリン I (Allethrin I) — IUPAC名は 2,2-ジメチル-3-(2-メチル-1-プロペニル)シクロプロパンカルボン酸 2-メチル-4-オキソ-3-(2-プロペニル)-2-シクロペンテン-1-イルエステル、CAS登録番号584-79-2。150℃以上で分解せずに揮発する。光、空気、アルカリに不安定。
  • アレスリン II (Allethrin II) — IUPAC名は 3-(3-メトキシ-2-メチル-3-オキソ-1-プロペニル)-2,2-ジメチルシクロプロパンカルボン酸 2-メチル-4-オキソ-3-(2-プロペニル)-2-シクロペンテン-1-イルエステル、CAS登録番号497-92-7。光、空気、アルカリに不安定。

その他の合成ピレスロイド

脚注

  1. ピレスロイドの特長は?(キンチョー公式ホームページより)
  2. ピレスロイドの特長は?(キンチョー公式ホームページより)