ロサンゼルスオリンピック (1984年) 野球日本代表
テンプレート:告知 テンプレート:MedalTableTop テンプレート:MedalSport テンプレート:MedalCountry テンプレート:MedalCompetition テンプレート:MedalGold テンプレート:MedalBottom ロサンゼルスオリンピック野球日本代表(ロサンゼルスオリンピックやきゅうにっぽんだいひょう)は、テンプレート:Byにロサンゼルスで開催されたロサンゼルスオリンピックの野球競技に出場した野球日本代表選手を編成したチームのことである。
概要
野球大国であるアメリカ合衆国で開催されるオリンピックということで、国際野球連盟(当時はAINBA、現:IBAF)の働きかけが実り、初めてナショナルチーム同士による公開競技として開催された。テンプレート:By9月に行われた第12回アジア野球選手権大会がオリンピックアジア予選となったが、日本は台湾との代表決定戦で敗れ出場が絶たれた[1]。その後、東西冷戦の影響からソビエト連邦が同オリンピックをボイコットし、すでに出場権を得ていたキューバもこれに同調したことからオリンピック組織委員会からAINBAを通じて日本に参加要請があり、日本野球連盟は参加を決めた[2]。選手19人は大学生7人、社会人12人で構成された。
出場国はアメリカ合衆国、台湾、イタリア、ドミニカ共和国、日本、韓国、ニカラグア、カナダの8か国で、前者4か国を「白組」、後者4か国を「青組」としてグループ分けして総当たり予選が行われた。日本は2勝1敗で予選を1位通過し、準決勝では台湾を延長戦で破った。決勝戦では開催国アメリカ合衆国と対戦し、広沢克己の本塁打等により6-3で勝利。公開競技ながらオリンピック初代の野球チャンピオンに輝いた。日本代表チームからは大会後に16人がプロ入りし、オリンピック出場からプロ野球入りという道の先鞭をつけた。
代表メンバー
No.は背番号。所属や年齢は選出当時。備考の☆印は大会後にプロ入りした選手。
位置 | No. | 氏名 | 所属 | 年齢 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
監督 | 30 | 松永怜一 | 住友金属 | 52 | |
コーチ | 33 | 鈴木義信 | 東芝 | 40 | |
34 | 鴨田勝雄 | 法政大学 | 45 | ||
投手 | 11 | 米村明 | 河合楽器 | 24 | ☆ |
12 | 吉田幸夫 | プリンスホテル | 26 | ||
14 | 伊東昭光 | 本田技研 | 21 | ☆ | |
15 | 伊藤敦規 | 福井工業大学 | 21 | ☆ | |
16 | 宮本和知 | 川崎製鉄水島 | 20 | ☆ | |
18 | 西川佳明 | 法政大学 | 21 | ☆ | |
捕手 | 20 | 嶋田宗彦 | 住友金属 | 22 | ☆ |
21 | 吉田康夫 | 三菱自動車川崎 | 23 | ☆ | |
22 | 秦真司 | 法政大学 | 22 | ☆ | |
内野手 | 2 | 正田耕三 | 新日本製鐵広畑 | 22 | ☆ |
3 | 浦東靖 | 新日本製鐵堺 | 22 | ||
4 | 森田芳彦 | 鹿児島鉄道管理局 | 22 | ☆ | |
5 | 上田和明 | 慶應義塾大学 | 21 | ☆ | |
9 | 和田豊 | 日本大学 | 21 | ☆ | |
10 | 広沢克己 | 明治大学 | 22 | ☆ | |
23 | 福本勝幸 | 東芝 | 27 | ||
外野手 | 7 | 荒井幸雄 | 日本石油 | 19 | ☆ |
8 | 古川慎一 | 亜細亜大学 | 20 | ☆ | |
25 | 熊野輝光 | 日本楽器 | 26 | ☆ | |
27 | 森田昇 | 日本生命 | 27 |
ロサンゼルスオリンピックの戦績
リーグ | 対戦相手 | 結果 | 場所 | 備考 |
---|---|---|---|---|
予選リーグ | テンプレート:Flagicon 韓国 | 2-0 | ドジャー・スタジアム | |
テンプレート:Flagicon ニカラグア | 19-1 | |||
テンプレート:Flagicon カナダ | 4-6 | |||
準決勝 | テンプレート:Flagicon チャイニーズタイペイ | 2x-1 | 延長10回 | |
決勝 | テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国 | 6-3 | 金メダル獲得 |