大山ねずの命神示教会
大山ねずの命神示教会(おおやまねずのみことしんじきょうかい)は、神奈川県横浜市南区蒔田にある宗教法人である。「ねず」は「テンプレート:JIS90フォント」に似た文字で、「氏」の横棒がない字(ファイル:Nezu.png)であるが、表示できない文字であるため、以下平仮名で表記する。
なお、記紀神話に伊弉諾尊と伊弉冉尊の子として登場する「大山祇神」("おおやまづみかみ"、"おおやまつみかみ")という神がいるが、名前が似ているだけで全く関係はない。神社本庁や、大山祇神を祀る大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)、三島神社とも無関係である。
大山ねずの命神示教会の誕生
大山ねずの命神示教会の創始者は、稲飯定雄(1905年 - 1988年)である。
- 昭和21年 稲飯氏が咽頭癌で患っているところを、夢の中に神(大山ねずの命)が現れる。神は「命が欲しければ、神にすがれ、神の教えを世に伝えよ」と言われ、神の使者として神の力を授けられ、命を救われる。
- 昭和23年9月23日 一心に大山ねずの命にすがっていたところ、神より「大山ねずの命の名を世に広め、神の力と神の教えによって大衆を救助せよ。人間にこの世に仕合せな世界を作らせよ。」との啓示を受ける。
- 昭和28年9月23日 横浜市戸部町に大山ねずの命神示教会を設立。また彼はその時に神より、神の使者として供丸斎(ともまるさい)の称号を与えられた。
50年事件と供丸姫の台頭
1952年(昭和27)に宗教法人の認可を得た教会は順調に信者を増やしていった。これには当時の支部長制度が大きく寄与しており、有力な信者を支部長として、信者の勧誘等に動員するものであった。
戸部の神様はよく当る、先が判ると評判が評判を呼び、供丸斎の元に、多くの者が信者として集うようになり、毎月23日に行われる講話には、会場に入りきれず、街に信者が溢れるほど集まるようになった。多くの信者が救われていく一方で、教会にとっての一大事件が起きた。昭和50年、某支部長が信者女性に障害を負わせる事件(いわゆる50年事件)が起きた。このことで、信者の間に動揺が広がり多くの離籍者があらわれ、また供丸斎の妻である供丸嬢や当時の教会幹事長による供丸斎の排除というクーデターが計画された。
その中で、宮元支部長である森日出子(もり ひでこ、1946年 - 2002年)は、クーデター計画を察知し供丸嬢を始めとする幹部職員を粛清、また50年事件についても弟(後の供丸光)の依頼を受けた弁護士の活躍で示談となり、その後不起訴処分となった。それと同時に信者に対する再教育を図り、信者の動揺を最小限に食い止める働きをみせて、供丸斎が無実であることがわかると、脱会者が少なくなり、なぜかこの時期を境とし、さらに信者数が増大していくことになる。 この時粛清された幹部信者は分派抗争を起こし、供丸嬢は横浜市上大岡に新教団を、また一信者の戸村スエ自らを「安丸姫」と僭称し大山ねずの命教会を鎌倉市に創設した。こうした分派は今も存在しているが、本部とは関わりがないものとして、独自の運営をしているとのことだが、詳細は不明。
この出来事(昭和50年)を機に、供丸姫は供丸斎から教会運営を任されるようになり、腐敗の元凶である支部長制度を廃止して、供丸斎→森日出子→信者と教会の一元化をもたらした。それ以後、信者数は昭和50年から昭和60年の10年間で約5万人から80万人にまで膨張を遂げた。その為本拠地を戸部町から横浜市南区宮元町に移すが、多くの信者が詰めかけ、また教会関係の建造物が多く建設されたことより、地域住民との衝突を起したこともあった。
その中で森日出子は昭和60年に使者、昭和61年に直使、そして昭和62年11月15日には供丸姫として、神の御魂が封じ込められた存在とされた。またこの昭和62年は聖なる年とされ、この年を聖日元年とする独自の元号が制定された。これ以後、供丸斎は教会の第一線より身を引き、翌年亡くなった。(後に供丸斎は大山ねずの命の代神と呼ばれることとなる。)
現状
供丸姫の指導のもと大山ねずの命神示教会は勢力を拡大し、現在では、偉光会館という教会独自の施設が日本各地に31ヶ所開設している。 供丸姫は、平成14年9月に永眠(病没)する。 それ以後の教会は、供丸姫が生涯独身で直系子孫がいなかったため、教義や信者の教育を担当する教主・供丸光(供丸姫の弟)と、教会の組織長である神主教会長(供丸姫の兄)、及び2人を補佐する神奉仕・供丸清(供丸姫の甥・教会長の長男)のトロイカ体制で現状を保っている。
信者数は、昭和60年のデータでは85万人。
都道府県別の信者数
都道府県別の信者数は、本部のある神奈川県が最高だが、四国・九州が県別では信者数が多い(特に四国・九州に熱心に布教活動を行っているわけではないのに信者数が多いことは謎である)。また新興宗教の多い大阪では殆ど布教が進まず、信者数が少ない時期もあったが、現在、教会のホームページには、大阪の偉光会館の住所も掲載されている。
教義・教育
大山ねずの命神示教会では、神・仏・人の道を守り、自己の運命を輝かせて人生の正道を歩むことを教義の中心としている。神・直使に対しては、朝晩6時に(信者には、特製の電波時計も用意している)御祈願(神・直使への御礼→懺悔・わび→自分の希望を述べる)を行うとともに、先祖への挨拶も欠かさない。 神にはすがるもの。先祖・仏には安心感を与えるもの。人とは和合するものと説いている。この教義は、大山ねずの命が使者を通して信者に教えていて、神示と呼ばれている。 信者に対する勉強会は教会施設で行われ、神・直使にすがるとともに人の道を守り、現実社会への適応して生活することをもっぱら説いている。例えば会社で夕方6時の御祈願にまにあわなければ仕事が終わった後でも良いとされている。
海外での活動
海外での活動はそれ程熱心ではない。しかし在留邦人信者を中心にカナダ・バンクーバーで月一度の勉強会が開かれている。この勉強会で使用される教会送付のビデオは英語ナレーションがつけられている。