トーマス・クレスティル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トーマス・クレスティル Thomas Klestil | |||||
ファイル:Thomas Klestil.jpg |
| ||||
任期 | 1992年7月8日 – 2004年7月6日 | ||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
出生 | 1932年11月4日 テンプレート:Flagicon オーストリア ウィーン | ||||
死去 | テンプレート:死亡年月日と没年齢 テンプレート:Flagicon オーストリア ウィーン |
政党 | オーストリア国民党 | 配偶者 | マルゴット・クレスティル=レフラー |
トーマス・クレスティル(Thomas Klestil, 1932年11月4日-2004年7月6日)はオーストリアの政治家。連邦大統領(在任1992年7月8日-2004年7月6日)。退任の2日前に死去した。
1957年ウィーンで商学博士号を取得した後、オーストリア政府に勤務し、国連大使(1978年-1982年)、駐米大使(1982年 - 1987年)、オーストリア外務省事務長(1987年 - 1992年)を経た後、1992年保守派のオーストリア国民党から大統領選挙に出馬、当選した。同年7月8日クルト・ヴァルトハイム大統領に代わって就任、1998年にも再選された。ただ同じ国民党のヴォルフガング・シュッセル首相との仲は極めて悪かった。2004年7月8日退任予定であったが、7月5日持病の心臓発作のため緊急入院し、6日ウィーンの病院で死去した。8日には予定通り、オーストリア社会民主党のハインツ・フィッシャー大統領当選者が就任した。
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
クルト・ヴァルトハイム
|style="width:40%; text-align:center"|連邦大統領 (オーストリア)
1992 - 2004
|style="width:30%"|次代:
ハインツ・フィッシャー
- 転送 Template:End