世界遺産
世界遺産(せかいいさん)は、1972年のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて世界遺産リストに登録された、遺跡、景観、自然など、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件のことで、移動が不可能な不動産やそれに準ずるものが対象となっている。
目次
歴史
ユネスコの設立後、1954年ハーグ条約が採択され、武力紛争の際にも文化財などに対する破壊行為を行うべきでないことが打ち出された。
1960年、エジプト政府がナイル川流域にアスワン・ハイ・ダムを建設し始めた。このダムが完成した場合、ヌビア遺跡が水没することが懸念された。これを受けて、ユネスコが、ヌビア水没遺跡救済キャンペーンを開始。世界の60か国の援助をもとに技術支援、考古学調査支援などが行われ、ヌビア遺跡内のアブ・シンベル神殿の移築が実現した。これがきっかけとなり、国際的な組織運営によって、歴史的価値のある遺跡や建築物等を開発から守ろう、という機運が生まれた。
1965年には関連する国際組織である国際記念物遺跡会議が発足した[注釈 1]。
他方、アメリカ合衆国ではホワイトハウス国際協力協議会自然資源委員会が1965年に「世界遺産トラスト」を提唱し、優れた自然を護る国際的な枠組みが模索されており、リチャード・ニクソン大統領も1971年の教書において、1972年までに具体化することをはっきりと打ち出した。1972年はアメリカで国立公園制度が生まれてから100周年に当たる[1]。
それら2つの流れが1972年の国連人間環境会議で一つにまとまった結果、同年11月16日、ユネスコのパリ本部で開催された第17回ユネスコ総会で、世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)が満場一致で成立した。翌年アメリカ合衆国が第1番目に批准、締結し、20か国が条約締結した1975年に正式に発効した。
1978年の第2回世界遺産委員会で、アメリカのイエローストーン国立公園やエクアドルのガラパゴス諸島など12件(自然遺産4、文化遺産8)が、第1号の世界遺産リスト登録を果たした。
日本は、先進国では最後の1992年に世界遺産条約を批准し、同年の6月30日に125番目の締約国となった(日本についての発効は同年9月30日)[2]。なお、現在のリストでは124番目となっているが、これは日本の締約後にユーゴスラビア解体によって繰り上がったことによる。日本の参加が他の国と比べて遅れたのは、国内での態勢が未整備だったためとされるが、他方で世界遺産基金の分担金拠出などに関する議論が決着しなかったためとも指摘されている[3]。
2014年の第38回世界遺産委員会終了時点での条約締約国は191か国、世界遺産の登録数は1,007件(161か国)である[4]。
分類
公式の分類
世界遺産はその内容によって以下の3種類に大別される[注釈 2]。
- 文化遺産
- 顕著な普遍的価値をもつ建築物や遺跡など。
- 自然遺産
- 顕著な普遍的価値をもつ地形や生物多様性、景観美などを備える地域など。
- 複合遺産
- 文化と自然の両方について、顕著な普遍的価値を兼ね備えるもの。
また、内容上の分類ではないが、後世に残すことが難しくなっているか、その強い懸念が存在する場合には、該当する物件は危機にさらされている世界遺産リスト(危機遺産リスト)に加えられ、別途保存や修復のための配慮がなされることになっている[5]。
なお、後述するように、無形文化遺産は世界遺産条約の対象ではない。
非公式な分類
世界遺産には、自然遺産、文化遺産、あるいは文化遺産の中での文化的景観や産業遺産など、世界遺産センターやICOMOSによって公式に認められた分類とは別に、非公式に使われている分類もある。
負の世界遺産
テンプレート:Main 平和の希求や人種差別の撤廃などを訴えていく上で重要な物件も世界遺産に登録されている。明確な定義付けがされているわけではないが、これらは別名「負の世界遺産」(負の遺産)と呼ばれている。
負の遺産としてしばしば挙げられるのは、原爆ドーム、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所、奴隷貿易の拠点であったゴレ島、ネルソン・マンデラ元大統領が幽閉されたロベン島[注釈 3]。このほか、2010年に登録されたビキニ環礁の核実験場も、登録された際には負の遺産として報じられ[6]、世界遺産関連書でもそのように扱っているものがある[7]。
裏世界遺産
裏世界遺産とは、世界遺産委員会などでの審議の結果、登録が見送られた物件を指す[8]。もともとインターネット上の私的なサイト[9]で打ち出された概念である。
世界遺産リスト登録手続きと登録後の保全
世界遺産リスト登録に必要となる前提、審査の流れ、登録後の保全状況報告などは、「世界遺産条約履行のための作業指針」(以下「作業指針」)[注釈 4]で規定されている。
登録までの流れを図示すると以下のようになる。
各国の担当政府機関が暫定リスト(後述)記載物件のうち、準備の整ったものを推薦 | |
↓ | |
ユネスコ世界遺産センターが諮問機関に評価依頼 | |
↓ | ↓ |
文化遺産候補は国際記念物遺跡会議 (ICOMOS) が現地調査を踏まえて登録の可否を勧告。 文化的景観に関しては、IUCN とも協議が行われる場合がある。[10] |
自然遺産候補は国際自然保護連合 (IUCN) が現地調査を踏まえて登録の可否を勧告 |
↓ | ↓ |
世界遺産委員会で最終審議 | |
↓ | |
正式登録 |
登録対象
登録される物件は不動産、つまり移動が不可能な土地や建造物に限られる。そのため、たとえば寺院が世界遺産になっている場合でも、中に安置されている仏像などの美術品(動産)は、通常は世界遺産登録対象とはならない。ただし、東大寺大仏のように移動が困難と認められる場合には、世界遺産登録対象となっている場合がある[11]。このような対象の設定に対する限界が、のちの無形文化遺産の枠組みに繋がったが[12]、この点は後述する。
世界遺産に登録されるためには、後述する世界遺産登録基準を少なくとも1つは満たし、その「顕著な普遍的価値」を証明できる「完全性」と「真正性」を備えていると、世界遺産委員会から判断される必要がある。その際、同一の歴史や文化に属する場合や、生物学的・地質学的特質などに類似性が見られる場合に、「連続性のある資産」(シリアル・ノミネーション・サイト)としてひとまとめに登録することが認められている[13]。たとえば、イギリスとドイツという国境を接しない2カ国の世界遺産であるローマ帝国の国境線や、10カ国の世界遺産であるシュトルーヴェの測地弧などはその好例である。
また登録された後、将来にわたって継承していくために、推薦時点で国内法等によってすでに保護や管理の枠組みが策定されていることも必要である。日本の例でいえば、原爆ドームの世界遺産推薦に先立ち、文化財保護法が改正されて原爆ドームの史跡指定が行われたことも、そうした点に合致させる必要があったためである[14]。
日本の場合、文化遺産候補は文化庁、自然遺産候補は環境省、林野庁が主に担当する。これに文部科学省、国土交通省などで構成される世界遺産条約関係省庁連絡会議で推薦物件が決定される。推薦物件は、暫定リストとして、外務省を通じユネスコに提出される。
なお、世界遺産リストへの推薦は、各国の関係機関しか行うことはできない。ただし、危機遺産リストへの登録の場合は、きちんとした根拠が示されれば、個人や団体からの申請であっても受理されることがある[15]。
登録範囲
世界遺産の登録に当たっては、登録物件の周囲に緩衝地域 (Buffer zone) が設けられることがしばしばである。ただし、それは「顕著な普遍的価値」を有するとは認められていない地域で、世界遺産登録地域ではない。
かつては、世界遺産そのものの登録地域を核心地域 (Core zone) と呼んでいたが、核心地域と緩衝地域がともに世界遺産登録地域であるかのように誤認されないために[16]、2008年からは世界遺産そのものの登録地域は資産 (property) と呼んで、緩衝地域と明確に区別されるようになった。
暫定リスト
暫定リストは、世界遺産登録に先立ち、各国がユネスコ世界遺産センターに提出するリストのことである。原則として、文化遺産については、このリストに掲載されていないものを、世界遺産委員会に登録推薦することは認められていない。
ただし、大地震で壊滅的損壊を蒙ったバムとその文化的景観(2004年登録)のように、不測の事態によって緊急で登録する必要性が認められた場合には、「緊急登録推薦」に関する条項[17]に従い、暫定リスト登録を飛び越えて正式登録が認められる場合がある[18]。「緊急登録推薦」に関する条項はイラクのアッシュール(2003年)の時にも適用されている[19]。
暫定リストは、あくまでも各国が1年から10年以内をめどに世界遺産委員会への登録申請を目指すもののリストであって[20]、世界遺産委員会がその「顕著な普遍的価値」を認めたものではない。現在暫定リストに掲載されているものには、ICOMOSが登録延期を勧告し、すでに一度世界遺産委員会で登録見送りが決議されたものもある。ただし、世界遺産委員会で「不登録」(後述)と決議されたものを、暫定リストに掲載し続けることは、原則として認められていない(不登録時と異なる評価基準に基づいて新規に推薦することは認められている)[21]。
世界遺産委員会は、条約締結各国に対して、暫定リストへの掲載に当たっては、その遺産の「顕著な普遍的価値」を厳格に吟味することや、保護活動が適正に行われていることを十分示すように求めている。また、委員会は、暫定リスト作成では、まだ登録されていないような種類の物件に光を当てることや、世界遺産を多く抱える国は極力暫定リストを絞り込むことなどを呼びかけており、後述の「登録物件の偏り」を是正するための一助とすることを企図している[22]。
諮問機関の勧告
上掲の図のように、自然遺産については国際自然保護連合(IUCN)、文化遺産については国際記念物遺跡会議(ICOMOS)が現地調査を踏まえて事前審査を行う。そこでの勧告は、後述の世界遺産委員会の決議と同じく「登録」「情報照会」「登録延期」「不登録」の4種である[23]。世界遺産委員会は後述するように勧告を踏まえて審査するが、「登録」以外の勧告が出た物件が逆転で登録されることもあれば、勧告よりも低い評価が下されることもある[24]。
現地調査の調査官は一人であり、その調査を踏まえて複数名で勧告書が作成される[25]。ICOMOSの調査では、日本の場合、アジア・太平洋地区[注釈 5]の調査官が原則として派遣される。これは他地区の調査官が厳しい評価を下した場合に、無用の批判が出るのを避けるためといわれている[26]。
世界遺産委員会の決議
世界遺産委員会は、諮問機関の勧告を踏まえて推薦された物件について審査を行い、「登録」「情報照会」「登録延期」「不登録」のいずれかの決議を行う[27]。
「登録」(記載)は、世界遺産リストへの登録を正式に認めるものである。
「情報照会」は一般的に顕著な普遍的価値の証明ができているものの、保存計画などの不備が指摘されている事例で決議され[28]、期日までに該当する追加書類の提出を行えば、翌年の世界遺産委員会で再審査を受けることができる。ただし、3年以内の再推薦がない場合は、以降の推薦は新規推薦と同じ手続きが必要になる[29]。
顕著な普遍的価値の証明などが不十分と見なされ[28]、より踏み込んだ再検討が必要な場合は「登録延期」(記載延期)と決議される。この場合、必要な書類の再提出を行った上で、諮問機関による再度の現地調査を受ける必要があるため、世界遺産委員会での再審査は、早くとも翌々年以降になる。
「不登録」(不記載)と決議された物件は原則として再度推薦することができない。ただし、不登録となったものと異なる理由で再提案すること、たとえば、自然遺産として不登録になった物件を文化遺産として再提出するなどは可能である[30]。諮問機関の勧告の時点で「不登録」勧告が出されると、委員会での「不登録」決議を回避するために、審議取り下げの手続きがとられることもしばしばである。たとえば、2012年の第36回世界遺産委員会では、「不登録」勧告を受けた推薦資産は9件[注釈 6]あったが、うち5件は委員会開催前に取り下げられた[31]。
保全状況の調査
登録後、保全状況を6年ごとに報告し、世界遺産委員会での再審査を受ける必要がある。
物件の保全に問題がある場合、危機にさらされている世界遺産リストに登録されることがある。また、2007年からは「強化モニタリング」(監視強化)という分類も登場し、危機遺産でなくとも監視が強められる場合が存在するようになった。強化モニタリング対象は危機遺産リスト登録物件と一部重複するが、2010年の第34回世界遺産委員会では36件について強化モニタリングが要請された[32]。
抹消
世界遺産は、登録時に存在していた「顕著な普遍的価値」が失われたと判断された場合、もしくは条件付で登録された物件についてその後条件が満たされなかった場合に、削除されることがある[33]。初めて抹消されたのは、2007年のアラビアオリックスの保護区(オマーン)である。この物件は元々保護計画の不備を理由とするIUCNの「登録延期」勧告を覆して登録された経緯があったが、計画が整備されるどころか保護区の大幅な縮小などの致命的悪化が確認されたことや、オマーン政府が開発優先の姿勢を明示したことから、抹消が決まった[34]。2009年にはドレスデン・エルベ渓谷(ドイツ)が抹消されている。これは、世界遺産委員会が「景観を損ねる」と判断した橋の建設が、警告にもかかわらず中止されず、「住民投票で決定した」と継続されたことによるものである。
顕著な普遍的価値とその評価基準
すでに述べたように、世界遺産となるためには、「顕著な普遍的価値」(Outstanding Universal Value, 関連文献では OUV と略されることもある)を有している必要がある。しかし、世界遺産条約では「顕著な普遍的価値」自体を定義していない。「作業指針」には一応その定義があるが[35]、その証明のために要請されるのが、10項目からなる世界遺産登録基準のいずれか1つ以上を満たすことである。[36]。
世界遺産はその基準を満たした「最上の代表」(representative of the best) が選ばれるとされる。自然遺産については「最上の最上」(The best of the best) が選ばれるとされたこともあったが、「最上の代表」を選ぶ方向に推移してきた[37]。
世界遺産登録基準
世界遺産登録基準は、当初、文化遺産基準 (1) - (6) と自然遺産基準 (1) - (4)に分けられていた。しかし、2005年に2つの基準を統一することが決まり、2007年の第31回世界遺産委員会から適用されることになった。新基準の (1) - (6) は旧文化遺産基準 (1) - (6) に対応しており、新基準 (7)、(8)、(9)、(10) は順に旧自然遺産基準 (3)、(1)、(2)、(4) に対応している。このため、実質的には過去の物件に新基準を遡及して適用することが可能であり、現在の世界遺産センターの情報では、旧基準で登録された物件の登録基準も新基準で示している。
基準が統一された後も文化遺産と自然遺産の区分は存在し続けており、新基準 (1) - (6) の適用された物件が文化遺産、新基準 (7) - (10) の適用された物件が自然遺産、(1) - (6) のうち1つ以上と (7) - (10) のうち1つ以上の基準がそれぞれ適用された物件が複合遺産となっている。
登録基準の内容は以下の通りである[38]。 テンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/core
登録基準は不変のものではなく、過去にも文面の修正は行われてきた。たとえば基準 (5) は、1980年、1994年、2006年に改訂されている。1994年と2006年の改訂は文化的景観という概念が導入されたなどに関連したものである[39]。
ほかに、基準 (6) の他の基準との併用が望ましい旨の追記も当初は存在しなかった上、1990年代後半には極めて例外的なものである等とかなり厳しい拘束がなされていた時期もあった[40]。
完全性と真正性
完全性とは、その物件の「顕著な普遍的価値」を証明するために必要な要素が全て揃っていることなどを指す。
真正性とは、特に文化遺産について、そのデザイン、材質、機能などが本来の価値を有していることなどを指す。
再建された建造物の歴史的価値は、1980年登録の「ワルシャワ歴史地区」で早くも問題になった。ワルシャワの町並みは第二次世界大戦で徹底的に破壊され、戦後に壁のひび割れなどまで再現されたといわれるほどの再建事業を経て、忠実に復元されたものだったからである。
その後、登録物件の偏りなどとの関連で「真正性」の問題がクローズアップされた。石の建造物を主体とするヨーロッパの文化遺産と違い、木や土を主体とするアジアやアフリカの文化遺産は、古い文化遺産がそのまま残り続けているとは限らないためである。そこで、1994年に奈良市で開催された「世界遺産の真正性に関する国際会議」で採択された奈良文書において、建材が新しいものに取り替えられても、その建材の種類や伝統的な工法・機能などが維持されていれば、真正性が認められることになった。この真正性の定義づけには、日本も積極的に関わった[41]。
課題
種類と地域の偏り
第38回世界遺産委員会(2014年)終了時点で、世界遺産は1,007件登録されているが、その内訳は文化遺産780件、自然遺産196件、複合遺産31件である[4]。一見して明らかな通り、文化遺産の登録数の方が圧倒的に多く、地域的には文化遺産の約半数を占めるヨーロッパの物件に偏っている(世界遺産条約締約国の一覧参照)。
また、イタリア(50件)、中国(47件)、スペイン(44件)、フランス・ドイツ(各39件)[注釈 7]など非常に多くの物件が登録されている国がある一方で、世界遺産条約締約191か国中、1件も登録物件を持たない国が30か国ある(数字はいずれも第38回委員会終了時点)[4]。なお、世界遺産リストの上位登録国が世界遺産委員会の委員国に選出される傾向にあり、自国の申請物件に関して審議するという制度的矛盾も指摘される[42]。
こうした内容的・地域的な偏りを是正するために、世界遺産委員会では様々な試みが行われている。内容的な不均衡是正の一例としては、「世界遺産リストの代表性、均衡性、信用性のためのグローバル・ストラテジー」(1994年)が打ち出され、文化的景観、産業遺産、20世紀以降の現代建築などを登録していくための比較研究の必要性が示された[43]。2004年から具体的な作業が行われている「顕著な普遍的価値」の再定義や、暫定リスト作成時点で、偏りをなくすような適切な選択がなされるように働きかけていくことなどもその例である[44]。
上限
世界遺産の登録数に上限は設けられていない[45]。ただし、ユネスコ内部では上限に関する議論も存在するといい、第8代ユネスコ事務局長松浦晃一郎は、モニタリングの制約などから、現実的に設定される可能性のある数字としては、1500や2000という数字を挙げていた[46]。
なお、現在、1回の委員会での審議数には上限が設けられている。かつてはナポリで開催された第21回委員会(1997年)でイタリアの世界遺産が新規に10件登録されたこともあったが、現在は1回の委員会で各国が推薦できるのは2件までである。当初は文化遺産と自然遺産各1件とされていたものが2007年の第31回世界遺産委員会で文化遺産2件でも許可されることになったが[47]、2014年の第38回世界遺産委員会から文化遺産と自然遺産各1件(ただし、自然遺産は文化的景観で代替可能)となることが決まっている[48]。過去に1件も登録されていない国はこの限りではない。また、全体の審議物件総数は45件までとされている。審議数の上限については、様々な意見が出ているため、年々修正が加えられている。
なお、登録数の増加に伴って審査が厳しくなっているとしばしば言われるが、公式には認められていない。そもそも、世界遺産リストに登録されづらくなっている背景には、ピラミッドや万里の長城のような「分かりやすい」世界遺産がすでにあらかた登録され、その「顕著な普遍的価値」を認めにくい物件や価値を裏支えするストーリーが理解しづらい物件が増えていることもあるのではないかとも指摘されている[49]。また、日本の世界遺産登録物件にしても、世界遺産条約参加当初の物件の時点で、日本が推薦理由としていた評価基準がしばしば退けられたことを理由に、昔から十分に厳しかったと指摘する者もいる[50]。
保全活動
世界遺産の登録は、景観や環境の保全が義務付けられるため、周辺の開発との間で摩擦が生じることがある。第28回から第30回まで3年にわたって、大きな論点になったケルン大聖堂などはその好例である。この件では、近隣での高層ビル建設による景観の破壊が問題となった。
現在でも、“北のヴェネツィア”とも称されるサンクトペテルブルクの歴史的町並みが、同市内にガスプロム社が計画している超高層ビルオフタ・センター(高さ396m)の建設を巡って、経済開発を優先する市側と、世界遺産登録抹消を危惧するロシア文化省との間で軋轢が生じる事態になっており、第32回世界遺産委員会(2008年)でも議題の一つとなった[51]。
また、ドレスデン・エルベ渓谷のように、橋梁の建設による景観の破壊を理由として世界遺産リストからの抹消が実際に決議された例もある。
観光地化
世界遺産に登録されることは、周辺地域の観光産業に多大な影響がある。 白川郷、五箇山では、登録後に観光客数が激増した。白川郷の場合、登録直前の数年間には毎年60万人台で推移していた観光客数が、21世紀初めの数年間は140-150万人台で推移している[52]。これらの地域では世界遺産の公共性を曲解した一部観光客が住民の日常生活を無遠慮に覗き込むなどのトラブルも発生した[53]。
また、少なくとも日本では世界遺産に登録されることで観光客を呼び込もうとする動きのあることも指摘されている[54]。2006年度と2007年度に文化庁が暫定リスト候補の公募を行ったときには、各地の地方公共団体から2006年度には24件、2007年度には32件の応募が寄せられるなど、大きな関心を集めた[55]。
安易な観光地化は、保全の妨げが懸念される。世界遺産は保全が目的であり、観光開発を促進する趣旨ではないため、世界遺産登録によって観光上の開発が制限されている地域もあり、マッコーリー島のように観光客の立ち入りが禁止されている物件もある。文化遺産では、宗教上の理由から女性の入山を一切認めないアトス山のような事例もある[注釈 8]。
その一方で、貧困にあえぐ国などでは観光を活性化させることで雇用を創出することが、結果的に世界遺産を守ることに繋がる場合もある。こうした問題に関連して、2001年の世界遺産委員会では、「世界遺産を守る持続可能な観光計画」の作成が行われた[56]。
登録されている世界遺産の一覧
なお、世界遺産登録名は英語とフランス語で付けられており、公式な日本語訳は存在しない。日本ユネスコ協会連盟、世界遺産アカデミーなどの訳も含めていずれの日本語訳も仮訳であり、物件によっては文献ごとに表記の異なる場合が存在する。
無形文化遺産
テンプレート:Main 世界遺産条約は上に述べた発足の経緯などから、不動産のみを対象としている。このため、地域ごとに多様な形態で存在する文化を包括的に保護するためには、無形の文化遺産を保護することも認識されるようになり、2003年のユネスコ総会で無形文化遺産保護条約が採択された。世界遺産と無形文化遺産は別個のものであり、事務局も別である(前者はユネスコ世界遺産センター、後者はユネスコ文化局無形遺産課)。ただし、ユネスコは将来的に統一する見通しを示している[57]。
無形文化遺産の中には、無形文化遺産「イフガオ族のフドゥフドゥ詠歌」と世界遺産「フィリピン・コルディリェーラの棚田群」、無形文化遺産「エルチェの神秘劇」と世界遺産「エルチェの椰子園」、無形文化遺産「ジャマーア・エル・フナ広場の文化的空間」と世界遺産「マラケシュの旧市街」、無形文化遺産「宗廟祭礼祭」と世界遺産「宗廟」のように、無形文化遺産の中には世界遺産リスト登録物件との間に密接な結びつきがあり、有形と無形の「複合遺産」と捉えられるものもあることが指摘されている[58]。
なお、世界遺産と同様に登録国に偏りがみられるほか、歴史的・民俗的共通性をもつ遺産であるにもかかわらず、複数国家が別々に登録申請を行い、さらにその過程で自国の固有性を主張しあう国際紛争に至るケースもある。例えば、2005年に登録された韓国の「江陵端午祭」について中国政府は抗議し、韓国の一地域での慣習との定義を求めた。のちに同国は、「端午節」の登録(2009年)を果たした。[59]。
世界遺産学
世界遺産を専門に研究する学問として「世界遺産学」という学際的な枠組みが提唱されることがある。専攻などとして設置されている事例としては、筑波大学大学院人間総合科学研究科の「世界遺産専攻・世界文化遺産専攻」[60]、奈良大学文学部の「世界遺産コース」[61]、サイバー大学の「世界遺産学部」[62]などが挙げられる。海外でも、ブランデンブルク工科大学(ドイツ)に、世界遺産専攻コースが設置されている[63]。
また、検定試験として特定非営利活動法人世界遺産アカデミーによる「世界遺産検定」が存在する。
脚注
注釈
出典
参考文献
記事執筆の際に参照した文献・サイトのうち、主要なものを挙げる。なお、パリのユネスコ世界遺産センターが公式に監修した日本語文献は、『ユネスコ世界遺産』(講談社、全13巻)のみである。
- ユネスコ世界遺産センターテンプレート:En iconテンプレート:Fr icon
- 稲葉信子 (2008) 「顕著な普遍的価値とは何か」(『月刊文化財』2008年10月号)
- 河上夏織 (2008)「世界遺産条約のグローバル戦略を巡る議論とそれに伴う顕著な普遍的価値の解釈の質的変容」(『外務省調査月報』2008/No.1)
- 佐滝剛弘 (2006)『旅する前の「世界遺産」』文藝春秋社〈文春新書〉
- 佐滝剛弘 (2009)『「世界遺産」の真実』祥伝社〈祥伝社新書〉
- 鈴木地平 (2008) 「新規記載(文化遺産)にかかる審議とその傾向」(『月刊文化財』2008年10月号)
- 世界遺産アカデミー (2009a)『世界遺産検定公式テキスト (1)』毎日コミュニケーションズ
- 世界遺産アカデミー (2009b)『世界遺産検定公式テキスト (2)』毎日コミュニケーションズ
- 世界遺産アカデミー (2009c)『世界遺産検定公式テキスト (3)』毎日コミュニケーションズ
- 世界遺産アカデミー (2010)『世界遺産検定公式ガイド300』毎日コミュニケーションズ
- 世界遺産アカデミー (2012) 『すべてがわかる世界遺産大事典・上』マイナビ
- 日本ユネスコ協会連盟『世界遺産年報』各年版
- 古田陽久 (2010)『世界遺産データ・ブック 2011年版』シンクタンクせとうち
- 松浦晃一郎 (2008)『世界遺産―ユネスコ事務局長は訴える』講談社
関連項目
テンプレート:ウィキポータルリンク テンプレート:ウィキプロジェクトリンク テンプレート:Sisterlinks
- 国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)
- 日本の世界遺産
- 無形文化遺産
- ユネスコ記憶遺産
- 水中文化遺産保護条約
- THE世界遺産
- 探検ロマン世界遺産
- ナショナル・トラスト
- 産業遺産
- 文化的景観
- 文化庁
- 世界遺産検定
- 世界遺産の画像一覧
外部リンク
テンプレート:世界遺産の一覧テンプレート:Featured article
引用エラー: 「注釈」という名前のグループの
<ref>
タグがありますが、対応する <references group="注釈"/>
タグが見つからない、または閉じる </ref>
タグがありません- ↑ ルーカス (1998) pp.22-23
- ↑ 古田 (2010) p.24
- ↑ 伊東孝『日本の近代化遺産』岩波新書、2000年、p.30
- ↑ 4.0 4.1 4.2 UNESCO World Heritage Centre : World Heritage List (英語)
- ↑ 世界遺産条約第11条4項、「作業指針」第177項 - 第191項。
- ↑ ビキニ環礁が世界遺産に 核実験の被害語る「負の遺産」(朝日新聞2010年8月1日)
- ↑ 世界遺産アカデミー (2012) p.23
- ↑ 『地球の歩き方MOOK 見て読んで旅する世界遺産』ダイヤモンド・ビッグ社、2002年、pp.142-143「裏世界遺産から、世界遺産の真価を読む」; 佐滝 (2006) pp.204-206「『裏世界遺産』」
- ↑ 世界遺産資料館
- ↑ 「作業指針」第146項
- ↑ 世界遺産アカデミー (2009a) p.11;佐滝 (2009) pp.108-109
- ↑ 松浦・西村 (2010) pp.19-21
- ↑ 「作業指針」第137項
- ↑ 伊東孝『日本の近代化遺産』岩波新書、2000年、pp.2-3 ; 中国新聞社編『ユネスコ世界遺産・原爆ドーム』中国新聞社、1997年 etc.
- ↑ 『世界遺産年報2001』p.42
- ↑ 『世界遺産年報2009』p.40
- ↑ 「作業指針」第161・162項
- ↑ 『世界遺産年報2008』p.45 etc
- ↑ 『世界遺産年報2004』p.50
- ↑ 『世界遺産年報2008』p.45
- ↑ 「作業指針」第68項、第158項
- ↑ 「作業指針」第59・60項、『世界遺産年報2001』p.55 etc.
- ↑ cf. 佐滝 (2009) pp.80-81
- ↑ 佐滝 (2009) pp.89-90
- ↑ 佐滝 (2009) p.81
- ↑ 佐滝 (2009) pp.156-158
- ↑ 「作業指針」第153-160項
- ↑ 28.0 28.1 鈴木 (2008) pp.19-20
- ↑ 世界遺産アカデミー (2012) p.17
- ↑ 世界遺産アカデミー (2012) p.18
- ↑ 西和彦 (2012) 「第三六回世界遺産委員会の概要」(『月刊文化財』2012年11月号、p.49)
- ↑ 古田 (2010) p.18
- ↑ 「作業指針」第192-198項
- ↑ 『世界遺産年報2008』p.38
- ↑ 「作業指針」第49項、第78項
- ↑ 稲葉 (2008) pp.24-25
- ↑ 河上 (2008) p.6
- ↑ 「作業指針」第77項
- ↑ 佐滝 (2009) pp.87-89
- ↑ 『世界遺産年報2011』pp.16-17
- ↑ 松村・西村 (2010) p.22
- ↑ 加治宏基「中国のユネスコ世界遺産政策--文化外交にみる「和諧」のインパクト」『中国21』Vol.29。
- ↑ http://whc.unesco.org/archive/global94.htm#debut
- ↑ 『世界遺産年報』各年版(特に2005年版から2007年版)に基づく。
- ↑ 「作業指針」第58項
- ↑ 松浦 (2008) pp.286-293
- ↑ 古田陽久 古田真美『世界遺産ガイド - 世界遺産条約とオペレーショナル・ガイドラインズ編』シンクタンクせとうち、2008年、p.118
- ↑ 世界遺産アカデミー (2012) p.18
- ↑ 『世界遺産年報2010』pp33-34, 佐滝 (2009) pp.90-94.
- ↑ 岡田 (2011) p.21
- ↑ 『世界遺産年報2008』p.40
- ↑ 『世界遺産年報2008』p.42
- ↑ 世界遺産シンポジウムでの報告(『世界遺産年報1998』p.35)
- ↑ 佐滝 (2006) pp.206-207
- ↑ 応募のあったもののリスト
- ↑ ペデルセン (2008) による。
- ↑ 世界遺産アカデミー『世界遺産検定2007』p.160
- ↑ 世界遺産アカデミー『世界遺産検定2007』p.164, 佐滝 (2006) pp.192-193
- ↑ 加治宏基「中国のユネスコ世界遺産政策--文化外交にみる「和諧」のインパクト」『中国21』Vol.29。
- ↑ 世界遺産専攻・世界文化遺産専攻公式サイト
- ↑ 世界遺産コース公式サイト
- ↑ 世界遺産学部公式サイト(新規学生の募集を停止)
- ↑ 佐滝 (2006) pp.41-42