クヌーズ1世 (デンマーク王)
クヌーズ1世(Canute / Cnut / Knut I、995年 - 1035年11月12日)は、ノルマン系デーン人で、イングランド王・デンマーク王・ノルウェー王を兼ねた王(イングランド王在位:1016年 - 1035年、デンマーク王在位:1018年 - 1035年、ノルウェー王在位:1028年〈1030年説あり〉 - 1035年)。クヌート、カヌート、クヌットなどとも。
人物略歴
デンマーク王スヴェン1世の子。 母はスラヴ人レフ族(ポラニェ族)の族長でポーランド統一者であるミェシュコ1世の娘シフィエントスワヴァ[1][2][3](嫁ぎ先で王妃グンヒルトと呼ばれた)。同じくミェシュコ1世の子であるポーランド国王ボレスワフ1世(勇敢王)は叔父にあたる。ただし、『ヘイムスクリングラ』[4]、『テンプレート:仮リンク』によれば、母はヴェンドの王ブリスラヴの娘のグンヒルド(en)とされている。
父スヴェンおよび叔父ボレスワフ1世配下のポーランド諸侯と共にイングランドに侵攻して活躍した。1014年、父が戦死した後、その後を継いで戦い続けて勢力を拡大した。それをもって1016年、アングロ・サクソン封建家臣団の会議でイングランド王に推挙され、即位することとなった。1018年には兄ハーラル2世の死によりデンマーク王位を継承した。その後はノルウェーやスウェーデンに遠征して勢力を拡大した。1028年にはノルウェー王位も兼ねることとなり、3国の王位を兼ねて「大王」と称された。ここに、広大な北海帝国を築き上げたのである。
1035年、41歳で死去した。死後、後継者争いが起こって、北海帝国はクヌーズの死後わずか7年で崩壊した。
子女
最初に、ノーサンプトン伯アルフヘルムの娘エルギフ(エルギヴァ)と結婚した。
- スヴェン(? - 1036年) - ノルウェー王(父と共治)(1030年 - 1035年)
- ハロルド1世(1015年頃 - 1040年) - イングランド王
二度目に、ノルマンディー公リシャール1世の娘で、イングランド王エゼルレッド2世の未亡人エンマと結婚した。
脚注
参考文献
- Campbell, Alistair (ed.) (1949) Encomium Emmae Reginae. (Camden third series; no. 72.) London: Royal Historical Society (Reissued by Cambridge University Press with a supplementary introduction by Simon Keynes, 1988.)
- Thietmar (1962) Chronik: Chronicon; Neu übertragen und erläutert von Werner Trillmich. Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft
- テンプレート:Citation
関連項目
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- ↑ Encomiast, Encomium Emmae, ii. 2, pg. 18
- ↑ Thietmar, Chronicon, vii. 39, pgs. 446-447
- ↑ Trow, Cnut, p. 40.
- ↑ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 - (二)』(スノッリ・ストゥルルソン著、谷口幸男訳、プレスポート・北欧文化通信社)65頁(『オーラヴ・トリュッグヴァソンのサガ』第三十四章 ハラルド・ゴルムスソンの死)。