七手組

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七手組(ななてぐみ)は、豊臣秀吉が創設した旗本衆。七隊長・御馬廻七頭ともいわれている。

七手組は秀吉が存命中に約1万の精鋭を7つの部隊にわけ、豊臣氏の身辺警護から朝廷への儀礼などに用いた部隊。組頭は概ね1万石程度の所領を持っている。秀吉死後は豊臣秀頼に仕え、関ヶ原の戦いでは主に大坂城の警護任務に終始した(一部は関ヶ原で西軍側につき参戦)。

晩年は秀吉より任命された組頭も引退し、その子たちが受け継いだため戦闘力の著しい低下を招いたが、1615年大坂の陣では七手組組頭7人の内の4人までが落城と共に討ち死を遂げた。残りは、青木一重は元徳川氏家臣であったため、大坂の陣後に徳川氏に帰参。伊東は徳川氏、真野は藤堂高虎にそれぞれ仕えた。

主な組頭

郡宗保が追加される場合もある。


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