岡崎郁
テンプレート:Infobox baseball player 岡崎 郁(おかざき かおる、 1961年6月7日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手(内野手)。
2013年シーズンからは読売ジャイアンツの二軍監督を務める。
来歴・人物
大分商業高校でテンプレート:Byに春夏連続して甲子園に出場。法政大へ進学希望だったが、同年のドラフト3位で巨人に指名され、長嶋茂雄監督の説得により入団。河埜和正、篠塚利夫、中畑清、原辰徳などがいたため出場機会に恵まれなかった。その後、肋膜炎で療養生活を送り、テンプレート:Byに練習生扱いとなる。
テンプレート:Byから一軍に定着。1987年には、失策2で守備率.994と遊撃手としてのシーズン守備率の日本記録(当時)を打ち立てるなど、レギュラークラスの働きを見せるも、規定打席到達は果たせないでいた。しかし入団10年目のテンプレート:By、当時の監督藤田元司に勝負強いバッティングを見出され、キャンプではサードを中心にファーストもこなすなど、コンバートがなされた。オープン戦で首位打者を獲得し、開幕戦はファーストでスタメン出場。その後、中畑清のケガにより、サードに定着した。その後テンプレート:Byまでは、サードのレギュラーポジションを守った。親友・駒田徳広との「恐怖の6・7番コンビ」は、第2のクリーンナップとして他球団から恐れられ、1989年の日本一、テンプレート:Byのリーグ優勝に貢献した。1989年からオールスターゲーム・4年連続セ・リーグ三塁手部門ファン投票選出、日本シリーズでは1989年優秀選手、1990年敢闘賞。翌年からは選手会長・主将も務めた。テンプレート:Byには4番打者も務めた。テンプレート:By以降は元木大介の成長、仁志敏久の入団もあり出場機会が減り、テンプレート:Byに現役引退。
引退後はニッポン放送の野球解説者やスポーツキャスターとして活躍。
テンプレート:Byにニューヨーク・ヤンキースへコーチ留学した後、テンプレート:Byから巨人の二軍打撃コーチに就任した。この間、東京都千代田区三崎町の焼肉店「香おる」のオーナーだった。
テンプレート:Byは二軍ヘッド兼内野守備コーチを務め、テンプレート:Byに吉村禎章の後任として二軍監督に就任した。テンプレート:Byに行われた第17回IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表の監督も務めた。
テンプレート:Byからは2010年シーズン限りで退任した伊原春樹の後任として1軍のヘッドコーチに就任した。
11月11日、翌シーズンについて一度は岡崎のヘッドコーチ留任と決まったものの、渡邉恒雄球団会長によって江川卓とすることが決まり岡崎は降格という人事が、球団代表の清武英利が渡邉を告発するという形で表面化したが、これに対し渡邉は翌12日に江川には正式には要請していないと反論。11月15日、桃井恒和オーナーが巨人キャンプ地の宮崎を訪れ、岡崎に翌季のヘッドコーチ留任を伝えている[1]。球団は江川の名前が挙がったことについて、原辰徳監督と渡邉の会談において多数出た案の中の一つだったと説明、清武はこの問題を理由として18日付で巨人におけるすべての職を解任されている。 テンプレート:Main
2013年シーズンより、二軍監督に就任。
詳細情報
年度別打撃成績
テンプレート:By2 | 巨人 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- |
テンプレート:By2 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
テンプレート:By2 | 96 | 236 | 198 | 27 | 53 | 11 | 0 | 4 | 76 | 19 | 2 | 0 | 4 | 3 | 30 | 7 | 1 | 29 | 5 | .268 | .362 | .384 | .746 | |
テンプレート:By2 | 92 | 314 | 281 | 33 | 83 | 10 | 3 | 6 | 117 | 37 | 0 | 0 | 11 | 4 | 18 | 5 | 0 | 34 | 7 | .295 | .333 | .416 | .750 | |
テンプレート:By2 | 117 | 359 | 297 | 40 | 74 | 17 | 0 | 0 | 91 | 14 | 0 | 1 | 31 | 2 | 28 | 0 | 1 | 61 | 4 | .249 | .314 | .306 | .620 | |
テンプレート:By2 | 106 | 368 | 316 | 38 | 87 | 13 | 5 | 5 | 125 | 30 | 9 | 1 | 17 | 2 | 33 | 0 | 0 | 39 | 5 | .275 | .342 | .396 | .737 | |
テンプレート:By2 | 127 | 501 | 444 | 57 | 119 | 23 | 1 | 12 | 180 | 59 | 4 | 3 | 5 | 5 | 43 | 1 | 4 | 49 | 8 | .268 | .335 | .405 | .740 | |
テンプレート:By2 | 102 | 403 | 356 | 52 | 103 | 24 | 6 | 6 | 157 | 49 | 2 | 1 | 1 | 4 | 41 | 1 | 1 | 50 | 10 | .289 | .361 | .441 | .802 | |
テンプレート:By2 | 113 | 452 | 400 | 44 | 103 | 13 | 1 | 5 | 133 | 44 | 1 | 2 | 2 | 5 | 43 | 4 | 2 | 56 | 10 | .258 | .329 | .333 | .661 | |
テンプレート:By2 | 124 | 510 | 461 | 57 | 116 | 24 | 2 | 12 | 180 | 53 | 1 | 2 | 0 | 2 | 45 | 2 | 2 | 86 | 6 | .252 | .320 | .390 | .710 | |
テンプレート:By2 | 70 | 183 | 165 | 14 | 35 | 3 | 0 | 3 | 47 | 19 | 1 | 1 | 0 | 2 | 15 | 0 | 1 | 30 | 5 | .212 | .279 | .285 | .564 | |
テンプレート:By2 | 111 | 363 | 327 | 35 | 84 | 15 | 0 | 6 | 117 | 45 | 1 | 1 | 1 | 3 | 32 | 1 | 0 | 32 | 13 | .257 | .320 | .358 | .678 | |
テンプレート:By2 | 84 | 259 | 233 | 23 | 48 | 6 | 2 | 3 | 67 | 14 | 2 | 2 | 3 | 0 | 22 | 1 | 1 | 37 | 7 | .206 | .277 | .288 | .565 | |
テンプレート:By2 | 12 | 13 | 11 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 1 | 1 | .091 | .231 | .364 | .594 | |
通算:14年 | 1156 | 3962 | 3490 | 422 | 906 | 159 | 20 | 63 | 1294 | 384 | 23 | 14 | 75 | 32 | 352 | 23 | 13 | 504 | 81 | .260 | .327 | .371 | .698 |
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表彰
記録
- 初出場:1982年10月5日、対横浜大洋ホエールズ25回戦(後楽園球場)、9回表に河埜和正に代わり遊撃手として出場
- 初打席:1983年8月28日、対ヤクルトスワローズ18回戦(後楽園球場)、5回裏に香坂英典の代打として出場、宮本賢治の前に凡退
- 初安打:1985年4月13日、対横浜大洋ホエールズ1回戦(後楽園球場)、8回裏に河埜和正の代打として出場、斉藤明夫から単打
- 初先発出場:1985年4月25日、対中日ドラゴンズ2回戦(後楽園球場)、7番・遊撃手として先発出場
- 初打点:1985年4月26日、対中日ドラゴンズ3回戦(後楽園球場)、3回裏に郭源治から適時打
- 初本塁打:1985年7月31日、対広島東洋カープ13回戦(広島市民球場)、7回表に山根和夫からソロ
- 1000試合出場:1994年6月21日、対広島東洋カープ11回戦(東京ドーム)、5番・二塁手として先発出場 ※史上320人目
- オールスターゲーム出場:4回 (1989年 - 1992年)
背番号
- 45 (1980年 - 1987年)
- 5 (1988年 - 1996年)
- 75 (2006年 - 2008年)
- 83 (2009年 - )
関連情報
出演番組
- ニッポン放送ショウアップナイター - 解説者(1997年~2004年)
- おはようクジラ(TBSテレビ) - スポーツキャスター(1997年4月~1999年3月)
- エクスプレス(TBSテレビ) - 水曜担当キャスター(1999年4月~2002年3月)
関連項目
脚注
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テンプレート:読売ジャイアンツ1979年ドラフト指名選手- ↑ 朝日新聞 2011年11月16日