ドラえもん (1979年のテレビアニメ)
テンプレート:Pathnav テンプレート:Infobox animanga/Header テンプレート:Infobox animanga/TVAnime テンプレート:Infobox animanga/Cast テンプレート:Infobox animanga/Footer 『ドラえもん』は、藤子・F・不二雄の漫画作品『ドラえもん』を原作とするテレビアニメである。
『ドラえもん』のアニメには以下の3作品が存在する。
- 1973年に放送されたシリーズ
- 1979年から2005年3月まで放送されたシリーズ
- 2005年4月より放送中のシリーズ
これらを区別する呼称は公式には発表されていない[注 1]。一方、アニメ誌では2005年4月より放送中のシリーズを『ドラえもん(新・第2期)』としている。ウィキペディアではそれにならい、1973年に放送されたシリーズを第1作、1979年より放送されているシリーズをまとめて第2作とする。また第2作において、1979年から2005年3月まで放送されたシリーズを第1期、2005年4月より放送中のシリーズを第2期とする。
本記事では第2作第1期について記述する。テンプレート:Main2
目次
概要
1979年(昭和54年)4月2日[注 2]から2005年(平成17年)3月18日[注 3]まで26年間放送された。全1787話制作され、特番用に作られた話数に数えられない作品もカウントすれば全1814話にまで達する。日本のアニメ作品では最長寿の『サザエさん』に続く期間・話数を誇る[注 4]。また今作はシンエイ動画が自社制作したテレビアニメ作品の第1作目である。
1979年4月2日より月曜〜土曜までの10分の帯番組としてテレビ朝日のみで放送を開始。同年4月8日より順次全国ネットの30分番組が始まり、当初は日曜の朝8時30分から放送された。当初関東ローカル放送だった10分帯番組は1979年10月1日より北海道テレビと静岡けんみんテレビで、九州朝日放送など数局でも1980年春より放送を開始した。その後も原作と共に人気を急上昇させ、まだテレビ朝日の系列局が少ない中でも全都道府県で放送される大ヒット作となった。テレビ朝日や藤子漫画だけでなく、日本を代表する国民的アニメ番組としての『ドラえもん』ブランドを成長させたのは、本作の影響が非常に大きい。
現在に続く放送枠及び30分枠での放送が開始したのは1981年10月2日からであり、帯枠放送時からの移行で制作体制も刷新されそれらの美術設定等は2005年の放送終了まで続く事となる。同枠は1976年の『マシンハヤブサ』を皮切りに今作の枠移動が行われるまで東映動画が放映権を保持しており、1977年から1981年までは東映魔女っ子シリーズを含めた少女向けアニメを放送する枠として展開されていた。今作の枠移動により、東映動画は6年間保持していた当枠を手放す事となり、放送されていた『ハロー!サンディベル』は別枠へ移動となっている。
劇伴は菊池俊輔が担当した。菊池は放送開始から20年以上にわたってテレビシリーズと映画[1]のBGMを手がけた。うち一部の楽曲はサントラCDとして商品化された。主題歌『ドラえもんのうた』のシングルレコードは1987年の時点で日本で150万枚を売り上げている[2]。
毎年春改編期と夏のお盆前後、秋改編期には『○だ一番! ドラえもん祭り』(「○」には季節が入る)などと題して1時間から2時間に拡大される特番があり[注 5] 、やや長い中編のアニメ化なども行われた[注 6]。また、秋の特番では1996年までは、春に公開された映画が放送されていた[注 7] 。
特に大晦日はその年の曜日がどの曜日であっても関係なく『大晦日だよ!ドラえもん』と題して3時間の特番が放送され、中編、短編も含め過去の傑作の中から10本程度の再放送(1987年までは藤子オールスター特番のため、『ドラえもん』の他、『パーマン』、『忍者ハットリくん』などの傑作も放送[注 8] )、翌年春公開予定の映画のお知らせ、ドラえもん関連イベントの紹介などが放送された。ただし、1995年は大晦日に『ザ・ビートルズ・アンソロジー』の特別番組を編成したため、1日前倒しをして30日に放送した。
1回に放送する話数は1981年9月まで3話だったが翌月以降は2話(これに伴う1話あたりの放送時間は後述)になった。1979年から1981年までは全話新作、1982年から2005年3月まではAパートが新作でBパートが再放送(ただし、1987年後半や1993年前半は、両パートとも新作を放送していた時期があった)、1時間に拡大される特番ではB、Cパートを跨ぐ中編のみが新作だった。なお、30分作品が日曜日に放映されていたころは、日曜日の放送分は全て10分作品の再放送だった。テレビ朝日での10分帯放送も1980年4月以降は土曜日のみ再放送となった。
1980年1月1日に初めてアニメオリジナル作品が放送された。また、1981年の放送作品には原作者が同一である『ポコニャン』を原作とした作品が多く制作され、1990年代後半には『チンプイ』、2000年代には『キテレツ大百科』のエピソードを原案にした作品も数作品制作された。また放送が長期に渡ったこともあり、同一の原作を数回アニメ化する“リメイク版”も数多く制作された。初のリメイク作品は1985年に放送された『オオカミ一家を救え!!』である。放送後期にアニメオリジナル作品が量産される傾向が見られ始め、末期にはほぼ全ての作品がアニメオリジナル作品となった。その時期では主に特番などにおいてリメイク版の放送を行った。
2005年3月の放送終了までの日本での歴代平均最高視聴率は1983年2月11日の放送で記録された31.2%である(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。1980年代は視聴率20%超えをほぼ毎週記録し、同時間帯トップに立つことも多かったが、1990年代以降は年間平均で1990年代後半は15%前後、2000年代前半には12%前後まで低下した。なお、木村純一プロデューサーによると、東南アジアでは視聴率が70%を超えることもざらにあるという[3]。
1996年に原作者の藤子・F・不二雄が逝去した際、遺族がアニメの放送終了を求めたことがあった。テレビ朝日側でも人気や視聴率低下で番組の終了が検討されていたが、筆頭スポンサーが遺族やテレビ朝日を説得し、放送は継続された[4]。
2004年11月22日当日付の朝日新聞一面にて声優陣一新の決定が初めて世間に公表され、翌2005年3月18日の放送を持って今作は放送終了を迎えた。
前史
1973年に終了したテレビアニメ『ドラえもん』第1作の映像化権は、かつての制作会社の日本テレビ動画が消滅していた事もあって宙に浮いていたが、その後は原作者からの信頼を獲得した東京ムービーへと委ねられていた。そして1976年の秋には、東京ムービーの下請制作を担っていたAプロダクションが、シンエイ動画へと社名を変更して独立。東京ムービーの社長を務めていた藤岡豊は、『ドラえもん』の映像化権をシンエイ動画への餞別として快く譲渡した。
双葉社発行の『ミラーマン大全(P.252)』によると、シンエイ動画は手始めによみうりテレビ(YTV・日本テレビ系列)[5]へ新作のセールスを行っており、同局の佐野寿七プロデューサーが本格的な企画書を作ったものの、上層部の理解を得られずに企画は頓挫。しかし佐野は、その際の企画書を広告代理店の旭通信社に渡すことで、旭通信社とシンエイ動画のタッグによる新作セールスが、装いも新たに開始された。各局へのセールスを経て、1978年夏、パイロット版における『勉強部屋のつりぼり』がテレビ朝日で好評だったことから、1979年春の改編期に同局での放送が決定した。
パイロットフィルムの時点で本放送キャストの大山のぶ代、小原乃梨子、野村道子、肝付兼太、たてかべ和也、千々松幸子の6人が既に同役で参加しているが、パイロット版で起用されていたキャストは、放送決定後に改めてプロデューサーなどの意向を含め変更されることが多いため、これはかなり特有な事である。
本作の第1話『ゆめの町ノビタランド』はプロローグ的な意味合いなどは全く持たない平常的な作品であり、普通に本編から始まっている所から、まるで第1作の続編を意識したかのような形がとられている。他にも、しずかの髪の色が栗色であったり、美術設定に川本征平が起用されているなど、第1作と同一の設定も散見される。なお、ドラえもんが初めてのび太の前に現れる原作の第1話にあたる『未来の国からはるばると』は、翌年の正月特番として放送された。
放送時間
- 1979年(昭和54年)4月2日 - 1981年(昭和56年)9月23日
- 月 - 土曜日18:50 - 19:00(帯番組)
- テレビ朝日など、一部局でのローカル枠としての放送。
- このほか、テレビ朝日系全国ネットで下記の放送時間にて30分間の再放送(大半の地域では初回放送)がされた。なお、帯番組のものとは放送順が異なる他、オープニング・エンディング・次回予告が別途製作された。
- 1979年(昭和54年)4月8日 - 1980年(昭和55年)3月30日
- 日曜日8:30 - 9:00
- 1980年(昭和55年)4月6日 - 1981年(昭和56年)9月27日
- 日曜日9:30 - 10:00
- 金曜日に移行した後、放送枠は『忍者ハットリくん』、『パーマン』(第2作)、『オバケのQ太郎』(第3作)に引き継がれた。
- 1981年(昭和56年)10月2日 - 1987年(昭和62年)10月9日
- 1989年(平成元年)4月14日 - 2005年(平成17年)3月18日
- 金曜日19:00 - 19:30
- 日曜日の再放送と同様にテレビ朝日系全国ネットでの放送。金曜日の同枠で藤子アニメが放映されるのは『ジャングル黒べえ』(NETテレビ時代、当時系列局だったMBS制作)以来。
- 1987年(昭和62年)10月23日 - 1989年(平成元年)3月31日
- 金曜日18:50 - 19:20(後続の『ニュースシャトル』の影響)
1回の構成について
構成(通常時)
- – 第1681話:オープニング→提供クレジット→CM→Aパート→CM→Bパート→CM→エンディングテーマ→次回予告(30秒)→提供クレジット
- 1682話 – 1787話:オープニング→提供クレジット→CM→Aパート→CM→Bパート→エンディングテーマ→CM→次回予告(30秒)→提供クレジット
1993年下半期以降は基本的にAパートは新作、Bパートは再放送。1話あたりの放送時間は時期により異なる。
「ドラえもんのうた」の歌手、エンディングテーマの曲および、サブタイトルと次回予告のアニメーションは放送年期により変化している。
各コーナーのアニメーション
サブタイトルアニメーション
- 初代【旧グリーンタイトル】(初期)
- 1979年4月2日放映『ゆめの町ノビタランド』〜1979年5月3日放映『すてきなミイちゃん』(通し話数 1話 - 28話)
- 放送開始初期に使用されていた。アニメーションではなく静止画であり、右下には右手のみを上げたドラえもんが描かれている。タイトル文字は赤色で作画は中村英一。順次、2代目のイエロータイトルへと移行されたが、後に行われたアニメーション変更とは異なり、しばらくの間はこの両者のアニメーションが混在していた。第28話を最後に二代目タイトルへ完全移行した。
- 2代目【イエロータイトル】(前期)
- 1979年4月10日放映『恐竜ハンター』〜1981年9月23日放映『やどり木』(通し話数 8話 - 617話)
- 第8話より初めて使用された。背景が黄色と緑色の2パターンがあり、いずれもタイトル文字は赤色で作画は中村英一。ほぼすべての作品が黄色背景で、特番で放送された3作品[6]のみ緑背景となっている。帯番組時に使用されていたタイトルバックであり、ドラえもんはアニメーションではなく静止カットで、向かって右下にドラえもんが左足を前に出した状態で斜め方向を向いているものであった。
- 3代目【オレンジタイトル】(中期)
- 1981年10月2日放映『ドラえもんだいきらい!?』〜1992年10月2日放映『あべこべの星』(通し話数 618話 - 1199話)
- 10分枠から30分枠に変更された10月2日当日放送作品より今タイトルへ完全移行された。オレンジ色の背景に白のタイトル文字。座っている2人のドラえもんが立ち上がり、宙返りするアニメーション。ドラえもん達はそれぞれ最初は左側が前、右側が後ろを向いている。
- このサブタイトルアニメーションの使用期間は、もっとも長く使われており、新作としては11年間という長期にわたって使われたことや、新作として使用を終了した翌週からも再放送(Bパート。スペシャル含む)で数百回以上放送された。1986年から1987年にかけてドラえもんの髭の位置が真ん中によるという作画変更が行われた後もしばらく使われ続けた。1983年3月30日の特番で放送された『子ゾウのハナちゃん』のみタイトル文字の書体は丸ゴシック体だった。
- 4代目【新グリーンタイトル】(後期)
- 1992年10月9日放映『声もんキャンデー』〜2000年6月2日放映『ほんものカンヅメ』(通し話数 1200話 - 1584話)
- 黄緑色の背景に白のタイトル文字(ただし1992年10月9日 - 11月27日までは緑背景)。ドラえもんがどこでもドアを出してくぐり抜け、すぐ横に現れたドアから出てくるアニメーションで、作画は中村英一。
- エンディングテーマに遅れること約4年、サブタイトル画面も同日から1986年以降の作画のものに変更された。
- このグリーンタイトルに変更されてからの最初の9作品は後のバックカラーの緑よりも緑の色が濃かった。
- また先述のようにこのサブタイトルアニメーションにはどこでもドアが使用されるのだがこのどこでもドアの向こう側は色は虹色で表されている。またグリーンタイトル初の作品『声もんキャンデー』ではドアの向こう側は緑色で表されていた。
- 5代目【ピンクタイトル】(末期)
- 2000年6月9日『みちびきジゾウ』〜 2005年3月18日『ドラえもんに休日を?!』(通し話数 1585話 - 1787話)
- ピンク色の背景に白のタイトル文字。ドラえもんが大きく膨らませたどら焼き型の風船に食いつき破裂させて照れ笑いするアニメーションで、作画は渡辺歩。
- 2002年10月4日放送の『ミニドラレンタル中』より、セル画からデジタル製作へ変更された後はデジタル用に色の塗りなおしを行い、引き続き使われたが、その代わりタイトルの文字がそれまでのセル画製作までの3代の手書き字体ではなくなり、丸ゴシック体となった。またデジタル彩色移行に際しフートポンプの持ち手の色が緑から赤へ変わっている。
アイキャッチアニメーション
1981年9月(第617話)までは挿入されていたが、同年10月以降廃止された。
内容に関しては、放送した内容に関連したことを改めて5秒程度で描写される。
一部[7]を省き、ドラえもんかのび太は必ずといっていいほど登場する。作品に関与していればジャイアン、玉子なども登場し、本編との関わりがなくともドラミやノラミャー子などが登場することもあった。617話までの前期作品(特番を除く)には全て押入されていた。BGMには『青い空はポケットさ』のイントロが使用されているものがほとんどだが初期の作品では『ドラえもんのうた』のイントロが使用されている回が4回ある[8]。
次回予告アニメーション
ドラえもんの「ぼく、ドラえもんです」で始まり、次回のAパートの紹介と、A・Bパートのサブタイトルを読み上げ、「楽しみにまっててね」の一言で締める流れである。BGMは、ほとんどの回で「ドラえもんのうた」のインストゥルメンタルが使用されている。特番・映画の予告では「○月○日夜○時より、ドラえもん○○スペシャル」または「映画ドラえもん○○」と言う。 基本的には30秒だが、時期により15秒(特に劇場版の公開前後は宣伝スポットが流れる為、このケースが多い)であったり、次回予告そのものがカットされたりすることもある。
2代目は、提供クレジットの後に「ドラドラどこかにドラえもん」を編集したものがBGMとして流れ、黄色い画面をバックに画面右方向からドラえもんが現われ、次に立て札で次回予告を表示し、最後に立て札を裏返した上で「おたのしみに」の表示に書き換えてドラえもんが画面左方向に立ち去っていく形で番組が終了する段取りになっていた。よって2代目でナレーションが行われていなかったのはそのためである。
放送局
◎は現在他系列局だが、放送当時テレビ朝日系列と他系列とのクロスネットだった局。
放送地域 | 放送局 | 現在の系列 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | テレビ朝日 (EX) | テレビ朝日系列 | 制作局 |
北海道 | 北海道テレビ (HTB) | ||
青森県 | 青森放送 (RAB) | 日本テレビ系列 | ◎1991年9月まで |
青森朝日放送 (ABA) | テレビ朝日系列 | 1991年10月開局から | |
岩手県 | テレビ岩手 (TVI) | 日本テレビ系列 | ◎1980年3月まで |
IBC岩手放送(IBC) | TBS系列 | 1980年4月から、1996年3月打ち切り[注 9] | |
岩手朝日テレビ (IAT) | テレビ朝日系列 | 1996年10月開局から | |
宮城県 | 東日本放送 (KHB) | ||
秋田県 | 秋田放送 (ABS) | 日本テレビ系列 | 1992年9月まで |
秋田朝日放送 (AAB) | テレビ朝日系列 | 1992年10月開局から | |
山形県 | 山形放送 (YBC) | 日本テレビ系列 | ◎1993年3月まで[注 10] |
山形テレビ (YTS) | テレビ朝日系列 | 1993年4月のフジテレビ系列からテレビ朝日系列へのネットチェンジから | |
福島県 | 福島中央テレビ (FCT) | 日本テレビ系列 | ◎1981年6月30日打ち切り[注 9] |
福島放送 (KFB) | テレビ朝日系列 | 1981年10月開局から[注 11] | |
山梨県 | 山梨放送 (YBS) | 日本テレビ系列 | |
新潟県 | 新潟総合テレビ (NST) | フジテレビ系列 | ◎1983年9月まで[注 12] |
新潟テレビ21 (UX) | テレビ朝日系列 | 1983年10月開局から | |
長野県 | 信越放送 (SBC) | TBS系列 | 1980年9月まで |
テレビ信州 (TSB) | 日本テレビ系列 | ◎1980年10月開局から1991年3月まで | |
長野朝日放送 (abn) | テレビ朝日系列 | 1991年4月開局から | |
静岡県 | 静岡朝日テレビ (SATV) | ||
富山県 | 北日本放送 (KNB) | 日本テレビ系列 | |
石川県 | 北陸放送 (MRO) | TBS系列 | 1985年9月打ち切り |
石川テレビ(ITC) | フジテレビ系列 | 1985年11月から1991年9月まで | |
北陸朝日放送 (HAB) | テレビ朝日系列 | 1991年10月開局から | |
福井県 | 福井放送 (FBC) | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
|
中京広域圏 | メ〜テレ (NBN) | テレビ朝日系列 | |
近畿広域圏 | 朝日放送 (ABC) | ||
鳥取県・島根県 | 日本海テレビ (NKT) | 日本テレビ系列 | ◎1989年9月まで |
山陰放送 (BSS) | TBS系列 | 1989年10月から[注 9] | |
広島県 | 広島ホームテレビ (HOME) | テレビ朝日系列 | |
山口県 | テレビ山口 (tys) | TBS系列 | 1993年9月まで[注 13] |
山口朝日放送 (yab) | テレビ朝日系列 | 1993年10月開局から | |
徳島県 | 四国放送 (JRT) | 日本テレビ系列 | 途中打ち切り(1990年代後半に打ち切り) |
香川県・岡山県 | 瀬戸内海放送 (KSB) | テレビ朝日系列 | |
愛媛県 | テレビ愛媛 (EBC) | フジテレビ系列 | 1995年3月まで |
愛媛朝日テレビ (eat) | テレビ朝日系列 | 1995年4月開局から | |
高知県 | 高知放送 (RKC) | 日本テレビ系列 | |
福岡県 | 九州朝日放送 (KBC) | テレビ朝日系列 | |
長崎県 | 長崎放送 (NBC) | TBS系列 | 1990年3月まで |
長崎文化放送 (NCC) | テレビ朝日系列 | 1990年4月開局から | |
熊本県 | 熊本放送 (RKK) | TBS系列 | 1989年9月まで |
熊本朝日放送 (KAB) | テレビ朝日系列 | 1989年10月開局から | |
大分県 | 大分放送 (OBS) | TBS系列 | 1993年9月まで |
大分朝日放送 (OAB) | テレビ朝日系列 | 1993年10月開局から | |
宮崎県 | テレビ宮崎 (UMK) | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
|
鹿児島県 | 鹿児島テレビ (KTS) | フジテレビ系列 | ◎1982年9月まで |
鹿児島放送 (KKB) | テレビ朝日系列 | 1982年10月開局から | |
沖縄県 | 琉球放送 (RBC) | TBS系列 | 1995年9月まで |
琉球朝日放送 (QAB) | テレビ朝日系列 | 1995年10月開局から |
年表
年 | 月日 | 表類 | 備考 |
---|---|---|---|
1973年 | 9月30日 | 前史経歴 | 日本テレビ動画によって初めてアニメ化された『ドラえもん』が会社の解散に伴い放送を終了する。 その後、『ドラえもん』のアニメ化版権及び放送版権は宙に浮いていたが シンエイ動画の企画書を通じた必死の説得で今作の制作が決定するのは1976、7年頃の事となる[9]。 |
1976年 | 9月9日 | 前史経歴 | Aプロダクションがシンエイ動画株式会社として独立。 |
1978年 | 8月 | 作品経歴 | 今作のパイロットフィルム『勉強部屋のつりぼり』が完成。 今作の時点でドラえもん、のび太、静香、スネ夫、ジャイアン、のび太のママが登場、その後声優は代役時を除き一律。 |
12月 | 放送経歴 | テレビ朝日での放送が決定する。 | |
1979年 | 4月1日 | 放送経歴 | 本放送開始の前日・1979年4月1日に本作を紹介、予告する特別番組が放送された。 この放送で、のび太の家にドラえもんがやってきて2人がはじめて出会う内容の番組『ぼくらのともだちドラえもん』 (司会:桂菊丸、大杉久美子、ゲスト:大山のぶ代)が放送された。 |
4月2日 | 初回経歴 | 本放送を開始。第1話は単行本3巻収録『ゆめの町ノビタランド』。 ドラえもんとのび太の出会いを描いた物語は後述、 翌年正月に特別番組『ドラえもんのびっくり全百科(オールひゃっか)』にて「未来の国からはるばると」として放送された。 | |
4月3日 | 登場経歴 | 4月3日放送作品『変身ビスケット』にて、のび太のパパこと野比のび助が初登場。声優は加藤正之。声優交代に関しては後述。 | |
6月15日 | 登場経歴 | 6月15日放送作品『ラジコン大海戦』にて、骨川スネ吉が初登場。声優は井上和彦。 その4年後に放送された『超リアル・ジオラマ作戦』から二又一成に変更しそこからは一律。 | |
12月20日 | 登場経歴 | 12月20日放送作品『百年後のフロク』にて、セワシが初登場。声優は太田淑子。その後25年間一律。 | |
1980年 | 10月3日 | 初回経歴 | 初のテレビアニメオリジナル作品『タイムマシンでお正月(映像ソフト未収録)』が放映された。 以後数年間、正月三が日にスペシャル番組が放送されるパターンが続いた(前述の『ドラえもんびっくり全百科』もうち1日)。 同年4月、『ドラ・Q・パーマン(映像ソフト未収録)』を放送。往年の人気藤子キャラクターと共演を果たした。 |
3月15日 | 初回経歴 | 初のドラえもん映画作品『ドラえもん のび太の恐竜』が公開される。配給収入15億6000万円、観客動員数320万人。 | |
4月4日 | 登場経歴 | 4月4日放送作品『税金鳥』より、出木杉英才が初登場。声優は白川澄子。その後25年間一律。 | |
4月8日 | 登場経歴 | 『春だ!一番ドラえもん祭り』内で放送された『おまたせドラミちゃん初登場!のび太の海底ハイキング』にてドラミが初登場。 ドラミの声を担当したのは番組内で多くの脇役をこなしてきた横沢啓子(現:よこざわけい子)。 その後声優交代までの約25年間、ドラミの声を兼任した。 | |
5月5日 | 放送経歴 | モスクワオリンピック特番の一環として本作のスペシャル版として『のび太の夢の金メダル』が放送される。全編42分の長編であった。 | |
7月11日〜 8月29日 |
放送経歴 | 金曜19時30分枠で放送されていた『燃えろアタック』が7月11日に終了し、 同枠に8月29日から放送開始する『それゆけ!レッドビッキーズ』までのつなぎ番組の一環として、1か月間の本作の特集を開始。 7月18日から8月1日までは金曜19:30枠に『ドラえもん・夏休みアンコール劇場』を放送、 8月8日には初の夏の特番『夏だ!一番・ドラえもん祭り』を、金曜19:00 - 20:00[注 14]枠で放送した[注 15]。 | |
1981年 | 9月23日 | 放送経歴 | 約2年と5ヶ月続いた帯放送枠での最後の放送。 帯枠最後の作品は『やどり木』。この枠では全617話を放送した。 |
10月2日 | 変革経歴 | 放送枠が現在と同じ、金曜19:00 - 19:30枠に移行。同時に、多方面における大きな変革が行われる。 まずアイキャッチアニメーションを廃止し、サブタイトル画面を新作の物にした。 1作品の尺も6分30秒から10分50秒へ拡大。10分50秒の作品を2本立てで放送した。 またキャラクターデザインや色彩設定、その他の作画設定なども変更された。 | |
12月31日 | 初回経歴 | 初の大晦日特別番組『大晦日だよ! ドラえもんと忍者ハットリくん』を放送。以後、毎年の大晦日に特別番組を放送。 ただし1995年は大晦日にビートルズ特別番組が編成されたため1日前倒して12月30日に放送した。 | |
1982年 | 1月8日 | 変革経歴 | 1回あたりの構成を変更。新作1本8分57秒と再放送作品2本6分30秒の3本立てに。 |
3月24日 | 放送経歴 | テレビ朝日の期首特番『オールスター番組対抗ボウリング大会』に、 『怪物くん』『忍者ハットリくん』と共に全声優陣が初参加(アニメチームの参加はこれが初)。 さらにこの時のみ、藤子不二雄(当時)も参加した。以後当番組には、最後までアニメチーム[注 16]が参加した。 初参加の時は、番組冒頭にドラえもん、怪物くん、ハットリカンゾウがボウリングをするアニメ(シンエイ動画制作)が挿入された。 | |
1983年 | 2月11日 | 放送経歴 | 本日放送回にて、番組最高視聴率31.2%を記録。 放送作品は『鏡の中の世界』『テストロボット(映像ソフト未収録)』『オンボロ旅館をたてなおせ』の3本。ただし後記2本は再放送作品。 テレビ朝日系で放送されたアニメの中では第1位の視聴率である。 |
10月13日 | 放送経歴 | テレビ朝日開局25周年特別番組『藤子不二雄スペシャル ドラえもん・ヨーロッパ鉄道の旅(映像ソフト未収録)』が放送。 アニメと実写の合成を用い、ドラえもんらと藤子両人が旅行するという内容の番組だった。 この番組はテレビ界初の立体的なアニメ(アニメ部分は当時としては珍しいCGでの制作)と 実写の新方式の合成が利用されていて「ドラビジョン」と名付られていた。 その後1985年の新春スペシャルとして再放送されている。 | |
1984年 | 5月18日 | 変革経歴 | 放送形態を変更。新作10分50秒と再放送10分50秒の2本立て。 その後も数回1話当たりの放送時間が8分57秒、10分50秒、12分43秒のいずれかにたびたび変更されていた。 |
11月30日 | 変革経歴 | 放送形態を新作12分43秒と再放送8分57秒の2本立てに変更。 | |
1985年 | 4月5日 | 初回経歴 | 初のリメイク作品が放送。ドラえもん初のリメイク作品は単行本2巻収録『オオカミ一家』だった。 |
1986年 | 11月14日 | 休止経歴 | 11月14日放送分は三原山噴火の報道特番に差し替えられ、休止となった。 |
1987年 | 7月中 | 作品経歴 | 『ドラえもん21世紀まつり タイムカプセルドラ丸くんフェスティバル』で1つ目のタイムカプセル・ドラ丸くんが封印される。 2001年1月1日午前0時0分開封予定であったが、作者が亡くなったこともあり恒久保存となった。 |
10月23日 | 変革経歴 | 女優の星野知子を起用した夕方のニュース番組『ニュースシャトル』が放送されたため、この回より放映枠が18時50分-19時20分に移動。 Bパートの後半に「このあと7時20分からはニュースシャトルです」のお知らせテロップを挿入。 その後、本作が19:00スタートに戻った際はその他の藤子・F・不二雄作品を10分間の短編に仕立てて18:50から放送し、19:00からドラえもんを放送した。 次回予告はドラえもんが立て札に次回のタイトルをハケのようなもので書いていくという簡略化された20秒のものになっていた。 音楽も「ドラドラどこかにドラえもん」の前奏を利用した曲に変更された。また、本編も10分50秒の新作2本立てとなった。 この時期はパオパオチャンネル月曜日に、帯番組時代の再放送(初期放送分)があった。 | |
1988年 | 1月8日 | 変革経歴 | 新作10分50秒と再放送10分50秒の2本立てになる。 |
3月25日 | 放送経歴 | 18:20-18:50の時間帯で放送された。これは、前日に中国で起きた上海列車事故関連の情報でニュースシャトルが拡大したためである。 | |
4月1日 | 達成経歴 | 本日放送作品『ワラシベにお願い(映像ソフト未収録)』にて、第1話「ゆめの町ノビタランド」から数えて特番を含み通算1000話を達成。 | |
11月11日 | 放送経歴 | 1988年11月11日の放送は特番編成に伴い、19:30 - 20:00での放送となる(『ニュースシャトル』が前倒しで拡大版を放送したため)。 これ以外にも昭和天皇の病状が芳しくない時は30分前倒して放送したこともあったほか、 ニュース速報によるテロップなどで昭和天皇の体調情報がたびたび流されていた(同時期の他のテレビ番組も同様)。 | |
12月31日 | 放送経歴 | 8年ぶりに、大晦日特番がドラえもん単独のものとなり、『ドラえもん』単独枠の「大晦日だよドラえもん」が復活する。 | |
1989年 | 2月24日 | 放送経歴 | 放送は昭和天皇の大喪の礼特番放送のため19:30 - 20:00での放送となる。 |
3月11日 | 劇場経歴 | 通算10作目にあたる劇場版『ドラえもん のび太の日本誕生』が封切り。現在も破られていない歴代最高となる観客動員数420万人を記録した。 | |
1991年 | 3月22日 | 変革経歴 | 3月22日に放送された『チリつもらせ機(映像ソフト未収録)』から、「神成さん」役を演じてきた兼本新吾が降板したため、渡部猛が後任となって神成さんを演じる。 |
6月21日 | 変革経歴 | 中村英一が総作画監督に就任。各話の作画監督はローテーション制となった。 | |
10月11日 | 放送経歴 | 放送が30分枠になって初めて、原作の存在しないアニメオリジナル作品が放送。 作品名は『ラッキー砂時計(映像ソフト未収録)』。 | |
1992年 | 10月9日 | 変革経歴 | サブタイトル場面が長年使用されたオレンジタイトルからグリーンタイトルへ移行。 また、この日の放映よりオープニング、エンディングテーマともに変更され、オープニングの『ドラえもんのうた』は、歌手が大杉久美子から山野さと子へ交代された。 |
10月23日 | 変革経歴 | 本日放送の『シャワーでかくれんぼ(映像ソフト未収録)』から 放映開始から長年「野比のび助」役を演じてきた加藤正之が咽喉癌のため途中降板し、中庸助が後任となった。 | |
1993年 | 4月9日 | 変革経歴 | この回より新作の長さが10分50秒と8分57秒の1本ずつとなり、1話目の前に1分50秒の『ドラえもん めいさく劇場』が付くようになった。 また、オープニング前に3秒間「テレビ化15周年」の表示が出るようになった。『ドラえもん めいさく劇場』は同年10月1日まで続いた。 |
9月8日 | 放送経歴 | 15周年特別番組『水曜特バン! ドラえもんボクの感謝の90分! 夢の四次元バラエティー』が放送される。 藤子・F・不二雄のアニメキャラクターが出演し競演した。 また、実写とアニメで藤子・F・不二雄、柳沢慎吾と生稲晃子、ドラえもんのメインキャラクターの声優陣がドラえもんたちと競演した。 ドラえもん似の人を募集して紹介する「ドラ顔コンテスト」、1979年からの歴史を振り返るといった内容だった。 | |
1994年 | 4月1日 | 変革経歴 | 今放送分から文字多重放送(字幕放送)を開始[注 17]。 |
1995年 | 10月6日 | 放送経歴 | オウム真理教特捜関連の臨時ニュースに配慮し、 Aパート、Bパート冒頭で「番組を中断してニュースをお伝えする場合がありますのでご了承ください」と書かれたテロップが流されたが、 ニュースが挿入されることなく放送された。 |
1996年 | 9月23日 | 放送経歴 | 藤子・F・不二雄(本名:藤本弘)逝去。享年62。 |
9月29日 | 放送経歴 | 藤子・F・不二雄逝去により、『ザ・スーパーサンデー』枠で追悼特番として『ドラえもん のび太の日本誕生』が再放送された。 放送終了直後には、生前の藤子の写真がエンドロールとして流れた。 | |
12月31日 | 作品経歴 | 1996年(平成8年)のNHK紅白歌合戦にドラえもんが登場。同時刻にテレビ朝日ではドラえもんの大晦日スペシャルを放送していた。 | |
1999年 | 10月 | 作品経歴 | ドラえもんが「青少年向け番組」に指定される。ただし、『ちびまる子ちゃん』にあるような表記は一切なし。 |
12月31日 | 放送経歴 | 年末長時間特別番組『24時間地球大騒ぎ!! カウントダウン2000』が放送される。番組内で『2000年だよ! ドラえもん』が放送された。 この番組では、各国の2000年になるカウントダウンの時間をドラえもんがナビゲートした。 また、21世紀に保存したい名場面を納めるアルミ合金製のドラえもんタイムカプセルが作られた。これは、2112年9月3日に開ける予定になっている。 | |
放送経歴 | 同局の長寿番組『徹子の部屋』に、ゲストとしてドラえもんがCGで初出演。同番組に、架空のキャラクターがゲストとして出演したのはこれが初めての事であった。 | ||
2000年 | 2月11日 | 放送経歴 | ドラえもん、2度目の『徹子の部屋』出演。 |
3月3日 | 変革経歴 | この回からモノラル放送からステレオ放送に移行された。 | |
6月9日 | 変革経歴 | サブタイトルが変更。グリーンタイトルからピンクタイトルになる。 | |
2001年 | 7〜8月 | 休止経歴 | 世界水泳選手権中継などにより約1か月間放送が休止となる。 |
2002年 | 3月 | 作品経歴 | テレビ朝日ホームページ内にアニメドラえもんの公式ホームページが開設される。 |
7月13日 | 作品経歴 | 「THEドラえもん展」が大阪のサントリーミュージアム「天保山」で開催された。 大好評で、日本各地でも開催されたが2005年12月22日 - 2006年の1月17日の長崎県美術館県民ギャラリーの展示で最後となった。 | |
10月4日 | 変革経歴 | 本編がセル画制作からデジタル制作へ移行されフルデジタルアニメーションとなる。オープニング、エンディングも変更されるなど、近代的作風へ大幅リニューアルが行われた。 2002年当時では、すでに多くの作品がデジタル制作に移行されており、ドラえもんのデジタル制作への移行は比較的遅かった。 『ドラえもん』初の完全デジタル作品は『ミニドラレンタル中(映像ソフト未収録)』。 | |
2003年 | 7月18日 | 放送経歴 | 本日の放送作品『四次元エレベーター(映像ソフト未収録)』に、当時主題歌を歌っていた渡辺美里が出演。 |
8月9日 | 作品経歴 | 渡辺美里の西武ドームライブにアニメ出演のお礼としてドラえもんがゲスト出演する。 | |
11月21日 | 達成経歴 | 本日放映分で、放映枠が現在の金曜夜7時になってから、レギュラー放送が通算1000回を迎えた。 | |
2004年 | 3月6日 | 劇場経歴 | 映画シリーズ最終作となる『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』が公開。興行収入30.5億円。 |
7月9日 | 休止経歴 | 放送前に曽我ひとみ、ジェンキンス夫妻がジャカルタで再会するニュースが入ったため、 直前に報道特別番組に差し替えられ、その日の放送予定分は翌週に延期された。 | |
10月1日 | 放送経歴 | 渡辺歩がコンテ・演出・作画監督の三点を同時に担当した最後の作品『ためしにさようなら』がオンエア。 キャラクターのイメージが次作に近くなっていた。 | |
10月22日 | 初回作品 | 番組史上初めてドラえもん映画作品『ドラえもん のび太と銀河超特急』を4週に分けて放送した。 11月12日は日米野球の中継を放送するため、最終章は1週延期して11月19日に放送された。 | |
10月23日 | 休止経歴 | 特別番組『今夜公開!! 誰も知らない ドラえもんの秘密スペシャル!』が新潟テレビ21をはじめ ほとんどの地域は放送開始から5分ほどで新潟県中越地震関連の報道特番に差し替えられた。 その後、同年12月18日に改めて再放送された。なお、一部地域では、この特番の再々放送も行われた。 | |
11月22日 | 作品経歴 | 朝日新聞一面にて声優陣交代の決定が世間に公表される。 この件は朝日新聞が独占で唐突に公表したため、NHKを始めとした他の報道機関は予定を変更し、時間を割いてこの話題を報道した。 | |
12月17日 | 放送経歴 | 芝山努チーフディレクターのコンテ担当最終作となった『のび太とのび夫(映像ソフト未収録)』放送。 | |
2005年 | 3月15日 | 放送経歴 | 『ドラえもん オールキャラ夢の大集合スペシャル!!』をもって大山のぶ代ら主要キャスト5人(+12人)とスタッフらが降板。 1984年12月21日放送の、大山のぶ代ら声優陣による再アフレコ兼リメイク作品となった『ドラえもんに休日を?!』と 再放送作品『ハリーのしっぽ(映像ソフト未収録)』をもって、レギュラー放送を終える。平均視聴率は14.0%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)。 |
3月25日 | 放送経歴 | 『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』が放送される。 声優である大山のぶ代、小原乃梨子が映画のナレーターとして登場し、シリーズの最後の放送を終える。 | |
某日 | 受賞経歴 | 第14回日本映画批評家大賞で 本作のレギュラーキャラクター5人の声を務めた大山のぶ代、小原乃梨子、野村道子、肝付兼太、たてかべ和也の5人が田山力哉賞を受賞。 | |
2006年 | 11月19日 | 受賞経歴 | 2006年に開催された第11回アニメーション神戸にて 大山のぶ代、小原乃梨子、野村道子、肝付兼太、たてかべ和也が特別賞を受賞。 |
2007年 | 3月 | 受賞経歴 | 東京国際アニメフェア2007にて 本作のレギュラーキャラクター5人の声を務めた大山のぶ代、小原乃梨子、野村道子、肝付兼太、たてかべ和也が第3回功労賞を受賞。 |
2009年 | 11月18日 | 作品経歴 | テレビアニメ『ドラえもん』の放送開始30周年を記念して、1979年4月2日から1980年3月31日までに放送された全309作品を収録した テレビ朝日限定生産DVDBOX『DORAEMON TIME MACHINE BOX 1979』が発売。 このDVDBOXにはパイロットフィルムの『勉強べやのつりぼり』と1980年の正月スペシャルに放送された『未来の国からはるばると』も特典映像として収録されている。 |
某日 | 受賞経歴 | 劇伴を担当した菊池俊輔が『ドラえもんBGM』でJASRAC賞の外国からの著作物利用料収入が最も多い作品に与えられる国際賞を受賞。2012年にも再度受賞。 | |
2010年 | 3月19日 | 放送経歴 | 『ありがとう!30周年 今夜かぎりの春のドラえもん祭』で第1話「ゆめの町ノビタランド」を再放送。 新作ではないが5年ぶりに旧声優陣のシリーズが放送された。 この放送は、関東ローカルで1979年4月2日に放送された帯番組時代のオープニングから再放送するという『ドラえもん』にしては珍しい形態の再放送であった。 |
2014年 | 5月 | 放送経歴 | CSテレ朝チャンネル1にて『TVアニメ35周年記念・ドラえもん名作コレクション』と題した第1話から話数順での一挙放送が実施。初回は『タイムマシンBOX1979』をそのまま放送。以降は、30分枠に合わせた編集が施され、1981年まで放送されていた日曜枠放送時のオープニング[注 18]が冒頭に挿入され終わりには『ドラえもんえかきうた』が挿入されている。 |
8月8日 | 放送経歴 | 映画『STAND BY ME ドラえもん』公開記念としてCSテレ朝チャンネルにて行われた傑作選放送で、地上波放送終了以来始めてピンクタイトル作品の再放送が行われる。 |
作品リスト
帯番組時作品リスト 1979年4月2日〜1981年9月27日放映分
『ゆめの町ノビタランド』から『やどり木』までの617作品と特番作品。
30分枠放送作品リスト 1981年10月2日〜2005年3月25日放映分
『ドラえもんだいきらい!?』から『ドラえもんに休日を?!』までの1170作品と特番作品。
声の出演
メインキャラクター
- ドラえもん - 大山のぶ代(1979年4月2日『ゆめの町ノビタランド』[注 19] – 2005年3月18日『ドラえもんに休日を?!』[注 20])
- のび太 - 小原乃梨子(1979年4月2日『ゆめの町ノビタランド』[注 19] – 2005年3月18日『ドラえもんに休日を?!』)[10]
- しずか - 野村道子(1979年4月2日『ゆめの町ノビタランド』[注 19] – 2005年3月18日『ドラえもんに休日を?!』)
- スネ夫 - 肝付兼太(1979年4月2日『ゆめの町ノビタランド』[注 19] – 2005年3月18日『ドラえもんに休日を?!』)[11]
- ジャイアン - たてかべ和也(1979年4月2日『ゆめの町ノビタランド』[注 19] – 2005年3月18日『ドラえもんに休日を?!』)
準レギュラーキャラクター
- ドラミ - よこざわけい子[12](1980年4月8日『おまたせドラミちゃん初登場! のび太の海底ハイキング』 – 2005年3月18日『ドラえもんに休日を?!』)
- 出木杉 - 白川澄子(1980年4月4日『税金鳥』 – 2005年3月18日『ドラえもんに休日を?!』)
- 玉子(のび太のママ) - 千々松幸子(1979年4月2日『ゆめの町ノビタランド』[注 19] – 2005年3月18日『ドラえもんに休日を?!』)
- のび助(のび太のパパ) - 加藤正之(1979年4月3日『変身ビスケット』 – 1992年10月2日『あべこべの星』)→中庸助(1992年10月23日『シャワーでかくれんぼ』 – 2005年3月18日『ドラえもんに休日を?!』)
- ノビスケ - 小原乃梨子(1979年4月7日『のび太のおよめさん』 – 1987年12月25日『タイムワープリール』)
- セワシ - 太田淑子(1979年12月20日『百年後のフロク』 – 2005年3月18日『ドラえもんに休日を?!』)
- ミニドラ - 北川智絵(1990年4月6日『ドラえもんの健康診断』)→佐久間レイ(1994年3月11日『ミニドラ救助隊』 - 2005年3月18日『ドラえもんに休日を?!』)
- 先生 - 沢りつお→加藤治→井上和彦(初登場 – 1981年9月)→田中亮一(1981年10月2日『ドラえもんだいきらい!?』 – 2005年3月18日『ドラえもんに休日を?!』)
- 神成 - 兼本新吾(1985年2月8日『友だちの輪』 – 1990年9月14日『町内突破大作戦』)→渡部猛(1991年3月22日『チリつもらせ機』 – 2005年3月18日『ドラえもんに休日を?!』)
- スネ吉 - 井上和彦(1979年6月15日『ラジコン大海戦』)→二又一成(1984年6月8日『超リアル・ジオラマ作戦』 – 2005年3月18日『ドラえもんに休日を?!』[注 21])
- ジャイ子 - 太田淑子(1979年4月13日『のろいのカメラ』)→青木和代(1980年1月2日『ドラえもんのびっくり全百科』 – 2005年3月18日『ドラえもんに休日を?!』)
その他
- おばあちゃん - 峰あつ子(1979年5月21日『おばあちゃんのおもいで(前)』 - 1979年10月23日『夢まくらのおじいさん』)→高村章子(1986年1月3日『おばあちゃんだいすき』 - 2004年8月13日『のび太の家出』)
- しずかのママ - 横沢啓子(1979年4月4日『テストにアンキパン』 - 1981年?)→松原雅子(1981年6月22日『しずかちゃんさようなら』 - 2005年3月18日『ドラえもんに休日を?!』)
- ジャイアンのママ - 青木和代(1979年4月17日『正義のみかたセルフ仮面』 - 2005年3月18日『ドラえもんに休日を?!』)
- スネ夫のママ - 鳳芳野[13](1979年4月19日『ママをとりかえっこ』 - 1991年3月8日『船舶びんづめ材』)→横尾まり[14](1991年4月19日『ハマグリパック』 - 2005年3月18日『ドラえもんに休日を?!』)
- ミイちゃん - 真柴摩利(1993年2月)→麻見順子(1993年4月)→渡辺久美子(1994年5月 - 1995年8月)→中沢みどり(1995年11月 - 1996年10月18日『ミイちゃんが行方不明』)→くまいもとこ(1997年12月5日『四次元キャッチャー』)→瀧本富士子(?)→松本さち(1998年5月15日『自分だけ早回し時計』 - 2005年3月18日『ドラえもんに休日を?!』)
スタッフ
メインスタッフ
- 原作 - 藤子・F・不二雄
- 企画 - 楠部三吉郎
- チーフプロデューサー(旧・プロデューサー) - 高橋正樹、小泉美明、菅野哲夫、加藤守啓、木村純一(テレビ朝日)/亀山泰夫、山崎立士(ADK)/別紙壮一、真田芳房、山田俊秀 (シンエイ動画)
- プロデューサー - 高橋由佳、岩本太郎、梶淳、山川秀樹、太田賢司、濱田千佳(テレビ朝日)/小川邦恵(ADK)/大澤正享、小倉久美(シンエイ動画)
- チーフディレクター - (不在)[注 22]→もとひら了→芝山努
- 音楽 - 菊池俊輔
- キャラクターデザイン、総作画監督 - 中村英一
- 美術設定 - 川本征平
- 美術監督 - 工藤剛一、佐藤正行、川井憲、沼井信朗、石橋修一、浜名お孝、川口正明、工藤由美、清水としゆき、磯渕千歌、滝口比呂志、鈴木聡
- 撮影監督 - 清水達正→小池彰→熊谷正弘
- 音響監督 - 大熊昭、浦上靖夫
- 色彩設計 - 野中幸子→松谷早苗 他
- 編集 - 井上和夫→岡安肇、渡瀬祐子
- 効果 - 柏原満
- 整音→ミキサー - 中戸川次男→大城久典→内山敬章
- 現像 - 東京現像所
- タイトル - くすべちょう→道川昭
- 文芸 - 松岡清治、桶谷顕、滝原弥生、山本有子
- 制作担当 - 田村正司
- 制作デスク - 山田俊秀、市川芳彦、大澤正享、馬渕吉喜、大金修一
- 制作 - テレビ朝日、シンエイ動画、旭通信社→ASATSU→ASATSU-DK→ADK
各話スタッフ
- 脚本 - 山田隆司、辻真先、深見弘、松下幹夫、松本勇、松岡清治、水出弘一、藤子不二雄、丸尾未歩(丸尾みほ)、桶谷顕、吉田喜昭、中弘子、小川あさ美、雪室俊一、岸間信明、清水勝也、藤本信行、園田英樹、志茂文彦、酒井直行、ごうどかずひこ、池田眞美子、矢島大輔、楠部工、城山昇、さかもとたけし、久保田美智代(久保田みちよ・久保田美智子)、川辺美奈子、滝原弥生、小松崎康弘、西村孝史、宮下義浩、三ッ浦孝、田村安彦、富永淳一、佐藤勝一、加藤公平、工藤カンナ、川崎良、舘谷徹、谷口純一郎、五十嵐暁美、松田季治、岡部優子、岡本尚也、ごうどかずひこ、はねだ翼、酒井直行、きなかたゆい、田中浩司、杉原めぐみ
- 演出(※コンテのみ参加したスタッフも含む) - 西牧秀夫(西牧ひでお)、藤みねお、大関雅幸、中原誠、出崎哲、森脇真琴、福冨博、草川昭(脚本も担当)、山崎勝彦、山吉康夫、康村正一、向中野義雄、滝沢敏文、坂田透、大原蓮三、阿部正巳(アベ正巳)、美月紫苑、川田武範、山口秀憲、小華和ためお、段野原一郎、渋谷哲夫、南碧、みなかよしたか、ささき誠、野田拓美、北林いつか、高橋資裕、鹿島恒保、もとひら了(脚本も担当)、高屋敷英夫、大西清、吉田茂承、望月敬一郎、大地丙太郎(小池彰)、山本孝一、穴倉敏、岡崎稔、山本一、こだま兼嗣(児玉けんじ・児玉兼嗣)、田代文夫、西元あきひろ、奥田誠治、尾崎正善、稲垣行雄、野寺三郎、藤原良二、吉永尚(よしなが尚)、中村みくりや、阿仁マスオ、大文字良一、大滝勝之、井上修、竹田裕二、石川類、土橋博、原田益次、角谷哲生、御厨恭輔、南田良夫、芝山努、須田裕美子、生嶋真人、鈴木良二、神村幸子、春田克典、向後知一、小泉謙三、池田成、前園文夫、石井文子、西山裕次、小林和彦、金子伸吾、中村孝一郎、大金正一、竹内大三、増田光昭、山下克己、岡嶋國敏、松本淳、緒形静、石原ひろし、伊東政雄、佐々木裕之(ささきひろゆき)、矢吹勉、石原立也、三家本泰美、横山裕一郎(横山裕一朗)、八角哲夫、高須賀克巳、望月智充、安藤敏彦、原恵一、平井峰太郎、パクキョンスン(脚本も担当)、湖山禎崇、高柳哲司、須藤典彦、西村純二、ほんごうみつる、塚田庄英、善聡一郎、生頼昭憲、根岸宏樹、ムトウユウジ
- 作画監督 - 中村英一、香西隆男、本多敏行(演出も担当)、椛島義夫、大宅幸男、田中登、窪田正史、富永貞義(演出も担当)、山崎猛(演出も担当)、三浦清継(三浦きよつぐ 演出も担当)、一川孝久(演出も担当)、小和田良博(演出も担当)、野島進(演出も担当)、川島明、吉橋節、飯村一夫、野田作樹(のださくじ 演出も担当)、森下圭介(演出も担当)、鈴木信一(演出も担当)、おおたぬう(演出も担当)、前田実、鈴木欽一郎、増谷三郎、徳田悦郎、南部大介、原完治、端名貴勇、若松孝思、渡辺歩(演出も担当)、久保園誠、藤森雅也、畑良子、高倉佳彦、大武正枝、なかじまちゅうじ、金子志津枝
主題歌
オープニングテーマ
特記なきものは1番を使用。
曲名 | 歌手 | 開始話 | 開始日 | 終了話 | 終了日 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ドラえもんのうた | 大杉久美子 | テンプレート:0テンプレート:0テンプレート:01 | 1979年4月2日 | テンプレート:0156 | 1979年9月29日 | 10分枠。 |
日 | - | 1979年4月8日 | - | 1981年9月27日 | 日曜枠。 | ||
2 | ぼくドラえもん | 大山のぶ代、こおろぎ'73 | テンプレート:0157 | 1979年10月1日 | テンプレート:0617 | 1981年9月23日 | 10分枠。正月特番のオープニングに使われたためこの3日間のみは放映エリア全域で聴けた。 |
(1) | ドラえもんのうた | 大杉久美子 | テンプレート:0618 | 1981年10月2日 | 1199 | 1992年10月2日 | 映像とスタッフロールの書体は変更。映像は1984年4月6日にも変更。 |
3 | 山野さと子 | 1200 | 1992年10月9日 | 1681 | 2002年9月20日 | 1995年4月14日に映像とスタッフロールの書体が変更。 | |
4 | 東京プリン | 1682 | 2002年10月4日 | 1705 | 2003年4月11日 | 2002年12月までは3番。翌年1月からは1番を使い、スタッフロールの書体も変更。オープニングを歌っているのは誰だというクイズを実施していたため、使われてから正解が発表されるまで「○○プ○○」と表示されていた | |
5 | 渡辺美里 | 1706 | 2003年4月18日 | 1752 | 2004年4月23日 | ||
6 | AJI | 1753 | 2004年4月30日 | 1787 | 2005年3月18日 |
「ぼくドラえもん」は10分枠でのみ使われており、全国放送の30分枠に着目した場合、一貫して「ドラえもんのうた」が使われていた。
エンディングテーマ
テンプレート:特殊文字 初期の10分帯枠にはエンディングがなく、最初のエンディングは日曜枠のものである。テンプレート:Clear
曲名 | 歌手 | 開始話 | 開始日 | 終了話 | 終了日 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
日 | 青い空はポケットさ | 大杉久美子 | テンプレート:01 | 1979年4月8日 | テンプレート:0617 | 1981年9月27日 | 日曜枠。 |
1 | まる顔のうた | 大山のぶ代 | テンプレート:0618 | 1981年10月2日 | テンプレート:0737 | 1983年11月11日 | レンタル映像ソフトに収録されているため、比較的容易に視聴できる。 |
2 | サンタクロースはどこのひと | テンプレート:0738 | 1983年11月18日 | テンプレート:0744 | 1983年12月30日 | ||
(1) | まる顔のうた | テンプレート:0745 | 1984年1月6日 | テンプレート:0757 | 1984年3月30日 | ||
3 | ぼくたち地球人 | 堀江美都子 | テンプレート:0758 | 1984年4月6日 | テンプレート:0971 | 1988年4月8日 | 1986年の作画変更後も約2年ほど旧作画のまま使われた。 |
4 | 青空っていいな | テンプレート:0972 | 1988年4月15日 | 1199 | 1992年10月2日 | ||
5 | あしたも♥ともだち | にしわきゆい | 1200 | 1992年10月9日 | 1346 | 1995年4月7日 | スタッフロールの書体が変更された。 |
6 | ぼくドラえもん2112 | 大山のぶ代、こおろぎ'73 | 1347 | 1995年4月14日 | 1681 | 2002年9月20日 | 10分枠オープニング「ぼくドラえもん」の別アレンジ。 |
7 | またあえる日まで | ゆず | 1682 | 2002年10月4日 | 1705 | 2003年4月11日 | 2002年11月15日に映像が変更。 映画『ドラえもん のび太とふしぎ風使い』でも使用された。 |
8 | タンポポの詩 | THE ALFEE | 1706 | 2003年4月18日 | 1729 | 2003年10月3日 | |
9 | YUME日和 | 島谷ひとみ | 1730 | 2003年10月10日 | 1757 | 2004年5月28日 | 映画『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』でも使用された。 |
10 | あぁ いいな! | ω(ダブルユー) | 1758 | 2004年6月4日 | 1787 | 2005年3月18日 |
「あしたも♥ともだち」までは基本的に3、4年周期(1983年クリスマス前限定の「サンタクロースはどこのひと」を除く)で、「ぼくドラえもん2112」は7年半使用と、20世紀はエンディングテーマをかなり長期サイクルで使ってきたが、「またあえる日まで」以降はタイアップ色の強い曲で半年ごとに変わっていた。このほか、映画の宣伝のため一時的にエンディングが変更された時期がある。
曲名 | 歌手 | 使用日 | 使用映画 |
---|---|---|---|
青い空はポケットさ | 山野さと子 | - | 『帰ってきたドラえもん』 |
時の旅人 | 西田敏行 | 1989年2月3日 – 1989年2月17日 | 『日本誕生』 |
季節がいく時 | SPEED | 1999年3月26日 | 『宇宙漂流記』 |
この星のどこかで | 由紀さおり 安田祥子 | 2000年3月10日、2000年3月24日、2000年4月7日 | 『太陽王伝説』 |
Love you close | 知念里奈 | 2001年3月16日 – 2001年4月13日 | 『翼の勇者たち』 |
いっしょに歩こう 〜Walking into sunshine〜 | KONISHIKI | 2002年2月22日 | 『ロボット王国』 |
ひとりじゃない 〜I'll Be There〜 | KONISHIKI with 新山千春 | 2002年3月1日 |
1996年ごろまでは毎年2月 - 3月にかけてエンディングテーマ後に新作映画公開のお知らせが入るため、エンディングテーマもショートバージョンでの放送となっていた。
日曜枠挿入歌
日曜枠で、本編終了直後に流れていた歌。そのあとCMを挟んでエンディング「青い空はポケットさ」が流れていた。 テレビ朝日では「推理クイズ・マゴベエ探偵団」(名古屋テレビ制作)の途中で日曜日朝6時55分からも流れていた。
- ドラえもん・えかきうた 歌 - 大山のぶ代
- ドラえもん音頭 歌 - 大山のぶ代、こおろぎ'73(映像はドラえもんが一人で踊る初期版と、のび太としずかが踊る新振付の後期版がある)
- ドラミちゃんのえかきうた 歌 - 横沢啓子
ドラえもん、ドラミちゃんのえかきうたは後に水田わさびと千秋がカバーしている。
挿入歌・キャラクターソング
曲名 | 作詞 | 作曲・編曲 | 歌 |
---|---|---|---|
ワンパク三人組 | ばばすすむ | 菊池俊輔 | 小原乃梨子/たてかべ和也/肝付兼太 |
ドラドラどこかにドラえもん | 喜多條忠 | 大杉久美子 | |
ドラえもんの夢 | ばばすすむ | 大杉久美子 | |
ドラえもんマーチ | 若林一郎 | こおろぎ'73/コロムビアゆりかご会 | |
ドラえもん数えうた | ばばすすむ | 大山のぶ代/こおろぎ'73 | |
おれはジャイアンさまだ! | たてかべ和也 | たてかべ和也 | |
のんきなのび太くん | ばばすすむ | 小原乃梨子 | |
しずかちゃんのうた | ばばすすむ | かおりくみこ | |
スネ夫のうた | 肝付兼太 | 肝付兼太 | |
ぽかぽかふわふわ | 高田ひろお | 大杉久美子 | |
ドラえもんしりとりうた | ばばすすむ | こおろぎ'73 | |
いいやつなんだよドラえもん | 楠部工 | 大杉久美子 | |
ドラえもんじゃあニィ | 喜多條忠 | 大山のぶ代 | |
すてきな一週間 | 楠部工 | こおろぎ'73 | |
ドラえもんにゅうイヤー | 喜多條忠 | 大山のぶ代 | |
ドラえもん子守唄 | 藤子不二雄 | 大杉久美子 | |
浪曲ドラえもん | 小谷夏 | 大山のぶ代 | |
ゾウさんの瞳はなぜ青い | 喜多條忠 | 大杉久美子 | |
ドラえもんのクリスマス | ばばすすむ | 菊池俊輔・青木望 | 大山のぶ代 |
ぽけっとポッポッポー | 山本正之 | 山本正之 | こおろぎ'73 |
うきうきタイムトラベル | 山本正之 | 山本正之・神保正明 | こおろぎ'73 |
夢 | 山崎ハコ | ||
風のマジカル | 湯川れい子 | NOBODY | 小泉今日子 |
その他
キャラクターデザイン
キャラクターデザインの変遷
アニメ版『ドラえもん』第2作1期の放送は約26年間も続いたので画調も時間と共に少しずつ変わってきた。しかし中にはスタッフたちが意図的にキャラクターデザインを変更したことが何回かある。大きく分けて計3回行われている。
キャラクターデザインは中村英一により行われた。本人も自覚しているがあまり原作の絵と似ていない。本人いわく「アニメ用のキャラデザインをするにあたって大変悩んだ。何とか原作に似せようと努力したがやはり自分の絵になってしまい力不足を痛感した。」とのことである[15]が、キャラクターデザインはもとより絵への影響は作画監督者による影響の方が大きい。作画監督者により絵は大きく異なる。だが基本はキャラクターデザイン者および総作画監督を務める中村英一の指導のもとに絵が確立されるため大きく異なるといってもそのキャラクターが誰だか分からなくなるということはまず無い。
- (1) 1979年4月2日『ゆめの町ノビタランド』〜1981年9月27日『やどり木』
- 放送開始からの約2年間。月曜 - 土曜で帯番組として放送されていた期間である。このアニメシリーズでは一番作画が一定していない時期で先述のように作画監督者によりキャラクターデザインが大きく異なる。帯枠での放送だったため作画の統一は難儀な事であったとプロデューサーの別紙は後日語っている[16]。
- この時期での特徴は、作画監督者による作品の絵に影響するデザインのばらつきが顕著に見られる点である。そのため、第2作1期の末期と比べて「昔と絵がかなり違う」などとよく言われるが、作画監督が中村英一か富永貞義でない場合は常時いわば作画崩壊状態になっていると言っても過言ではない。放送第1話『ゆめの町ノビタランド』が多く再放送されたがこの作品の作画監督者は椛島義夫だったため中村英一が設定した原画とはまた大きく絵が異なっていた。スネ夫の眉毛がつながっていたりすることが分かりやすい例である[注 23]。
- (2) 1981年10月2日『ドラえもんだいきらい!?』〜1985年8月16日放送分から1985年9月25日にかけて[注 24]
- 作画から動画に及ぶまで既存デザイン設定に忠実に制作されるようになる。それに伴い作画設定、色彩設定にも手が加えられた[注 25]。
- この間、作画監督者はほとんど中村英一に絞られ作画がほぼ一定となり帯枠時のアバウトな作調も大幅に改善される。
- このキャラクターデザイン作画変更と共に脚本設定、家の間取り設定なども多少変更される。
- (3) 1985年8月16日放送分から1985年9月25日にかけての作画変更後〜2005年3月18日『ドラえもんに休日を?!』
- 大掛かりな作画設定変更では最後の作画設定変更。ドラえもんのヒゲが青い部分へはみ出さず白い部分でおさまるようになる。またこの頃からのび太や静香の身長尺が少々大きくなる。これにはのび太たちの学年がこの頃に小学5年生と確定された事に起因する。
- 1988年頃から徐々に作画監督者を増やしていき、1991年からは渡辺歩が作画監督デビューした。2002年の後期頃から第2作2期に似た作画監督を行なった。当時の視聴者から見ると渡辺歩の作画はそうとう特徴的にうつり[注 26]一部のファンから反感をかってしまった[17]。しかし通常よりキャラクターの目が大きくなり少し可愛らしくなっている。金子志津枝はこれに似た作画を行う。
主な作画監督者
中村 英一
- このシリーズのキャラクターデザイン及び総作画監督を担当したアニメーター。今作のパイロットフィルム 『勉強部屋のつりぼり』の作画監督を務めた。
- 『ドラえもん』が何かしらで商品化された時にその商品にプリントされるドラえもんのほとんどは中村英一が描いたドラえもんがプリントされている。第2作1期のドラえもんといえばという時に提示されるドラえもんは中村英一が描いたドラえもんであることが多い[18]。
- 本人が一番印象に残っている作品は1979年4月10日に放送された『恐竜ハンター』。中村いわく「自分一人で原画を全て描いたので、強く印象に残っています。私自身も恐竜が大好きで、この話の演出家が仕事仲間の竹内啓雄氏だったこともあり、忘れられない作品です。」とのこと[19]。
- 第2作2期では各話スタッフとして作画監督を担当。2007年に富永貞義と共に番組を降板した。
富永 貞義
- 映画シリーズのほとんどの作品の総作画監督を担当したアニメーター。映画第2作『のび太の宇宙開拓史』にて映画作品で初の作画監督を担当。そこから22年間、『のび太とロボット王国』まで作画監督(後期では総作画監督)を全うし、映画ドラえもんならではの雰囲気を作り上げた。
- 渡辺歩に次いで作画監督をした作品数が多い(劇場用作品も含めて)。
- ご自身にとって藤子・F・不二雄先生の存在とはという質問に対し「私の夢の多くを実現してくださった方。人生の目標です。」と語っている[20]。
- 第2作2期でも渡辺歩と共にキャラクターデザインを担当した。2007年に中村英一と共に番組を降板した。
渡辺 歩
- 1991年から作画監督デビュー。渡辺歩が作画監督した作品のドラえもんたちは目の大きさが比率的に大きく非常に愛らしく描かれ多くのファンを獲得し第2作2期では富永貞義と共にキャラクターデザインを手がけた。
- 1992年公開の『のび太とアニマル惑星』にて作画監督補佐を務めた。
- 今作においては作画監督だけではなくコンテ・演出・映画によっては監督も務めた。コンテデビューは1996年5月17日に放送された『おしゃべり切手』。演出デビューは1997年10月18日放送の『ミイちゃんが行方不明』である。
- 自分にとって藤子・F・不二雄先生の存在とはという質問に対し「一番最初に好きになった漫画家で、やっぱり一番好きな漫画家。「ドラえもん」は私の全ての源です。」と語っている[21]。
- 2003年公開の『 のび太とふしぎ風使い』で始めて劇場用作品の総作画監督に任命される。翌年公開の『のび太のワンニャン時空伝』では演出も担当した。
本多 敏行
- テレビシリーズで多くの初期作品の作画監督を行う。
- 劇場版第1作『のび太の恐竜』の作画監督を行い、劇場版第4作『のび太と海底鬼岩城』から劇場版第9作『のび太のパラレル西遊記』までの6作品のレイアウト(コンテ)を担当する。
椛島 義夫
- 第1話『ゆめの町ノビタランド』の作画監督を行う。
- 短期間ではあったが放送が開始してからの約3ヵ月間の作画監督数は非常に多かった。
- 劇場版第2作『のび太の宇宙開拓史』と第3作『のび太の大魔境』のレイアウト(コンテ)を担当する。
原作と比較した本作の特徴
のび太の家が原作の物と形状が大きく異なる[22]。外見上は原作の家より第1作と同じ木造である点同一であり、窓、その他の形状などはいずれの物とも異なる。美術設定を第1作に引き続き担当した川本征平は、戦後の区営住宅をイメージして設定したと語っており、庭に設置されたバーゴラや、タテはめ板の外壁、瓦棒葺き屋根、中廊下式などの造りがその事を特徴づけるデザインとなっている[23]。
当時原作で「タケコプター」と「ヘリトンボ」の名称が入り混じっていた。番組スタッフの別紙壮一がそれらをタケコプターに統一し、それを原作側が逆輸入し原作でも名称がタケコプターに統一された[24]。
1980年4月の特番からドラミは登場するが、作者の意向でガチャ子は登場しない。帯枠時にガチャ子が登場する原作が数作品アニメ化されているが、いずれにおいても同じである。
しずかのニックネームは原作では「しずちゃん」だが、アニメ版ではほぼ「しずかちゃん」へ統一している。[注 27]また、原作でしずかは「あなた」を「あんた」などと言うことがあったが、担当声優である野村道子が放送開始直後に「あなた」に統一した。それに伴い、しずかの性格も少々おしとやかに描かれていくようになった。
アニメオリジナル作品が増加した2000年代に入るとジャイ子を初めとしてミニドラ、スネ吉、神成、ミィちゃん、ジャイアンの犬であるムクなどの脇役たちの登場が増加する。
また、原作に登場したひみつ道具の効用はほとんどそのままに外見とストーリーを少し変えただけの作品も多く放送されている。
『ドラえもん』は基本的には一話完結なので、単行本収録順にアニメ化をしているというわけでもなく、原作の作品を順不同にアニメ化して放送している。そのため、放送し残した作品などもある。『ドラえもん』は一話完結であるとはいえ、登場人物が前にあったことを基本的に覚えていて、のび太が「前に使った道具だ」などと言ったりする。そのため、てんとう虫コミックス第11巻収録の「もしもボックス」よりも先にてんとう虫コミックス第13巻収録の「お金のいらない世界」が放送された時には矛盾が生じたことがある。放送開始時には、すでにてんとう虫コミックス第15巻まで出版されていた。
本作のドラえもん
原作初期のドラえもんおよび、前作である第1作のドラえもんには現在に続く保護者的側面はほとんど無く、かつてのQ太郎のようにナンセンスなギャグ騒ぎを起こすトラブルメーカーとしての側面が強かった。
しかし、放送開始初期の帯枠時はアバウトな一面も見られたものの、今作においてドラえもんがトラブルメーカー的なキャラクターに描かれることはまず無かった。 帯枠から金曜の枠に入った時点[25]では、すでにドラえもんはのび太を呼び捨てにすることはほとんどなくなっている。 それ以降に原作初期の作品がアニメ化された場合も、原作のドラえもんの比較的過激なセリフは、ほかのキャラクターに差し替えられていたり、改訂されていたりする。
その中で大きかったのは、大山のぶ代による「ドラえもんは子守用ロボットであるから乱暴な言葉使いなどはしない」という考えによって彼女なりに意識して演技を続けた結果であり、「ぼくドラえもんです。」というセリフも元々「です」とは付いておらず彼女自身が付け足した物である。他にも「のび太を呼び捨てにしない」などの意向を持ってドラえもんを演じていた[26]。原作もある程度は同一ではあるが、のび太がひみつ道具を携えて町へ行き騒動を起こすくだりは今作では少し濃めに強調されており、ドラえもんがのび太に同行することは稀である。その一連の経緯で今作での「ドラえもん」というキャラクターはのび太に対する保護者的側面が強く描かれるようになっていった。
映像的な面においては、今作のドラえもんの身長は設定上は原作と同じ129.3cmであるものの、実寸100cmで描かれている。理由は至って単純であり、ただその方がかわいらしく見えるため[27]。これにより今作では放送開始時から、原作ではたいして大きくないドラえもんとのび太の身長差は格段に大きく描かれており、この点は第1作には見られなかった工夫である。また、この作画設定は次作にも受け継がれている。
映像ソフト
ビデオ・DVDはすべて小学館より発売されている。本作のビデオソフトは、放送開始時から長らく発売されていなかったが、1993年に放送15周年記念として順次刊行された。「傑作選」として発売しているため、収録されているものは一部である。このため、未収録話が多数存在するほか、収録順も放送時とは異なる。
なお、本放送時のフォーマットは使用されておらず、ビデオ用に編集されている。このため、次回予告は一切収録されておらず、オープニングとエンディングはビデオの最初と最後に収録されている。また、スタッフのクレジットもビデオ用にすべて差し替えられている。また、スタッフのクレジット表記は放送時のものとビデオ刊行時のものが混在して表記されている。
2009年にTV放送30周年記念として1979年放送分(10分番組)を全話収録したDVD-BOX『ドラえもんタイムマシンBOX1979』が発売された。発売後、1980、1981、と続いていくことも予想されたが、シンエイ動画にメリットが望めないこと等の理由により続巻は発売されていない。これ以降は収録話数・価格を抑制した『ドラえもんTVシリーズ名作コレクションDVD』(ISBNにより書店でも販売)に転換している。ただしコレクションDVDに収録される作品はほとんど特番用作品で、今作のレンタル用DVDに収録されているものとも収録作品がかなり重複している。そのため、日本で放送が長期化している主に国民的アニメと言われている作品の中では作者の意向で映像ソフトが発売されていない『サザエさん』を除いては『ちびまる子ちゃん』や『クレヨンしんちゃん』『それいけ!アンパンマン』などと比べても映像ソフト未収録作品が極端に多い。放送の開始した1979年の放送作品から放送の終了した2005年の放送作品に至るまで、幻と化している作品は数多く、それらの作品を収録した映像ソフトの販売を望む声も多い。また、放送当時は問題とされていなかったが現在になって差別描写として扱われるようになった演出[注 28]の含まれる作品も、現在では本編の前に注意書きと断りのテロップを挿入したうえで収録する事で、問題をクリアしている[注 29]。
2012年4月23日、小学館は2011年発売の『ドラえもんTVシリーズ名作コレクションDVD』ゆめの町ノビタランド編と『ドラえもんタイムマシンBOX1979』に収録されている「一生に一度は百点を」で、制作当時のいたずら書きに不適切な表現[注 30]があったとして該当部分約2秒を削除したDVDに交換することを発表している[28][29][30]。
キャッチフレーズ
- 1995年「僕ドラえもん」
- 1999年「映画 20th Anniversary TV 地球だいすき!」
賞歴
- 昭和59年(1984年)文化庁・テレビ用優秀映画賞
- 昭和60年(1985年)文化庁・テレビ用優秀映画賞
- 昭和63年(1988年)文化庁・テレビ用優秀映画賞
- 平成1年(1989年)文化庁・テレビ用優秀映画賞
- 平成10年(1998年)劇場映画『ドラえもん のび太の南海大冒険』
- 第53回毎日映画コンクールアニメーション映画賞
- 文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞
- 平成12年(2000年)劇場映画『おばあちゃんの思い出』
- 第55回毎日映画コンクールアニメーション映画賞
- 日本のメディア芸術100選アニメ部門選出(芝山努監督)
劇場アニメ
放送開始からおよそ1年、帯枠時であった1980年に劇場用作品第1作が公開された。それ以降、毎年3月に新作が公開され2004年までに全25作品が公開されている[注 31]。また、第4作以降の 作品は全て芝山努が監督を担当している。1988年公開分のみ原作者の体調不良により原作となる大長編が存在せず、1997年以降の原作者死去後は、藤子プロが原作漫画の執筆を担当した。原作漫画の大長編シリーズとしては2004年の物が最終作となっている。
作品一覧
- ドラえもん のび太の恐竜(1980)
- ドラえもん のび太の宇宙開拓史(1981)
- ドラえもん ぼく、桃太郎のなんなのさ (1981)
- ドラえもん のび太の大魔境(1982)
- ドラえもん のび太の海底鬼岩城(1983)
- ドラえもん のび太の魔界大冒険(1984)
- ドラえもん のび太の宇宙小戦争(1985)
- ドラえもん のび太と鉄人兵団(1986)
- ドラえもん のび太と竜の騎士(1987)
- ドラえもん のび太のパラレル西遊記(1988)
- ドラえもん のび太の日本誕生(1989)
- ドラえもん のび太とアニマル惑星(1990)
- ドラえもん のび太のドラビアンナイト(1991)
- ドラえもん のび太と雲の王国(1992)
- ドラえもん のび太とブリキの迷宮(1993)
- ドラえもん のび太と夢幻三剣士(1994)
- ドラえもん のび太の創世日記(1995)
- ドラえもん のび太と銀河超特急(1996)
- ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記(1997)
- ドラえもん のび太の南海大冒険(1998)
- ドラえもん のび太の宇宙漂流記(1999)
- ドラえもん のび太の太陽王伝説(2000)
- ドラえもん のび太と翼の勇者たち(2001)
- ドラえもん のび太とロボット王国(2002)
- ドラえもん のび太とふしぎ風使い(2003)
- ドラえもん のび太のワンニャン時空伝(2004)
関連項目
脚注
注釈
出典
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タグがありません- ↑ 映画シリーズは第17作まで担当。後任は堀井勝美。
- ↑ 「古今東西TVアニメ作品人気番付」『読売新聞』1987年1月1日付、37頁。
- ↑ 「テレビ秋の陣 地上波の模索(下)アニメバブル 長持ちソフト期待」『朝日新聞』1998年10月2日夕刊、11面。
- ↑ 「しんちゃん」は不滅?“サザエ方式”で存続か - スポニチ Sponichi Annex ニュース、2009年9月21日。(2009年9月24日時点のアーカイブ)
- ↑ YTVは日本テレビから第1作をネット受けしていた。
- ↑ 1980年1月1日放映『タイムマシンでお正月』/1980年1月2日『ドラえもんのびっくり全百科』/1980年1月3日『ゾウとおじさん』
- ↑ アニメ第2作1期「ころばし屋」1979年4月15日放送
- ↑ 1979年4月5日放映『N・Sワッペン』 1979年4月12日放映『ラッキーガン』 1979年4月17日放映『正義のみかたセルフ仮面』 1979年4月18日放映『一生に一度は百点を』
- ↑ 藤子・F・不二雄★ワンダーランド『ぼくドラえもん01』より 『楠部三吉郎インタビュー』
- ↑ 1979年7月23日〜7月28日放送分の第97話 - 第102話の6話のみ丸山裕子が代役
- ↑ 1985年の一時期のみ龍田直樹が代役
- ↑ 旧名・横沢啓子を経て現在の物に変更
- ↑ 当初は加川三起名義
- ↑ 当初は横尾マリ名義
- ↑ DVDBOX『ドラえもんタイムマシンBOX1979』付録パンフレット
- ↑ タイムマシンBOX 付属パンフレット
- ↑ 渡辺歩インタビュー
- ↑ ドラえもん商品カタログ
- ↑ ドラえもん タイムマシンBOX1979 パンフレット
- ↑ ドラえもん タイムマシンBOX1979 パンフレット
- ↑ ドラえもん タイムマシンBOX1979 パンフレット
- ↑ 詳細は当ページ、9項.のび太の家を参照
- ↑ 藤子・F・不二雄★ワンダーランド ぼくドラえもん02
- ↑ 『ドラえもんタイムマシンBOX1979』付録パンフレット
- ↑ 1981年10月2日放送『ドラえもんだいきらい!?』
- ↑ 大山のぶ代著:『ぼくドラえもんでした』
- ↑ 藤子・F・不二雄★ワンダーランド『ぼくドラえもん02』より
- ↑ ドラえもん不適切表現で謝罪、作品収録DVDを修正済みのものと交換へ。ナリナリドットコム 2012年4月23日閲覧
- ↑ 読者・ご購入者の皆様へ 〜『ドラえもんDVD』に関するお知らせ〜 小学館 ニュース 2012年4月24日閲覧(2012年4月24日時点のアーカイブ)
- ↑ ドラえもんDVDに「○○」「××」 小学館が「性的文言」謝罪、製品交換(2012年4月24日 J-CASTニュース 2014年8月17日閲覧)・問題の箇所の画像拡大