キルクーク
テンプレート:世界の市 キルクーク(テンプレート:Lang-ar, テンプレート:Lang-ku, Kirkuk)は、キルクーク県に属するイラクの都市。バグダードの北方236kmで、モースルの南東149kmにある。イラク北部の石油工業の中心である。2003年の人口は755,700人(推定)。
歴史
キルクーク油田は、1927年にキルクーク近郊のテンプレート:仮リンク(Baba Gurgur)で発見され、1934年にテンプレート:仮リンクによって生産開始された。
キルクークは、主にクルド人とトルクメン人が暮らす多民族都市として知られていたが、1980年代にサッダーム・フセインのアラブ化政策にともない、クルド人やトルクメン人は郊外の村々に強制的に移住させられ、都市の住民の大部分はスンナ派アラブ人の労働者となった。
1991年の湾岸戦争以降、国際連合による「石油と食料の交換プログラム」よって、輸出原油の少なくとも50%をトルコを通して輸出するよう義務づけられていた。イラクの原油輸出ルートの主要な2つのうちの一つであるテンプレート:仮リンクは、キルクークから出てトルコの地中海岸のジェイハンに達する。
2003年のイラク戦争では、アメリカ軍に支援されたクルド人民兵「テンプレート:仮リンク」によって解放された。サッダーム政権崩壊後は、クルド人主体の治安部隊「テンプレート:仮リンク」による組織的なアラブ人の追放、殺害、拷問、不当逮捕と言ったアラブ人に対する報復が起き、国際機関等が「民族浄化」に当ると非難した。クルド人側は、キルクークはクルディスタン南部に含まれると主張し、キルクークをクルディスタン地域に組み込むためにキルクークの住民投票を実施を主張している。このため、キルクークに戻ってくるクルド人も多い。また、クルドの民族主義者は新しい独立クルド国家の首都にするべきだと主張している。しかし、住民投票はアラブ人の反発で実施に至っておらず、石油利権も絡みイラクの深刻な宗派・民族対立問題の一つとなっている。1998年の推定では、100億バレルを越える量が地下に残されている。
現在、イラク政府により、旧政権下で同国中・南部からキルクークに移住してきたアラブ人に限り、元に住んでいた場所に帰還するよう促しており、帰還に応じた者には政府から保証金が支払われることになり、現在多くのアラブ人がこれに応じている。ほかにアルメニア人・トルクメン人なども居住し、クルド人の人口は以前の15万人から35万人以上に増加したと見られる。
2014年6月、イラクとシャームのイスラーム国のモースル制圧に伴い、クルディスタン地域はキルクークを制圧した。[1]
気候
半乾燥気候である。最高気温は6~9月が38度C以上、12~5月が20度C以下。降水量は6~9月がゼロ、10~5月が月間10mm程度である。
脚注
外部リンク