粘土板
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粘土板(ねんどばん)とは主にメソポタミアで使われた情報伝達のための手段である。
概要
粘土板を用いた文書作成はメソポタミアの楔形文字発生とともに始まったとされている。シュメールの伝説では英雄エンメルカルが使者を派遣する際に使者が口上を覚えられないために粘土板に記したとされている。また、発掘によって確認された最古の粘土板文書はウルク遺跡第4層から出土し、紀元前3300年頃のものとされているが、その内容は農作業や牧畜に関するものであり、伝説・考古学いずれも実用目的に由来しているところが特徴的である。通常は自然乾燥を施されるが、重要な文書は火で焼き固められて保存性を高めた。粘土板文化圏はメソポタミアを中心としてシリア・アナトリア・エラムにまたがる広範囲なもので、時代の下限もアケメネス朝・ヘレニズムに至っている。そこに書かれた言語もシュメール語・アッカド語・ヒッタイト語・エルム語など古代オリエントの多くの言語にわたっている。[1]
製法
- 泥を用意する
- 篩にかけ、水でよく洗い、不純物を取り去る
- なお、ここで干し草を加えると家屋を造るための煉瓦になる
- 板の形にして楔形文字を刻む
- 重要な文書の場合日干しにして焼き、そうでない場合単に陰干しにして乾かす
- 2に関しては、メソポタミアの場合は省くことが出来る。なぜなら河が泥を運んでくるときに十分に水洗いされ綺麗になっているからである。
主な用法
- 国政のための様々なデータの保管
- 商取引のための契約書
- 国内での売買契約、貸借契約の証
- 外交で条約などを締結するときの公文書
- 図書館などに置く学術書、詩、等
- 知識の蓄積の目的で図書館が建てられ、その蔵書は粘土板で作られた
- 粘土板に文字を書く勉強のための練習用ノート
- 文字を書く技術を習得するための学校のような施設があり、生徒は粘土板に書き取りをしていた(日本語でいう五十音の表やそれの書きかけのものも見つかっている)
- (貴族などの)持ち物の覚え書き
- 粘土板から貴族や富豪の夫人が服を蒐集し、リストを作っていたことが分かった
- バビロニアの世界地図
- バビロニア数学
- 紀元前1800年頃に書かれたプリンプトン322にはピタゴラス数(Pythagorean triple)が記されている。
脚注
- ↑ 前田徹「粘土板文書」『歴史学事典 6 歴史学の方法』弘文堂、1998年、P494。