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'''ジャック・マイヨール'''('''Jacques Mayol''', [[1927年]][[4月1日]]- [[2001年]][[12月22日]])は、[[フランス]]の[[フリーダイビング|フリーダイバー]]。[[上海市|上海]]生まれ。イタリア・エルバ島没。 ==生涯== 4歳の時、母親に初めて水とのつき合い方を教わる。10歳の時に、[[佐賀県]][[唐津市]]の[[七つ釜]]ではじめて[[イルカ]]と出会い、その後の生活の原点となる。12歳で一家でフランス・[[マルセイユ]]に移住。17歳で父の設計事務所で働きながら[[バカロレア]]を取得。高校を出ると[[北極圏]]で[[イヌイット]]と暮らすなど、以後[[コペンハーゲン]]を起点に旅を繰り返す。 22歳の時、ヴィブケ・ボージュ・ワズショルドと間に長女ドッティをもうける。正式な結婚は後の25歳の時、[[コペンハーゲン]]にて執り行われた。その後水夫としてカナダ・[[アルバータ州]]、アメリカ・[[マイアミ]]に移住。その間、レポーター、ジャーナリストとして働き、長男ジャン・ジャックが誕生する。 <!-- [[Image:Tursiops truncatus head.jpg|150px|right|thumb|マイヨールはマイアミ水族館で昼休みに"クラウン"という名のイルカとともに泳ぎ多くのことを体得したと著書「イルカと海に帰る日」に述べられている(写真は別のイルカ)]]--> [[フロリダ]]ではフランス語系新聞の手伝いやラジオ番組のリポーターを務めながら、マイアミ水族館で働く。そこで[[1957年]]にイルカの調教を担当したことから水中での泳ぎ方などを体得。 その後水族館をやめて[[タークス・カイコス諸島|カイコス諸島]]に移住し、[[素潜り]]による伊勢エビ漁を島民に教える。その頃になると周りの勧めで[[フリーダイビング]]に挑戦するようになり、[[1966年]]に[[ハバナ]]にて60メートルを記録したのを皮切りに[[エンゾ・マイオルカ]]と共に記録合戦を繰り広げた。[[1973年]]、イタリアに居を移し、10余りの潜水実験に参加。それにより数十メートルの深度でフリーダイビング中のマイヨールの[[脈拍]]が毎分26回になっていることや[[赤血球]]が著しく増加していることが、スキューバで潜った医師によって測定されたこともある<!--(フリーダイビングについての医学的知識の進歩にも貢献した)-->。[[1976年]][[11月23日]]、[[エルバ島]]にて人類史上初めて素潜りで100メートルを超える記録をつくる。この時49歳であった。 [[1983年]]、母親の葬儀に参列するために[[マルセイユ]]に行った折に[[リュック・ベッソン]]と出会う。[[1988年]]、自伝をもとにした映画「[[グラン・ブルー (映画)|グラン・ブルー]]」が同監督により製作され、世界中の人にその存在を知られる。 [[1989年]]マルセイユ出身の女性編集者ジャンヌ・ラフィットと結婚し、本をいくつか出版する(そのひとつが『イルカと海に帰る日』である)。 大の親日家であり、フリーダイビングに[[ヨーガ]]や[[禅]]を取り入れていた。千葉県[[館山市]]坂田に別荘を設けている。[[1995年]]には[[TBSテレビ]]のドキュメンタリー番組「[[いのちの響]]」に出演したことがある。[[1997年]]の秋には[[27時間チャレンジテレビ|27HOUR SPECIAL CHALLENGE 97]]内で放送された「イルカが海に帰る日 ~ユキよ、自由の海を泳げ~」のスペシャルゲストを担当した。 ダイビングの第一線から引退した後は、[[イルカ]]と人間との共存を訴えた。晩年は[[うつ病]]を患っていた。2001年12月22日、[[イタリア]]・[[エルバ島]]の自宅の部屋で首吊り自殺をしているのが発見された。遺体のそばのテーブルの上に、「グラン・ブルー」のビデオと、直前に出演したテレビ朝日の「[[グレートマザー物語]]」のビデオが置いてあった。彼の自殺直前の状況については、兄ピエールの『ジャック・マイヨール、イルカと海に還る』(ISBN 4062119587)に詳しい。 遺骨は[[トスカーナ]][[湾]]に[[散骨]]された。 == マイヨールの記録 == *[[1966年]] : 60 m *[[1976年]] : 100 m *[[1983年]] : 105 m(55歳にて) ==著作== *『イルカと海に帰る日』(原題:ホモ・デルフィナス 訳:関邦博) ISBN 4062061473 *『海の記憶を求めて』(兄ピエールとの共著) ISBN 4881356372 *『イルカと、海に還る日』(ピエール・マイヨール、パトリック・ムートン著) ISBN 4062119587 ==参考文献== *『潜る人 ジャック・マイヨールと大崎映晋』 [[佐藤嘉尚]]著 文藝春秋刊 2006年1月 ISBN 4-16-367860-3 ==関連映画== *『[http://chi.iii.u-tokyo.ac.jp/film/blog/ Blue Symphony ブルーシンフォニー ジャック・マイヨールの愛した海]』製作:産学共同映像研究所有限責任事業組合/[[東京大学]]大学院情報学環/[[唐津市]] 2008年10月[[東京国際映画祭]]招待作品/監督[[みつよしたかひろ]] == 外部リンク == *[http://www.jacques-mayol.net/index.html ジャック・マイヨール公式サイト] (フランス語・英語・日本語で閲覧可能) {{DEFAULTSORT:まいよおる しやつく}} [[Category:フランスのスポーツ選手]] [[Category:上海出身の人物]] [[Category:自殺した人物]] [[Category:1927年生]] [[Category:2001年没]]
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