中百舌鳥球場
テンプレート:野球場情報ボックス 中百舌鳥球場(なかもずきゅうじょう)は、かつて大阪府堺市(北区)の白鷺駅西側にあった野球場で、プロ野球・南海ホークス(現在の福岡ソフトバンクホークス)が二軍本拠地および練習場として使用していた。ただしメインスタンドの銘板は「中モズ球場」と仮名書きされていた。施設は南海電気鉄道が所有し、同球団の運営会社である南海野球が運営管理を行っていた。
歴史
南海鉄道の開通50周年記念事業の一環で、当時の泉北郡東百舌鳥村、南海高野線中百舌鳥駅近くに所有していた社有地(約180,000m²)に総合運動場が建設されることになった。中百舌鳥総合運動場内にはまず1935年にテニスコートが完成、野球場は1939年8月11日に完成した。その後も陸上競技場、相撲場、球技場、卓球場、体育館、クラブハウスなどが建設され、特に陸上競技場は当時、大阪府下で唯一の第一種公認競技場だった。
本球場は1938年に創設された職業野球団「南海軍」の本拠地となり、戦前は公式戦が行われていた。しかし大阪市中心部から遠く、交通の便や立地の悪さから選手や観客の評判は芳しくなかった。実際、中百舌鳥での試合は観客が入らないことが多く、公式戦は通算33試合(南海10、阪急5、阪神5、松竹4、巨人3、中日2、大和軍3、翼軍1)の開催にとどまった。その後関西圏で行われるプロ野球は、交通の便が良い阪神甲子園球場や阪急西宮球場がもっぱら使用されるようになり、本球場は公式戦で使われる機会がなくなった。
1950年、南海ホークスの新たな本拠地球場として大阪球場が完成。本球場は二軍の本拠地となり、隣接地には後に合宿所も建設され、多くのスター選手を育てる原点となった。高野線には1949年に臨時駅の中百舌鳥運動場前駅が設置されたが、あまり使用される機会がないまま1958年に廃止されている(その後の1964年、跡地に白鷺駅を設置)。1960年、大阪市長居陸上競技場が完成したのに伴い、老朽化しつつあった総合運動場は球場を除いて廃止されることとなり、運動場の跡地の大部分は住宅地として開発されたり、中百舌鳥駅から分岐する大阪府都市開発泉北高速鉄道線の建設用地に充てられるなどし、球場周辺は次第に大阪市のベッドタウンへと姿を変えていった。
1980年代中盤には関西国際空港開港に伴う大阪市難波地区の再開発事業も絡んで、一時は南海の一軍本拠地とする構想もあった(後述)。しかし1988年4月23日、南海のオーナーだった川勝傳が死去。川勝の死後から南海は水面下でダイエーへの球団売却交渉を進め、秋に売却が決定。本拠地を福岡県福岡市に移転することになり、本球場はプロ野球での使用を終了した。
その後は地元の草野球や少年野球など一般利用に供用されたが、老朽化により2001年11月20日に閉鎖された。スタンド等の施設はその後解体・撤去され、跡地にはマンション「グランシスフォート中百舌鳥」が建てられた。
なお、「中百舌鳥」が難読地名であることから、前述の通りメインスタンドの銘板は「中モズ球場」と仮名書きされており、また報道に於いても「中モズ」もしくは「中もず」と、仮名で表記することがあった。
堺市への幻の移転計画
南海の一軍本拠地だった大阪球場は、1994年の関西空港開港に合わせた球場周辺の再開発事業が行われることになり、1990年を最後に閉鎖・撤去されることが決まったが、これに付随して同球場に代わる南海の新たな本拠地球場の構想が取り沙汰された。
当時堺市長だった田中和夫は大のホークスファンであったこともあり、堺市に南海の本拠地を誘致する意向を表明。市内にある本球場もしくは堺市大浜公園野球場を改築して本拠地とする構想を明らかにした。また、改修の間は大阪市中央区の日本生命球場か同市住之江区で計画されていた野球場(現在の大阪市南港中央野球場)を暫定的に本拠地とすることも検討されていた。
しかし1988年、ホークスがダイエーへ譲渡され、本拠地を福岡に移転することが決まったことで、この計画は幻に終わった。詳細については福岡ソフトバンクホークス#堺市への幻の移転計画も合わせて参照。
施設概要
- 両翼:90m、中堅:120m(公称)
- 内野:クレー舗装、外野:天然芝
- 照明設備:なし