チベット十三万戸
チベット十三万戸( - じゅうさんばんこ)はチベット語で「プー・ティコル・チュクスム(bod khri skor bcu gsum)」、中央チベットもしくはチベット全土の総称として用いられるチベットの地理的区分法式の一つ。単に「十三万戸(ティコル・チュクスム)」とも。モンゴル帝国期、チベット各地の有力領主たちが万戸制に基づく「ティ・プン」(万戸長)に任じられたことに由来する呼称。
モンゴル帝国期に配置された万戸府の所在
モンゴル帝国は、服属したチベットの諸侯を、サキャのクン氏に統括させ、大小の領主に「ティプン」その他の大小の官職をあたえた。チベットは、名目上、帝師もしくは国師として大ハーンに近侍するサキャ寺の座主を長官とし、「仏教の僧侶と信者および吐蕃の領域を管轄し、これを統治する」ことを職務とする宣政院の下,いくつかに区分された。うち、中央チベットの烏思蔵・納里速古魯孫(ウーツァン、ガリ・コルスム)等三路宣慰使司属下の万戸府として、『元史』巻八七には11の万戸が列挙されているが、後述する、のちのチベット文献に登場する万戸の所在とは一致しない。
中央チベットの別称として
後世、中央チベットの別称としてチベット十三万戸という呼称が用いられるようになるが、その際に列挙される十三の万戸府の所在地は文献によって相違し、以下のような地名が挙げられている。
- 「ツァンの六万戸」として北ラトェ、南ラトェ、ガリ、チュミク、シャン、シャル、グルモなど
- 「ウーの六万戸」としてギャマ、ディクン、ツェルパ、パクモトゥ、ヤブサン、タンポチェワ、「ラ・チャ・ドゥクの三所をひとつにまとめた一万戸」など
- 「ウー、ツァンの中間」としてヤンドゥク
チベット全体の総称として
さらに後世、「プー・ティコル・チュクスム」という用語がモンゴル帝国期の万戸制に由来する、という記憶がうすれてくると、チベットの全域を十三に区分した場合の総称だだという理解があらわれてくるようになった。その場合の「十三」地方の内容は、
- ガリ三域(ガリ・コルスム)
- ウーツァン四翼(ウー・ツァン・ルシ)
- カム六高地(カム・カンドゥク)
という表現で提示された。この 1 - 3 は、それぞれ西チベット、中央チベット、東チベットをあらわすのにふるくから用いられてきた呼称である。
関連項目
※チベットの伝統的な地理区分
※「大チベット」、「大チベット区」に関して
※その他チベットの地理に関する関連項目