さまぁ〜ず
テンプレート:Infobox お笑いコンビ さまぁテンプレート:〜ず(テンプレート:Lang-en-short)は、三村マサカズと大竹一樹の2人からなる日本のお笑いコンビ。所属事務所はホリプロ。キャッチコピーは「東のコント職人」。
目次
メンバー
来歴・人物
デビュー前
大竹・三村共に東海大学高輪台高等学校工業科(現:東海大学付属高輪台高等学校)に単願推薦で入学し、2年生時に同じクラスとなったことがきっかけで出会う[2]。
1988年5月、既に事務所からスカウトされていた高校時代の同級生に連れられ、ホリプロの事務所に遊びに行ったことがきっかけでお笑いの道へ進む事になった。当初は元同級生・大竹・三村のトリオ(トリオ名は「しゃぶしゃぶ」)として活動を開始した。しかし、元同級生がいつの間にか他の芸人とコンビを組んで舞台に出ていたため、三村が「お前は1人で舞台に立ってた方がいい」[3]と発言しトリオを解散する(後年、『リンカーン』に元同級生が登場した際、さまぁテンプレート:〜ずの二人は昔からとにかく面白かったと語り、盛り上げ役の三村に対し「タケ(大竹)はキレのある鋭い笑いを入れ込んでくるタイプだった」と評した[3])。そしてこの後、東海大学在学中であった大竹が大学で知り合った友人を三村に紹介し、再びトリオを結成。なお、2度のトリオ結成について三村は「俺と大竹はちょっとやる気がなくて、一人引っ張ってってくれるリーダー的な人を立てないと一生売れないだろうなと思っていた」と発言している[4]。
バカルディ時代
1989年4月、ホリプロのお笑いライブに出演し、お笑いコンビ「バカルディ(『バカルディー』の表記も混在[5])」として活動を開始。「バカルディ」はネタを考えていた時に着ていたバカルディのTシャツの文字から取った。また、ダブルミーニングとして日本語の「バカ」も込められている[6]。同期に田口浩正、小浦一優(芋洗坂係長)が組んでいたお笑いコンビ「テンション」等がいる[7]。
1990年代前半、テレビ朝日『ザ・テレビ演芸』の審査員をしていた山藤章二の支持を受け(他の審査員はキリングセンスを支持していた)、関東期待の若手芸人としてテレビ・ラジオ等で活躍。同時期に人気を博したホンジャマカと共に、当時の人気力士に準えて「お笑い界の若・貴」とも称され、各局にレギュラー番組を持った。しかし1990年代半ば頃からメディア露出の機会が減り、しばらく不遇の時期を過ごした。当時、『ボキャブラ天国』の出演打診を受けるも大竹は断った。後に番組はヒットし、ボキャブラブームが到来する。その後番組から途中出演の打診を受けるも「一度決めた事を今更変えられない」という想いを固持し続け、『ボキャブラ天国』への出演はなかった。その後は主な活動の場を舞台へと移し、コンスタントにライブ活動を続けていた。
さまぁテンプレート:〜ず時代
2000年に出演した『新ウンナンの気分は上々。』(TBS系)の企画において、コンビ名を「さまぁテンプレート:〜ず」に強制的に改名させられた(後述)。これをきっかけに再び世間の注目を集め出し、三村独特の「 - かよ!」に代表されるツッコミ芸(通称「三村ツッコミ」)が認知され再びブレイク。これを足掛かりに徐々にその活動の場を広げていった。
2000年以後は人気が定着、お笑いブームの中にあって、ゴールデンタイムから深夜番組まで、八面六臂の活躍が出来る中堅芸人としてテレビ番組を中心に活躍。舞台、書籍などでも活動している。
2003年、第41回ゴールデン・アロー賞芸能賞受賞[8]。
2007年はフジテレビとNHKを除くキー局で新番組が開始するなど飛躍。深夜のレギュラーが多いことから「深夜の帝王」という異名を付けられた[9]。
2010年、大竹が第10回M-1グランプリ決勝の審査員に選ばれた。最終決戦では笑い飯に投票し、笑い飯が優勝した。
2011年、大竹が第10回M-1グランプリに引き続き、THE MANZAI 2011の決勝審査員に選ばれる(2012年からは時間帯変更により[[モヤモヤさまぁ〜ず2|モヤモヤさまぁテンプレート:〜ず2]]と放送時間が重なった影響で、選ばれなかった)。
2014年7月、日本テレビ系で新番組ネリさまぁ~ずが開始し、NHKを含む全てのキー局で同時にレギュラー番組を持つ[10]。
芸風
深夜帯の番組が多いことから、テレビタレントとしてのさまぁテンプレート:〜ずの芸風は「ユルい」と評されることが多い。これについて三村は「ユルいことやってるつもりはないけどそう見られる」、大竹は「ユルいは俺らにとってあまりいいことじゃないのに」と語っている。
芸風は主にコントで、ネタ作りは2人が共同で行う。大竹がネタの大半を作り、三村がツッコミのフレーズを考える。大竹の「大竹ワールド」とも称されるシュールなボケと三村の「 - かよ!」に代表される豪快なツッコミが特徴的で、ダウンタウンの漫才の芸風に似ていると言える。毎年(2005年以降は2年に1回)開催している単独ライブはチケットが即日完売するほど人気や評価が高い[11]。メンバーは自分たちの本分は舞台にあると考えており、多くのレギュラー番組を持っている2011年現在でも、ライブに重きを置いており、「東のコント職人」と評されている。TVでは、コント漫才を披露することが多い。
爆笑問題の太田光は、バカルディは「シュールなコントの草分け」で、シュールを売りにした若手がやっているネタも全部バカルディが元だ、と語っている。爆笑問題が事務所を独立して仕事がなかった際にはバカルディの活躍を見て奮起したという[12]。
即興芸の場では2人ともに下ネタを好み、セクハラネタも多い。オリコン調べの「好きな男性芸人ランキング」(2008年)では総合9位(明石家さんまと同率)、男性回答だと3位。同調査だと女性回答では5位圏外だが[13]、情報誌『日経エンタテインメント!』が毎年行っている「好きな芸人嫌いな芸人ランキング」では男女での支持の差は、それほどない[14]。また、同調査では若い世代ほど彼らを支持している傾向にあり、同誌はそれを「冠番組のほとんどが深夜帯であるため、視聴者層がそのままランキングの結果に反映されているのでは」と分析している[14]。
漫才形式のネタの際は、登場時の「つかみ」として、汗を拭うフリをしながら「夏だからっ、さまぁテンプレート:〜ず!」と言うものがある(夏以外の場合は「○○なのに、さまぁテンプレート:〜ず!」となる)。このつかみの原案を考えたのは有田哲平(後述の改名対決の際)だが、ほとんどの場合大竹はこの動作をやらず、三村に「やれよ!」とつっこまれる。また主にネタ見せ番組などでの出囃子(登場する際のBGM)として、TUBEの『SUMMER CITY』などが使われる。
デビュー当時はツッコミ・ボケ担当を入れ替えてネタを行っていたが、三村がボケていると自覚する笑顔が不評だったため、ツッコミを担当するようになった。元々は、コント以外のフリートークやバラエティ番組などでも、ボケ(大竹)とツッコミ(三村)の役割がはっきりしたコンビだったが、『内村プロデュース』に出演するようになって以降、こうした番組では両者が等しくボケ合ったり、むしろ大竹がツッコミ役に回ることも多くなった。これについて三村は、「以前はいいボケを思いついても大竹の役割だからと遠慮していたが、『内P』でその遠慮が消えた」と語っている[15]。
ゲスト出演した『グータンヌーボ』で精神科医の名越康文に「ボケがドSで、ツッコミがドMの珍しいコンビ」という診断結果が出たことがある。実際、コント内でも理不尽な大竹のボケの連続に三村が対応しきれなくなり慌てふためいたところに笑いが起こる、といった状態がよく見られる。
冠番組を多数持つが司会業には苦手意識がある。特に三村は自身の仕切り能力の自己分析の結果「司会はできない」と公言し、周囲も認めている(ただし『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』など司会を務める番組の進行は強制的に三村が担当)。その為か「さまぁテンプレート:〜ずに3人目を入れるなら司会進行のできるアナウンサーしかない」と2人の意見は一致している(3人目のメンバーの例として、『Qさま!!』で一緒に進行しているテレビ朝日の清水俊輔アナウンサーを上げている)[7]。
エピソード
- 楽屋が2人とも一緒(『さまぁテンプレート:〜ず×さまぁテンプレート:〜ず』など一部の番組を除く[16])、新幹線・飛行機などの移動の際に隣同士で座るなどから、「仲がいい」と言われることが多い。後者に関して、大竹は「隣に知らない親父が来るより"知ってる親父"が来たほうがいい」と理由を述べている。
- 喧嘩なども少ないが、理由としては「他の芸人と戦わねばならないのに、コンビで喧嘩をしている場合ではないから」と語っている[17]。
- 共演者などから「想い出が一緒」と言われることがある。高校の同級生から始まったコンビであり、バイトも一緒にしていたことから二人共通の想い出が多いことが所以である。また、童貞を捨てた瞬間も一緒だった。現在でも年末年始などプライベートで別々にハワイに行っても、結局は現地で合流して行動するなど、オフでも一緒にいることが多い。
- 低迷していた頃、三村は大竹に「バカルディの核は大竹だ。ヨゴレ仕事は全部オレが引き受けるから、お前は思う存分ネタを書け」と言い続けていた[7]。
- あくまで本業はお笑いであると、お笑い系でない仕事を多く断っており、社内では売れていないくせに態度が大きいと不評だったという[17]。
- 三村はその間、ほぼ手しか映らないようなレポーターなどやや毛色の違う分野で活動し、コンビを支えた[18]その一方、大竹は地上波などのバラエティ番組の構成を担当する時期もあった。
- コンビ愛は強く、三村は『いろもん』ソロで出演した際のことを「俺の面白さに満足するんじゃねぇよ!と思ってた。バカルディには俺の後ろにもっと面白い奴(大竹)が控えてるんだぞ!」と振り返っている[7]。
- 出川哲朗はさまぁテンプレート:〜ずのコンビ愛の象徴的エピソードとして上記逸話を好むが、大竹曰く「(レポーター等の)ギャラは全て三村のみであり、自分は生活が苦しかったので支えてもらっていたわけではない」と語っている[15]。
- 二人の身長差は特に変らないように見えるが、三村は普段から厚底靴を愛用している。(三村は165cm、大竹170cm)
- 冠番組にはほぼ全てコンビ名「さまぁテンプレート:〜ず」、もしくは「さまぁテンプレート:〜ず」をもじったものが付いている(特に深夜番組)。これはテレビ欄を見たときに誰が出ている番組かすぐに分かるようにするためと、これならさまぁテンプレート:〜ずに興味のない人はまず見ようとしないだろう、という大竹の戦略によるもの。これを続けている以上、ファンが根強いファンになることはあっても、それ以上増えることも減ることもまずないだろうとメンバーは語っている[7]。
- 伊集院光は、『大石恵三』が視聴率が悪く打ち切られた事がバカルディ時代の低迷・不遇の原因だと指摘している。また、メンバーは当時の自分たちを「クソつまらなかった」と振り返っている[17]。
- 1996年頃、『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の番組内で三村のツッコミが何度もネタにされた。岡村隆史は当時から三村を「関東一のツッコミ」と呼び、各所で三村のものまねを披露していたようだが、当時の三村の知名度からテレビでそのシーンが放送されることはまれだった。また『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)のコーナー「笑わず嫌い王決定戦」にもコーナー開始当初から出演。これらもまたさまぁテンプレート:〜ずがのちに再び脚光を浴びる下地となっており、当人たちも様々な場所で「(再ブレイクは)ナインティナインのおかげ」と語っている[17]。
- 学生時代からビートたけしに憧れており、[7]映画監督「北野武」のファンであることも公言している。
- 所ジョージはバカルディ時代から「俺は面白いと思うよ。俺が面白いだけで売れないかもしれないけどね」とそのコントを評価している[7]。
- 下ネタやセクハラも辞さず、既に「エロ芸」の域まで高めている2人だが『モヤさま』アシスタントをしていた大江麻理子アナは「さまぁテンプレート:〜ずのお二人は普段非常に紳士的。だからセクハラも気にならない」と語っている[17]。
- ズージャ語、いわゆる「業界用語」をおどけて使うことが多い(「ションテン(=テンション)が下がる」「ルーシー(=汁)が出る」など)。
- 事務所の後輩優香には兄と慕われている。さまぁテンプレート:〜ずが『新堂本兄弟』に出演した際VTRコメントを寄せ、「さまぁテンプレート:〜ずのお二人は、本当にカッコいいです。ルックスとかではなくて、ネプチューンの名倉さんや、つぶやきシローさんなど、自分たちも売れていない頃から、後輩に対する面倒見が本当に良いのがすごいと思います」「ホリプロにタレントさんとして入ったばかりの女の子は、皆一度はさまぁテンプレート:〜ずさんに惚れる」とも発言している。「A-Studio」出演の際は、「大竹の結婚には嫉妬してしまった」「仕事でどん底まで落ち込み部屋で塞ぎ込んでいたとき、親よりも先に三村に電話した」というエピソードを披露している。
- 『Qさま』が深夜帯での放送だった際、VTR中でプレゼンターの青木さやかが意味も無く切れているようなシーンがあった。その収録後、司会だったさまぁテンプレート:〜ずの2人はスタッフに対し、「青木は意味もなく切れるヤツじゃないから、切れる前のくだりがあっただろ? そこをカットしたら青木が悪い感じに思われるじゃないか」とクレームを付けた。そのことを人づてに聞いた青木は大変感激したという[19]。
- 出川哲朗・ネプチューン・[[キャイ〜ン|キャイテンプレート:〜ン]]・よゐこ・TIMらと共にウンナンファミリーと呼ばれている[20]。
- 2010年はリリースしたさまぁテンプレート:〜ず関連のDVDが30本を超えた。冠番組のDVDについて大竹は「気がついたらこんなに増えていた」「DVDに相応しくないものは出したくないっていうスタンスじゃないとダメ」、三村は「あらかじめDVDにしますって番組が始まるのが一番嫌い。結果、作品としてよかったらDVDにしてくださいって言っています」と述べている。
- 携帯普及後まもなく二人で一緒に契約しにいった為、携帯番号が2数字しか違わない。その為お互いに相手の番号を覚えている[21]。
•二人でじゃんけんをする際、「最初はグー」と発するのは三村である。
改名のエピソード
TBS系列のバラエティ番組『新ウンナンの気分は上々。』において、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)と因縁の対決として数々の企画が組まれた。当初は芸能界引退を賭けた勝負だったが、いずれも未経験な競技ゆえに試合が白熱してしまい最初は洒落だと思っていたものが徐々に現実味を帯び始め、3回目の対決となった2000年10月20日放送分において陸上競技対決を行い、敗れた方が罰としてコンビ名を屈辱的な名前に改名させられることになった。敗れたバカルディは半年間(後にもう半年延長)「さまぁテンプレート:〜ず」として活動する憂き目に遭った。
「さまぁテンプレート:〜ず」というコンビ名は内村光良によって命名。由来は内村が二人に何が好きかと質問した際に、三村・大竹とも「夏」と答えたこと。脱力感のあるひらがなと「テンプレート:〜」の表記、また「バカルディ」の名に愛着が湧いていたこともあり、改名決定直後の本人たちは大きな抵抗があったが、所属事務所の対応はスムーズで、社内外の資料や仕事先での応対などは瞬く間に「さまぁテンプレート:〜ず」に移行したという。
当初この改名は期間限定だったが、その期限が過ぎる頃になると徐々にブレイクして「さまぁテンプレート:〜ず」で定着し始めた。2001年3月30日に「さよならさまぁテンプレート:〜ず」と題して番組初の生放送でバカルディへの再改名をかけて再び卓球対決が行われ、白熱した挙句放送時間に間に合わずに終了し、その翌週さまぁテンプレート:〜ずが負けたことが放送された。この白熱は後に「ものすごい葛藤があったから」と三村は語っており、この放送翌日から「さまぁテンプレート:〜ず」として腹を括ったという[22]。その後ビーチバレー対決(2001年9月28日放送)の際は有田哲平が、さまぁテンプレート:〜ずが負けたら個人の芸名をそれぞれ「ビーチ三村」と「大竹すいか割り」にする条件を突きつけたが、結果は海砂利水魚の負けとなり、これにより海砂利水魚は「くりぃむしちゅー」に改名する。
しかし、お笑い芸人の看板とも言うべきコンビ名を安易に変えてしまった内村はその責任を重く感じ、その後両コンビ(特にさまぁテンプレート:〜ず)を自身のレギュラー番組などで積極的に起用していった。これが不遇の時期を過ごしていた両コンビに世間の目に触れる機会を与え、後のブレイクと現在の活躍を後押しする形となった。[[内村さまぁ〜ず|内村さまぁテンプレート:〜ず]]135回では三村の口から、当時会う度に謝罪されていたことが明かされた。
めちゃイケでは、笑わず嫌い王決定戦に常連出演しており、第1回当時は「バカルディ」であったが、第2回以降は現在の「さまぁテンプレート:〜ず」に改名していた。そこで、「めちゃイケ大百科事典」では、どちらで用語を収録すればいいかとめちゃイケメンバーが伺いに行ったことがあり、その際に三村が「じゃ、いいよバカルディで」といったことから、「バカルディ」の項目で収録されることになった。
出演作品
現在の出演作品
テレビ番組
- 突撃!アッとホーム(NHK総合) 土曜20時~20時45分
- 7つの海を楽しもう!世界さまぁ〜リゾート(TBS系) 土曜24時~24時30分
- ネリさまぁ~ず(日本テレビ系) 土曜25時20分~25時50分
- モヤモヤさまぁ〜ず2(テレビ東京系) 日曜18時30分~19時54分
- ホムカミ〜ニッポン大好き外国人 世界の村に里帰り〜(毎日放送・TBS系) 日曜22時~22時54分
- 内村さまぁ〜ず(内村さまぁ〜ず製作委員会)
- クイズプレゼンバラエティー Qさま!!(テレビ朝日系) 月曜20時~20時54分
- 日本全国ご自慢列島 ジマング(フジテレビ) 火曜24時35分~25時10分
- さまぁ〜ず×さまぁ〜ず(テレビ朝日系) 木曜26時21分~26時51分
ネット配信
特別番組
- お客様は王様かよっ!?(フジテレビ)
- とんねるず×さまぁ〜ずの一文無しジャーニー2×2(フジテレビ、2013年9月24日、2014年2月25日、2014年7月19日)
過去の出演作品
「バカルディ」時代を含む。
テレビ番組
- レギュラー番組
- 内村プロデュース(テレビ朝日) - 正式には三村のみレギュラーで、大竹は「レギュラーゲスト」という位置付け。
- 新ウンナンの気分は上々。(TBS)
- 平成名物TV ヨタロー(1990年 - 1991年、TBS)
- ナベさんミッちゃんのまねまね天国!(1991年、テレビ東京)
- LIVE笑ME!!(1990年 - 1991年?、TBS)
- 30分笑いっぱなし!!→お笑い新党(1992年-1993年、不定期放送、夕方、TBS)
- ショージに目あり!(1992年-1993年、日本テレビ)
- ホンとにバカだね→大石恵三(1992年 - 1993年、フジテレビ)
- 赤坂お笑いオールスターライブ(1993年-1994年、TBS)
- タブロイドTV(1993年-1994年、テレビ朝日)
- 天才!どんぐり連合(日本テレビ)
- アッコにおまかせ!(TBS)
- ゲッパチ!UN アワーありがとやんした!?(フジテレビ)
- 風まかせ 新・諸国漫遊記(フジテレビ)
- たまにはキンゴロー(フジテレビ)
- オールナイトフジ(1991年、フジテレビ)
- 天才てれびくん (NHK)
- ロバートホール水(フジテレビ)
- インパクト!(フジテレビ)
- まるまるちびまる子ちゃん (フジテレビ)
- SDM発!→SDM発i→SDM発l(LOVE)(フジテレビ)
- まっ昼ま王!!(テレビ朝日系)
- [[さまぁ〜ずと優香の怪しい××貸しちゃうのかよ!!|さまぁテンプレート:〜ずと優香の怪しい××貸しちゃうのかよ!!]](テレビ朝日) ※Qさま!!の前身番組
- ビートたけしの!こんなはずでは!!(テレビ朝日)
- 指名手配→三竹占い→三竹天狗(テレビ朝日) ※さまぁテンプレート:〜ず×さまぁテンプレート:〜ずの前身番組
- おしえて!ガリレオ(日本テレビ)
- TVおじゃマンモス(日本テレビ系)
- 小園総研(中京テレビ)
- ぶっコギ!(日本テレビ)
- ウッチャきナンチャき (TBS)
- 新すぃ日本語→新すぃ○○! (TBS)
- 所ドコロ仕事熱心→天才!トコロ店→所萬遊記 (TBS)
- ★愛と誠★ (TBS)
- ギルガメッシュないと(テレビ東京)
- ナベさんミッちゃんのまねまね天国!(テレビ東京)
- 開運!なんでも鑑定団(テレビ東京)
- タレコミ(テレビ東京)
- 突撃! イドバタ7(テレビ東京)
- [[怒りオヤジ|怒りオヤジテンプレート:〜愛の説教対局テンプレート:〜]](テレビ東京) ※第1期司会
- [[神さまぁ〜ず|神さまぁテンプレート:〜ず]]→[[さまぁ〜ず式|さまぁテンプレート:〜ず式]]→[[ホリさまぁ〜ず|ホリさまぁテンプレート:〜ず]]→[[マルさまぁ〜ず|マルさまぁテンプレート:〜ず]]→[[さまぁ〜ずのヤリタ☆ガ〜リ〜|さまぁテンプレート:〜ずのヤリタ☆ガテンプレート:〜リテンプレート:〜]] ※大竹は企画も兼任 (TBS、DVD発売中)
- げりらっパ(2002年4月15日 - 2008年9月23日、[[名古屋テレビ放送|メテンプレート:〜テレ]]、DVD発売中)
- 弟子っちょピカ丸 (日本テレビ)
- 所さんの真剣ゴルフ対決! テンプレート:〜勝てるものならかかってきなさいテンプレート:〜(ネット配信:GyaO)
- [[お笑いさぁ〜ん|お笑いさぁテンプレート:〜ん]](2010年4月12日 - 2010年9月20日、日本テレビ)
- [[主演 さまぁ〜ず 〜設定 美容室〜|主演 さまぁテンプレート:〜ず テンプレート:〜設定 美容室テンプレート:〜]](2010年8月12日 - 2010年10月28日、日本テレビ)
- お茶の水ハカセ(2009年11月17日 - 2011年3月1日、TBS)
- 激変!ミラクルチェンジ(2010年10月13日 - 2011年3月30日、TBS)
- [[さまぁ〜ZOO|さまぁテンプレート:〜ZOO]]→東京都さまぁテンプレート:〜ZOO(2011年4月10日 - 2012年3月28日、テレビ東京)
- フジテレビに出たい人TV(2012年4月9日 - 9月17日、フジテレビ)
- キカナイト→キカナイトF(2011年7月5日 - 2012年9月21日、フジテレビ)23時00分 - 23時30分
- おもしろ言葉ゲーム OMOJAN(2012年4月10日 - 9月25日、フジテレビ)火曜 24時45分 - 25時10分
- イカさま☆タコさま (2011年10月- 2013年3月、TBS) 火曜深夜→水曜19時00分 - 19時54分→木曜 20時00分 - 20時54分
- リンカーン (TBS、2005年10月‐ 2013年9月10日)
- 森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ、2004年4月-2014年3月)
- 笑っていいとも!増刊号(フジテレビ、2004年4月-2014年3月)
- 単発・スペシャル
- ミドル3(テレビ朝日、計4回放送)
- お笑い!!ゆく年くる年(テレビ朝日)
- 史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ (TBS、第1回-第5回出場)
- 世界の絶景100選(フジテレビ)
- FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル(1993年・1994年、フジテレビ)
- 「大石恵三」チーム(1993年春)、「ゲッパチ!UNアワー ありがとやんした!?」チーム(1994年春)として出場
- スーパークイズスペシャル(1996年3月21日、日本テレビ)
- 「TVおじゃマンボウ」&「TVおじゃマンモス」チームとして出場
- 明後日まで待てない!東京ディズニーシーすべて見せます!(2001年9月2日、テレビ東京)
- さまぁテンプレート:〜ず100(2007年3月30日、TBS)
- ハウメニージャパン!(2008年5月17日、TBS)
- さまぁテンプレート:〜ずの世界温泉テンプレート:〜とりあえずアジア編テンプレート:〜(テレビ愛知/テレビ東京)
- 地上最大のTV動物園(フジテレビ)
- [[ミニミニさまぁ〜ず|ミニミニさまぁテンプレート:〜ず]](テレビ東京)
- さまぁ〜ずHIGH(フジテレビ、計2回放送)
- 新春鶴瓶大新年会(フジテレビ、計6回放送)
- [[爆笑問題×さまぁ〜ず ザ・クレイジートーク|爆笑問題×さまぁテンプレート:〜ず ザ・クレイジートーク]](TBS、計2回放送)
- さまぁソン!(テレビ朝日、計2回放送)
- IPPONプラス(フジテレビ、計2回放送)
- [[ドレミファさまぁ〜ず♪|ドレミファさまぁテンプレート:〜ず♪]](テレビ東京、計2回放送)
- マバタキー(フジテレビ、2012年12月31日、計2回放送)
- 哀すべきエーッ!?な人(日本テレビ、2013年1月3日)
- 日本その気にさせますの会(フジテレビ、2013年3月29日)
- タマゲタ家のくりびつテンギョーTV(2010年12月10日、テレビ東京)
- なんちゃらのテンドン(2011年5月20日、フジテレビ)
- 笑っていいとも!特大号(フジテレビ、2004年- 2013年)年1回
- 50年のモヤモヤ映像大放出! この手の番組初めてやりますSP(2014年3月2日、テレビ東京)
ラジオ
- ちはるとバカルディのスーパーギャング(TBSラジオ)
- ちはるとバカルディのパックインミュージック21(TBSラジオ)
- ちはるとバカルディのラヂオザウルス(TBSラジオ)
- 木曜JUNK [[さまぁ〜ずの逆にアレだろ!?|さまぁテンプレート:〜ずの逆にアレだろ!?]](TBSラジオ)
広告
- アットホーム(2013年12月)
- 二人をモチーフにしたLINEスタンプが無料配信された。
- ヤマダ電機
- 現在も同社CMで使用されている「ヤマテンプレート:〜ダ電機♪」というフレーズは2人の作。
- NTT東日本(声のみ)
- プロミス(1998年)
- 「ヤリリン」「クリリン」というアニメキャラクターの声とテーマソングを担当。テーマソング『ヤリー BE GOOD!』は同名クレジットでCD化もされている。
- 日清食品・焼きそばWからしマヨネーズ (2002年3月)
- 平井堅『Ken Hirai 10th Anniversary Complete Single Collection '95-'05 歌バカ』(デフスターレコーズ・2005年)
- シャープ「日本一短いクイズSHOW シャープに答えて!」
- SANYO・パチンコ
- 「CR ギンギラパラダイス2」『三村さん篇』『大竹さん篇』 - 石原さとみと共演(2010年6月-11月)
- 「CR雪物語」(2010年12月)
- 大塚製薬・UL・OS(2011年5月)
- 松木安太郎と共演。三村ver、大竹verの2パターン製作されている。
- 大召喚!!マジゲート(2012年5月)
- 佐藤隆太・深田恭子・優香と共演。数パターンあり、さまぁテンプレート:〜ずのみのものも。
映画
- クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ(2004年、水島努監督)- 声、NO PLAN本人役の声優
- ピーナッツ (2006年、内村光良監督) -
- かずら (2010年1月、塚本連平監督) - 主演:森山(三村)、準主演:大和田(大竹)
舞台
- ハンブン東京 (2007年11月16日 - 18日)
- こどもさんかん日 (2008年11月26日 - 30日)
- エルダーソルジャーズ (2009年11月26日 - 12月1日)
DVD/CD
DVD
- バカルディライヴV せんたくもん[23] (1994年、全労済ホールスペース・ゼロ)絶版
- バカルディライヴX テンプレート:〜サラダで白飯くえねーよ![24](1997年、銀座博品館劇場)
- バカルディライヴ なまたまごかけ御飯[24](1998年、青山円形劇場)
- バカルディライヴXII 少年と犬と公園と私[24](1999年、新宿シアターアプル)
- 冬なのにさまぁテンプレート:〜ずライブ[24](2000年、朝日生命ホール)
- さまぁテンプレート:〜ず ライブ2[24](2001年、グローブ座)
- さまぁテンプレート:〜ず ライブ3[24](2002年、天王洲アートスフィア)
- さまぁテンプレート:〜ず/バカルディライブ DVD-BOX[24](ライヴXからさまぁテンプレート:〜ずライブ3までのDVDをまとめたもの。マイナスターズのCD付き。)
- さまぁテンプレート:〜ず ライブ4[24](2003年、天王洲アートスフィア)
- さまぁテンプレート:〜ず ライブ5[24](2005年、原宿クエストホール)
- さまぁテンプレート:〜ず ライブ6[24](2007年、恵比寿ザ・ガーデンホール)
- さまぁテンプレート:〜ず ライブ7[24](2009年、恵比寿ザ・ガーデンホール、初回限定版はおまけ付き。)
- さまぁテンプレート:〜ず ライブ8[24](2011年、天王洲銀河劇場、初回限定版はおまけ付き。)
- ライブミランカ さまぁテンプレート:〜ずトークLIVE 三村もいるよ! (2006年、原宿BlueJayWay)
- さまぁテンプレート:〜ずの笑ってキレイ!(ビデオヘッドクリーナ内収録、TDK)
- バカルディーの通販コント「ほっぷ、すてっぷ、じゃんぷ通信販売&契約」(1991年、啓発用ビデオ(社)日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会[1])一般流通はしていない。
CD
- ヤリー BE GOOD!(1998年07月23日、ヤリリン・クリリン名義、プロミスCMソング)
- 逆境ファイター(2006年7月19日、コーラス、所ジョージアルバム「安全第二」収録、総合格闘家所英男入場曲)
- 「NO PLAN」として、シングル2枚、アルバム3枚、DVD3枚リリース。
- 「マイナスターズ」として、シングル・アルバム・DVDを1枚ずつリリース。
書籍
- さまぁテンプレート:〜ずの悲しいダジャレ(宝島社、2003年)
- RUN! DOG! RUN! さまぁテンプレート:〜ずの紙コント(角川書店、2003年)
- ドッグとキャットとトリとほか(光文社、2003年)
- さまぁテンプレート:〜ずの悲しい俳句(宝島社、2004年)
脚注
- ↑ 1.0 1.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 『いろもん弐』1999年10月29日放送回、日本テレビ。
- ↑ 3.0 3.1 『リンカーン』2010年5月4日放送回、TBS。テンプレート:出典無効
- ↑ 『バナナマンのバナナムーンGOLD』2010年10月22日放送回、TBSラジオ。テンプレート:出典無効
- ↑ 例として、ジャンプ・コミックス『こちら葛飾区亀有公園前派出所』第78巻巻末に2人がコメントを寄せた際は、この表記が用いられていた。
- ↑ 『象印クイズ ヒントでピント』にゲスト出演した際、コンビ名の由来を尋ねられた大竹は「最初は『バカ』というコンビ名にしようと思った」と語っている。
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 7.5 7.6 QuickJapanvol.85 「22年目のさまぁテンプレート:〜ず」内の20000字インタビューより
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite journal
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 大竹の「M-1グランプリ2010」登場時の紹介ナレーション
- ↑ 2009年12月19日放送『王様のブランチ』内にて発言
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 14.0 14.1 テンプレート:Cite journal
- ↑ 15.0 15.1 雑誌「QuickJapan」(第74号、2007年10月刊)のインタビューにて。
- ↑ 「さまぁテンプレート:〜ず×さまぁテンプレート:〜ず DVD-BOX (1・2)」特典DVDなど。
- ↑ 17.0 17.1 17.2 17.3 17.4 日刊スポーツ、2011年7月10日付紙面 p.10
- ↑ 発足したてのフジテレビ739で毎週土曜昼過ぎから放送されていた『CXスポーツサンデー』では三村のみが出演(MC)。
- ↑ 2012年1月12日『ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツ!』
- ↑ QuickJapan vol.88 ウッチャンナンチャンのインタビューより
- ↑ 2013年5月4日 『さまぁテンプレート:〜ず×さまぁテンプレート:〜ず』
- ↑ 「ウンナンの気分は上々。ベストセレクション」p142-
- ↑ 株式会社ハゴロモより発売されている。
- ↑ 24.00 24.01 24.02 24.03 24.04 24.05 24.06 24.07 24.08 24.09 24.10 24.11 ポニーキャニオンより発売。
関連項目
- マイナスターズ - 自身のコントライブから派生したバンド。
- NO PLAN - 『内村プロデュース』から誕生したさまぁテンプレート:〜ず参加の歌手ユニット。
- ミドル3 - 『アメトーク!』 の特別番組内で使用している3組のお笑いコンビの総称。
- お笑いタレント
- 芸人
- 芸能人
- 司会者