喜多隆志
テンプレート:Infobox baseball player 喜多 隆志(きた たかし、1980年2月6日 - )は、奈良県出身の元プロ野球選手(外野手)。現在は智辯学園和歌山高等学校教員。
来歴・人物
智辯和歌山高校時代はテンプレート:Byに春の甲子園準優勝、テンプレート:Byに夏の甲子園優勝。慶應義塾大学時代は、2度の秋季リーグ戦優勝と明治神宮大会優勝を経験。テンプレート:By秋季リーグ戦では東京六大学野球シーズン最高打率.535を記録。2024年現在、その記録は破られていない。東京六大学野球通算92試合出場、355打数114安打(打率.321)、6本塁打、59打点。2001年のドラフト1巡目指名で千葉ロッテマリーンズに入団。
テンプレート:By5月1日、一軍公式戦初安打をサヨナラ安打で飾る。2日後の5月3日の試合でもサヨナラ安打を放ち、パ・リーグ史上8人目の2試合連続サヨナラ打を記録。新人としてはリーグ史上初の快挙。フレッシュオールスターゲームや第15回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選出され、「ロッテを変える男」として期待された。しかし、テンプレート:By以降は外国人選手や有望新人選手の入団、ライバル選手の打撃開眼などに押され、一軍での出番が無くなってしまった。テンプレート:By10月2日に戦力外通告を受け、現役引退。
応援歌の原曲はOi-skall matesの「NISHIOGI TOKIO」でファンはおろか、他の選手の間でも評判がよかった。応援歌が流れると外野を守っていたタフィ・ローズ(当時、近鉄)は投球の合間にはずっと応援席を見ながらセンターを守っていた大村直之に「すごいな」という意のジェスチャーをしていた。
2006年11月14日、本人のブログにて、野球をやめることを発表。スポーツ用品店に勤務する傍ら、アマチュア野球の指導者を目指し、2009年3月より、朝日大学助教となり、朝日大学硬式野球部でコーチを務めていたが、2011年4月に智弁和歌山高校に教師として赴任。2011年5月1日、日本学生野球協会により、学生野球資格回復による規則第3条による適性認定者となる。これは、大学専任教員経験者としては、初めてのことである。
詳細情報
年度別打撃成績
テンプレート:By2 | ロッテ | 19 | 56 | 50 | 4 | 11 | 1 | 1 | 0 | 14 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 | 0 | 0 | 13 | 1 | .220 | .264 | .280 | .544 |
テンプレート:By2 | 34 | 50 | 47 | 5 | 11 | 1 | 1 | 0 | 14 | 1 | 1 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 13 | 1 | .234 | .250 | .298 | .548 | |
通算:2年 | 53 | 106 | 97 | 9 | 22 | 2 | 2 | 0 | 28 | 4 | 1 | 0 | 5 | 0 | 4 | 0 | 0 | 26 | 2 | .227 | .257 | .289 | .546 |
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記録
- 初出場:2002年4月30日、対福岡ダイエーホークス5回戦(千葉マリンスタジアム)、7回裏に渡辺正人の代打で出場
- 初打席:同上、7回裏に若田部健一から二塁ゴロ
- 初先発出場:2002年5月1日、対福岡ダイエーホークス6回戦(千葉マリンスタジアム)、1番・右翼手で先発出場
- 初安打・初打点:同上、9回裏に飯島一彦から中前サヨナラ適時打
- 初盗塁:2003年6月8日、対オリックス・ブルーウェーブ14回戦(Yahoo! BBスタジアム)、5回表に二盗(投手:土井雅弘、捕手:三輪隆)
背番号
- 3 (2002年 - 2003年)
- 44 (2004年 - 2006年)[1]