亀戸

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テンプレート:Pathnav 亀戸(かめいど)は、東京都江東区地名で、城東地域内である。

郵便番号は、136-0071である。

概要

江東区のうち、旧城東区の総武線沿線、国道14号京葉道路)沿線の地域である。東京都により副都心として定められており、大繁華街、オフィス街、商店街など大規模な商業地域が広がっている。正確には錦糸町とセットになって「錦糸町・亀戸副都心」として副都心指定を受けているが、錦糸町は大部分が墨田区内、亀戸は江東区内と区が分かれているので、行政区画的には二つの区内にある大繁華街である。

地理

四方向川に囲まれた地形である。墨田区錦糸町・江東区大島江戸川区平井・墨田区文花・墨田区押上に接している。

公園

  • 区立公園
    • 亀戸公園
    • 亀戸水上公園
    • 文泉公園
    • 亀戸駅前公園
    • 亀戸二丁目公園
    • 亀島公園
    • 亀戸三丁目公園
    • 亀戸四丁目ふれあい公園
    • 香取公園
    • 亀戸四丁目公園
    • 水神公園
    • 亀戸五丁目公園
    • 亀戸五丁目第二公園
    • 亀戸緑道公園
    • 亀戸南公園
    • 亀戸平岩公園
    • 亀戸平岩第二公園
    • 亀戸東公園
    • 亀戸七丁目北公園
    • 亀戸七丁目南公園
    • 亀戸七丁目西公園
    • 亀戸九丁目公園
    • 亀戸九丁目緑道公園
    • 亀戸運動公園

河川


歴史

亀戸と書いて「かめいど」と読むのは難読地名の一つといえるが、元々は亀井戸と書いたことに由来するものである。元々の地名は「亀島」(または亀ヶ島、亀津島)で、その名の通り亀の形に似た島であったことによる。後に島の周辺に土砂が堆積して周りの島々と陸続きになり、亀島は亀村と呼ばれるようになった。これが、現在の亀戸三丁目附近にあった臥龍梅庭の井戸「亀ヶ井」と混同されて「亀井戸」と呼ばれるようになり、さらに「井」が取れて亀戸となった(亀津島の津(「つ」は古語で「の」の意)が「と」に変化したものとする説もある)。

亀戸村のうち、亀戸天神・天神橋周辺、北十間川南岸(境橋周辺)、および十間川東岸(日鐵NDタワー周辺)の各地の百姓商売屋は1664年寛文4年)に取立てられ、1697年元禄10年)に町地となり、亀戸町・亀戸境町・亀戸清水町が成立した。この三町は正徳3年閏5月11日1713年7月3日)に本所の町地が町奉行に移管された際に、町奉行と代官の両支配地となった。1872年(明治5年)に亀戸町以外は亀戸村に再び合併した。

1889年(明治22年)市制町村制施行が施行された際に横十間川以西が東京市、以東が南葛飾郡とされ、南葛飾郡内の各村も合併・再編された(「明治の大合併」)。それまでの亀戸村も、新設の各村((新)亀戸村大島村吾嬬村)、そして東京市深川区本所区へ編入された。

大島村に編入された区域は大島村大字亀戸、吾嬬村に編入された区域は吾嬬村大字亀戸になり、「亀戸」の地名は残っていたが、大島町(1900年町制施行)は1915年(大正4年)に、吾嬬町(1912年町制施行)は1930年(昭和5年)にそれぞれ町内の大字と小字を改編して、大島町大字一〜八丁目、吾嬬町大字東一・五丁目となったため、区域内における「亀戸」の地名は消滅した。
また、東京市に編入された区域は、暫定的に深川区ならびに本所区内の「村」として残っていたが、1891年(明治24年)に近隣の町域に組み込まれた。すなわち深川区亀戸村字南江耕地が深川猿江裏町に、字大横川が深川東町に、字古石場が深川古石場町に、本所区亀戸村字水神西宅地(飛地)が押上町に、字矢場耕地が本所太平町一〜二丁目柳島町本所錦糸町本所柳原町一〜二丁目に、字大横川が本所柳原町三丁目にそれぞれ編入された。

テンプレート:Mainテンプレート:Main 現在の亀戸はこの時に成立した(新)亀戸村の区域である。これには南葛飾郡(旧)亀戸村の大部分、深川出村、南本所出村、北本所出村の各一部(飛地)のほか、柳島村、小梅村、中之郷村、押上村の各一部、本所区亀戸町(上述の亀戸町)、本所松代町四丁目(もと深川松代町四丁目)、本所瓦町(もと南本所瓦町)、本所五ノ橋町(もと小梅五之橋町・中之郷五之橋町)の各全域が含まれた。 テンプレート:Main

臥龍梅

江戸時代、江戸の東はずれに亀戸天神があり、ここから東は民家がきれ、田畑ばかりが広がっていた。亀戸天神から北東400メートル足らずの場所に臥龍梅があった。農家の梅であるが、享保九年に吉宗が隅田川辺への鷹狩の途次たち寄って、世に知られた。創始の伊勢屋彦右衛門という人は本所に住む商人であったが、風雅を好んで別荘をつくって、梅をたのしんでいた。梅は成長して奇木となって、龍が地面に臥すような形で四方に枝をのばした。地についた枝から根を生じ、そこから新しく枝を出すというように、まわりに広がっていった。伊勢屋の子孫はここに住んで農業を営み、臥龍梅を育てつづけた。吉宗がきて以来、臥龍梅は御用木となっていたのである。寛政四年(1792年)ごろには、もとの臥龍梅は枯死したが、枝から次々と根を出すので、二代、三代と臥龍梅がついていた。臥龍梅は、一本から分かれた梅だけであったものを、遊客がふえるにつれて、梅を数百本にふやし、茶屋をつくって客をもてなすようになった。臥龍梅が梅屋敷へと脱皮したのである。

交通

鉄道

道路

施設

行政

  • 亀戸出張所
  • 江東東税務署

図書館

  • 区立亀戸図書館

防犯・防災

観光案内所

教育

小学校

  • 区立
    • 第一亀戸小学校
    • 第二亀戸小学校
    • 香取小学校
    • 水神小学校
    • 浅間竪川小学校

中学校

  • 区立
    • 亀戸中学校
    • 第二亀戸中学校
    • 第三亀戸中学校

高等学校

専修学校

職業訓練

職業能力開発校

  • 公立
    • 東京都立城東職業能力開発センター(旧・東京都立亀戸技術専門校)

金融機関

神社・寺院

神社

寺院

著名な出身者

名物

主な出来事

亀戸が舞台の作品

テレビドラマ

小説

漫画

関連項目

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外部リンク

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