シャボン玉ホリデー
テンプレート:出典の明記 テンプレート:基礎情報 テレビ番組 テンプレート:TV 『シャボン玉ホリデー』(シャボンだまホリデー)は、1961年6月4日から1972年10月1日まで日本テレビで毎週日曜 18:30 - 19:00 (JST) 、1976年10月9日から1977年3月26日まで同系列局で毎週土曜 23:45 - 24:15(日曜日未明0:15)に放送されたバラエティ番組である。放送回数は第1期が全591回、第2期が24回。
第1期・第2期ともに、化粧石鹸メーカーである牛乳石鹸共進社[1](牛乳石鹸)の一社提供だった。
目次
番組綱要
シャボン玉ホリデー(1961 - 1972)
制作は日本テレビと渡辺プロダクション(後年タレント部門をワタナベエンターテインメントに継承)。渡辺プロが目下売り出し中の双子の女性デュオ・ザ・ピーナッツを主役に据えた音楽バラエティショーとして制作された。現場の指揮は、渡辺プロダクションの制作部長、松下治夫(現、株式会社ワイズメン代表)が執った。
このため、テンプレート:要出典範囲、番組を提供するスポンサー探しは難航を極め、当初提供契約に難色を示していた牛乳石鹸が最終的にしぶしぶ行った[2]経緯から同社より見返りを求められ、日本テレビが見返りとして番組名を『シャボン玉ホリデー』に変えた経緯がある。番組名がホリデーとなっているのは、牛乳石鹸社長の宮崎寅四郎による命名で、電通の堀貞一郎から牛乳石鹸への売り込みだったため、その労をねぎらい堀の名をとり堀貞(ホリテイ)からホリデーとした[3]。なお、牛乳石鹸の一社提供だったため、番組冒頭には乳牛の鳴声「モーォゥ!」と番組テーマ曲をバックに「提供・乳牛マーク・牛乳石鹸」が書かれていた提供クレジットが入れられていた。その代償として、テーマ題の最後に「ピーナッツ!」とサブタイトルを入れることにした[4]。ただ、視聴率が高かったため、結果的には成功ということになった。
番組はまず「牛乳石鹸提供・シャボン玉ホリデー!!」のタイトルコールに次いで、乳牛の鳴き声でオチとなるコントをやり、その後ザ・ピーナッツがテーマソングをシャボン玉の舞う中で歌い、毎回一つのあるテーマに沿ってザ・ピーナッツ、ハナ肇とクレージーキャッツ、並びに毎回登場するゲストを交えて、コントや歌、トークなどを展開。番組からは数多くのギャグが生まれ、特に植木等の「お呼びでない…これまた失礼致しました」は番組を代表する伝説的なフレーズとして親しまれた。
第1回からカラー放送で、生放送ではなく、カラーVTRに収録して放送を行った[5]。収録は出演者のスケジュール上、深夜に撮影されることが多く、時には、明け方までかかることもあったという。オープニングテーマとエンディングテーマからも伺えるとおり、番組の主役はザ・ピーナッツであるが[6]、実質的にはハナ肇とクレージーキャッツとのW主演となった。
また、例年の8月にはクレージーが大阪市北区の梅田コマ・スタジアムで特別公演を行うため、系列局である読売テレビ[7]のスタジオ(当時は東天満に存在)を使って収録したこともある。
1972年に入ると、クレージーのメンバー全員揃っての出演は無くなる(ハナ肇か谷啓が出演)。そして同年5月からの約半年間は公開番組となり、谷啓、ピーナッツ、そして井上順之(現・井上順)がメインを務め、スタジオに動物を入れるなど、往時とは別内容のものとなっていた。この頃にはジャッキー吉川とブルーコメッツもレギュラーとなっていた。
通常『シャボン玉ホリデー』と言えば、こちらの第1期を指すことの方が多い。
番組は1972年10月1日、11年4ヶ月の歴史に幕を下ろした。
シャボン玉ホリデー(1976 - 1977)
第1期「シャボン玉ホリデー」の終了から4年後の1976年10月9日、オリジナルタイトル&提供(牛乳石鹸)そのままでリバイバル。三ツ矢歌子・藤村俊二・車だん吉に、デビュー間もないピンク・レディーをレギュラーにして、第1期と同様に日本テレビで、土曜 23:45 - 24:15に放送されたが、土曜深夜のために視聴率が低く、ナイターシーズン用の『全日本プロレス中継』の放送枠確保のため[8]半年後の1977年3月26日に終了した。
しかし、ピンク・レディーはこの番組がきっかけで、1977年に牛乳石鹸が発売した「シャワラン・ビューティシャンプー&リンス」のCMに出る様になった。
なお、1977年1月1日には『全日本プロレス中継』(全日本プロレス主催の正月興業)編成[9]のために放送を休止した。第1期は一回も休止されなかったので、これがシリーズ唯一の休止となった。
主な出演者
第1期
- ザ・ピーナッツ
- ハナ肇とクレージーキャッツ( - 1972年)
- 白木秀雄 - 当番組内でハナ肇とドラム合戦をしたこともある。
- なべおさみ
- 小島正雄
- 前田武彦
- 小松政夫
- 青島幸男
- 伊東ゆかり
- 中尾ミエ
- 園まり
- 布施明
- 玉川良一
- 藤村有弘
- ダークダックス
- スリーファンキーズ
- ジャニーズ
- ザ・タイガース[10]
- ジャッキー吉川とブルーコメッツ - 最末期にレギュラーとなる。
- 井上順(1972年)
第2期
ゲスト
第1期
- ザ・ドリフターズ
- 梓みちよ
- コント55号
- 白木みのる
- 春日八郎 - 第1回ゲストの一人
- ミッキー・カーチス
- 鶴田浩二
- 平尾昌章
- 松島トモ子
- 林家三平
- 中村八大トリオ
- 越路吹雪
- 宝田明
- 高島忠夫
- 坂本九
- 木の実ナナ
- 谷幹一
- ミヤコ蝶々
- 藤田まこと
- ジャニーズ
- 西郷輝彦
- かしまし娘
- ジミー時田
- ルーキー新一
- トニー谷
- 立川談志
- 玉川良一
- 芦屋雁之助
- 古今亭志ん朝
- 奥村チヨ
- 山本直純
- 水前寺清子
- ワイルドワンズ
- 森進一
- 三遊亭圓楽
- 京唄子
- 鳳啓助
- 江利チエミ
- スパイダース
- ビリーバンバン
- 沢田研二 - 最終回では井上堯之バンドと共にゲスト出演した[11]。
- ケーシー高峰
- 南利明
- 辺見マリ
- ピンキーとキラーズ
- 小山ルミ
- 小柳ルミ子
- 柳家金語楼
- 南沙織
- 天地真理
- 由紀さおり
- 北島三郎
- 岡田眞澄
- てんぷくトリオ
- 中山千夏
- 雪村いづみ
- ホーギー・カーマイケル[12]
第2期
- 山田康雄
- 森田公一
- 西城秀樹
- 研ナオコ
- 桜田淳子
- 都はるみ
- 千昌夫 - 当時牛乳石鹸の「スキンライフ」のCMに出演。
- 森田健作
- 片平なぎさ
- 和田アキ子
- 前川清(内山田洋とクールファイブ)
- 新沼謙治
- 野口五郎
- 八代亜紀
- あおい輝彦
- 山口百恵 - 当時同業社のヘアケア製品のCMに出演していたが、なぜかゲストに呼ばれた。
- 伊東ゆかり - 最終回に出演。
- ほか
コーナーなど
- 冒頭
- プロローグ
- 牛乳石鹸に因み、乳牛の鳴き声「モ〜ォゥ!」でオチになるコント。鳴き声は初期はクレージーの一人が口で行うか、管楽器を鳴らそうとして「モ〜ォゥ!」となるかだったが、中期からは着ぐるみの乳牛がやるようになった。
- 提供クレジット→タイトルカード
- ファンファーレ風のジングルと共に、「提供 牛乳石鹸」[14]という提供クレジットが出され、その後、上段に「シャボン玉ホリデー」、下段に今回のサブタイトルが書かれたタイトルカードが映し出される。
- オープニング
- シャボン玉が舞う映像が映され、(エミ)「シャボン玉ホリデー」(ユミ)「○○(サブタイトル前部)」(2人)「ピーナッツ!」という声がした後、ピーナッツが映されてテーマソングを歌う。
- 生CM
- 大別して2種類あり、オープニング直後にクレージーの誰かとピーナッツがやり取りした後に、牛乳石鹸製品の紹介ナレーションをする物と、番組中のコントに突然ピーナッツが現れて、生CMへいく物が有る。またエンディング前の生CMは、犬塚弘と入江美樹の掛け合い後にナレーションで行った。製品は、OP後ではシャンプーやシェービング製品、ED前では主力商品の「赤箱」が多かった。
- およびでないコント
- 番組名物コントで、植木が場違いな場面に現れて、皆があっけに取られた所で、植木が「およびでない、こりゃまた失礼しました!!」と言いながら去り、皆がずっこける。
- おかゆコント
- ハナが病気で寝たきりの父親、ピーナッツがその娘に扮し、(ピーナッツ)「おとっつぁん、おかゆが出来たわよ」(ハナ)「いつもすまないね」で始まるコント。「およびでないコント」や「キントトコント」などと絡ませる事が多い。
- キントトコント
- なべが映画監督、安田が助監督に扮し、映画の撮影風景を見せるコント。必ずなべが安田を「安田ァ!!」と叫びながらどつくのが定番であり、この時期のなべの当たり役となった。
- ギャングコント
- 谷がギャング団のボスに扮するコント。
- フィナーレ
- ラスト、全出演者が歌って踊る。
- エンディング
- 街灯とベンチが置かれている暗いスタジオで、ピーナッツがエンディングテーマ「スターダスト」を歌っていると、ハナ(それ以外の時も有り)が現れ、この回のまとめを述べる。その後ピーナッツに暴言を吐き、ピーナッツから肘鉄を食らって去り、ピーナッツもフレームアウトする。その後後ろにいた犬塚がギターを弾き(ロス・インディオス・タバハラスのレコード音源に当て振り)、それに合わせて今回放送分のスタッフと出演者のテロップがスクロールされ、そして次回放送分の作・サブタイトル・出演者の手書きテロップが映される。
- 提供クレジット→エンドカード
- 冒頭と同じ提供クレジットが出された後、「シャボン玉ホリデー おわり」と書かれたエンドカードが出される。この間、オープニングテーマの後半部と、乳牛の鳴き声「モ〜ォゥ!、モ〜ォゥ!、モ〜ォゥ!…」(何回も繰り返してフェードアウト)が被さる。
スタッフ
第1期
- プロデューサー:秋元近史
- アシスタントプロデューサー:原薫太郎(多忙だった秋元の業務を補佐するため番組後期に新設された。)
- ディレクター:秋元近史、齋藤太朗、小郷英武、小俣達雄、向笠正夫、五歩一勇ほか
- 作・構成:青島幸男、前田武彦、津瀬宏、塚田茂、伊藤裕弘、谷啓、河野洋、滝沢ふじお、はかま満緒、奥山侊伸、田村隆、景山民夫、大岩賞介ほか
- 音楽:宮川泰、東海林修
- 振付:小井戸秀宅
- 演奏:宮間利之とニューハード
- ナレーター:熊倉一雄、納谷悟朗、平井道子ほか
第2期
- プロデューサー:池田文雄
テーマソング
番組と同名のテーマソングをザ・ピーナッツが歌っていた。そのテーマソングの作詞者は前田武彦である。
第2期(ピンク・レディー時代)のテーマ曲は第1期とは大きく異なっており、ワルツ調になっていた(作詞作曲は不明)。
放送局
- 日本テレビ(制作局)
- 札幌テレビ
- 岩手放送→テレビ岩手
- 仙台放送
- 山形放送
- 福島テレビ
- 新潟総合テレビ
- 北日本放送
- 福井放送
- 静岡放送(1969年3月まで)
- 名古屋テレビ(第1期)→中京テレビ(第2期)
- よみうりテレビ
- 日本海テレビ
- 広島テレビ
- 山口放送
- 四国放送
- 西日本放送
- 南海放送
- 高知放送
- RKB毎日放送→テレビ西日本(ネットチェンジ後も同時ネットで放送、1969年9月まで)→福岡放送(1969年10月から)
- テレビ長崎
- テレビ大分
- テレビ宮崎
- 鹿児島テレビ
- 琉球放送(途中打ち切り)
ほか
番組終了後
木曜スペシャル
『シャボン玉ホリデー』第2期レギュラー放送終了から9年後の1986年3月6日放送の『木曜スペシャル』で、クレージーキャッツ結成30周年を記念し、当時の貴重な映像やコントの再現などで一夜限りの復活版を放送した[15]。チェッカーズや原田知世などがクレージーキャッツ[16]と共演し、当時の台本を元にオリジナルのスタッフの斎藤太朗が演出した。番組は自殺した同番組プロデューサー兼ディレクターの秋元近史に捧げられていた。 テンプレート:Main
スペシャルドラマ『シャボン玉の消えた日』
1989年12月31日 16:00 - 17:55、このシャボン玉ホリデーの最終回の裏側を描いたスペシャルドラマ『シャボン玉の消えた日〜シャボン玉ホリデー・笑いにかけた青春物語〜』を放送[17]。
ザ・ピーナッツ役はWink、青島幸男役に萩原流行、ハナ肇役に渡辺正行、谷啓役に小倉久寛、犬塚弘役に嶋田久作、植木等役は田口トモロヲ[18]、などといったキャスティングだった。
スポンサーは牛乳石鹸を含めた複数社提供だったが、ドラマ内では当時使われた牛乳石鹸の提供スーパーが再現された。
現存映像
第1期放送当時の放送用2インチビデオテープは高価であるため、第1期の現存映像は次の10本が残っているだけである。
- 1964年4月19日放送「コーラス万歳!ピーナッツ」→モノクロキネコ
- 1964年8月23日放送「楽器で遊ぼうピーナッツ」→モノクロキネコ(一部カラー)
- 1965年7月11日放送「どうなってんだピーナッツ」→モノクロキネコ
- 1966年1月9日放送「タニーケイだよピーナッツ」→同上
- 1966年3月6日放送「コントは楽しピーナッツ」→同上
- 1967年7月16日放送「お化けが出るよピーナッツ」→同上
- 1969年11月2日放送「ダンドリ大切ピーナッツ」→カラーVTR
- 1970年4月19日放送「安田ァー!ピーナッツ」→同上
- 1970年8月2日放送「海へ山へピーナッツ」→同上
- 1972年4月30日放送「10周年だよ!」→同上
これらの内、後年の回顧特番などで放送されるのは大半がモノクロキネコ版で、カラーVTRは放送する事が少なく、特に「10周年だよ!」は、放送形態が非公開から公開番組に変わった初の回であるにも関わらず、ほとんど放送される事がない。
第2期(ピンク・レディー版)は、後年の回顧番組(特にピンク・レディー関連)でも取り上げる事はほとんどなく、現存映像があるのかは不明。
ただし、1978年に発刊した「牛乳石鹸共進社70年の歩み」では、「主な提供番組」のページに、山田康雄らがゲスト出演した回の写真が、ピンク・レディーや三ツ矢・藤村・だん吉らレギュラー出演者と共に掲載されている。
放送ライブラリーにて「コーラス万歳!ピーナッツ」が公開されている。
NHK教育『テレビジョン その時代』での再放送
1983年にNHK教育テレビで放送されたテレビ放送30周年特番『テレビジョン その時代』では、「楽器で遊ぼうピーナッツ」を放送。放送形態は次に様に変更された。
- 冒頭のザ・ピーナッツの台詞「牛乳石鹸提供!!シャボン玉ホリデー」の「牛乳石鹸提供!!」の部分は無音となった。
- オープニングでの提供クレジットと、オープニングテーマ終了後のザ・ピーナッツとハナ肇によるCM[19]の部分は「コマーシャル」のカードに差し替えられた。
- 番組内の「牛乳石鹸」のテロップは、「番組スポンサー」というテロップで伏せられた。
- ED前の犬塚と入江による生CMは途中で切られ、すぐにEDへ行った。
- エンドカードは「スターダスト」が流れている最中に出され、「次回予告」「提供クレジット」「乳牛の鳴き声がフェードアウト」は全て削られた。
ただし、プロローグでの乳牛の鳴き声(小島正雄がピアノを弾こうとして「モーォゥ!」)はそのまま放送された。
ビデオグラム
1995年に東芝EMI(現・EMIミュージック・ジャパン)からビデオとレーザーディスクで発売(2007年にDVDで再発売)された『クレージーキャッツ メモリアル』に「楽器で遊ぼうピーナッツ」、「どうなってんだピーナッツ」、「タニーケイだよピーナッツ」、「コントは楽しピーナッツ」の4本が収録されている(すべてモノクロだが、一部パートにカラー映像がある)。
ボーナストラックとして「ダンドリ大切ピーナッツ」でのコント「キントト映画」が収録されている(カラー。この映像のみ不要になったキネレコ・フィルムをハナ肇が持ち帰り私的に保存していたもの)。なおこのメディアは、ハナ肇が晩年にクレージーキャッツ全盛期のテレビ番組をビデオ化し発売しようとして頓挫した企画を、その没後に関係者が尽力しテレビ局各社のライブラリから映像提供を受けて実現させたものである。
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:ハナ肇とクレージーキャッツ テンプレート:ザ・ピーナッツ
テンプレート:ピンク・レディー- ↑ 1967年までの正式社名は「共進社油脂工業」。
- ↑ 理由はあくまでも牛乳石鹸の会社都合であり、番組に関するものではない。
- ↑ 馬場康夫『「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た!』講談社、2007年、p.52
- ↑ なお、後年は「ピーナッツ!」のサブタイトルは省略された。また、ザ・ピーナッツの冠番組は1本も実現しなかった(単発特番を除く)。
- ↑ 現存する映像はキネコで収録されたモノクロ映像がほとんどだが、僅かにカラービデオテープで残っているものもある。
- ↑ 事実、放送開始の1961年6月4日付けの各新聞に載せられた広告(牛乳石鹸製品と、翌6月5日にTBS系列局で放送を開始した朝日放送製作の牛乳石鹸提供番組『モウモウ湯繁盛記』の広告付き)では、ザ・ピーナッツがメイン扱いで、クレージーはゲスト的な扱いだった。
- ↑ 牛乳石鹸の本社は大阪市城東区にある。
- ↑ 元々この枠は、土曜 23:45 - 24:40の放送枠で海外ドラマを放送していたが、ナイターシーズン中は19:30 - 20:54にプロ野球中継が放送された際は海外ドラマを休止し、『全日本プロレス中継』を録画放送した。この体制は1979年3月まで続いた。
- ↑ 当日の19:00 - 20:54に『元祖どっきりカメラ』の正月特番が編成されたため、ナイターシーズン中同様放送枠を繰下げた。
- ↑ 瞳みのる『ロング・グッバイのあとで』(2011年 集英社)P174
- ↑ 五歩一勇『シャボン玉ホリデー スターダストをもう一度』(1995年 日本テレビ放送網)P269の写真より。
- ↑ 五歩一勇『シャボン玉ホリデー スターダストをもう一度』(1995年 日本テレビ放送網)P236に出演の経緯が詳述されている。
- ↑ 入江美樹が担当することが多かったが、別の人物が行うこともあった。
- ↑ 初期は、上段に「長方形に囲まれた乳牛マーク」、下段に「提供 牛乳石鹸」という構成だったが、中期からは、上段に「提供」、中段に「丸に囲まれた乳牛マーク」、下段に「牛乳石鹸」という構成に変わった。
- ↑ 『木曜スペシャル』での放送だったため、そこで提供していた花王などの複数社提供となり、牛乳石鹸は提供されなかった。
- ↑ この番組では、1971年に脱退した石橋エータローも15年振りに共演した。
- ↑ ただし、この番組内ではクレージーキャッツが最終回まで出演しているという設定になっており、その意味ではフィクションであるといえる。
- ↑ 当初は所ジョージが出る予定だった。
- ↑ オープニングの終了後、髪を抑えたピーナッツの前に楽器を持ったハナが現れ、ピーナッツが気分が優れないのでハナが楽器を鳴らすが、ピーナッツは髪を綺麗にしたいと発言、そこでハナが懐から当時発売されていた「液体 牛乳シャンプー」の容器を取り出した所で、同製品のCMとなる。