函館ラーメン
函館ラーメン(はこだてラーメン)は、北海道函館市の塩ラーメン。当地周辺で、ラーメン、支那そばと呼ばれているご当地ラーメン(ご当地グルメ)である。
概要
豚骨や鶏ガラ等のダシに塩タレを入れた透明な塩味のスープに、柔らかめの中太ストレート麺が組み合わされる。具は、チャーシュー、メンマ、長ネギ、ホウレン草、麩もしくはナルトが一般的に使用される。
一般的に塩ラーメンと呼ばれているラーメンであり、地元の北海道函館市周辺では、単にラーメンもしくは支那そばと呼ぶ(詳細は後述「函館ラーメンの呼称」節)[1]。
歴史
発祥については諸説存在し、定かではない。
1884年(明治17年)の函館新聞に、函館船場町(現・函館市末広町)に開店した華僑の経営による洋食店「南京御料理 養和軒 アヨン」4月28日付の広告に「南京そば」が掲載されている[2]の広告には、「南京そば15銭」の記載があるが、養和軒の南京そばと現在のラーメンとの関連性を正確に示す、レシピなどの資料は発見されておらず、函館がラーメンの発祥とする説は定かではない[3]。
古くからの開港地であった函館には、集積する昆布などの海産物の買い付けに、多数の華僑が訪れ、当時の函館の人が彼らを「広東さん」と呼称していたことから、江南出身の華僑が多く、函館における支那そば(ラーメン)のまっすぐの麺と澄んだスープの特徴からも、ルーツは広東系の塩味の湯麺であることが推測される[4]。1935年(昭和10年)のスナップ写真に「支那そば」笑福の文字が確認できるものがあり、この頃には「支那そば」を扱う専門店が既に存在していた事がわかる。また、この「笑福」の隣で営業していた純喫茶「ミス潤」に残っている1932年(昭和7年)のメニューには、ケーキやみつ豆と並んで「支那そば15銭」との記載があり、隣の笑福から壁の小窓越しに支那そばを客に提供していたという。また、当時を知る人は、この支那そばはまっすぐの細麺と、澄んだスープのあっさり味だったという。このように昭和初期の函館市民にはすでに「支那そば」という言葉が市民権を得ていたと考えられる。
いくたびかの大火を経て、函館の繁華街は駅前の方に移動していったが、昭和20年代から30年代にかけて、大門と呼ばれる松風町地区に屋台や、大八車の流し屋台が軒を連ねるようになったが、区画整理やバブル時代の土地高騰等により、これらの屋台はほとんど見られなくなった
函館ラーメンの呼称
「函館ラーメン」という呼称はごく最近に町おこしの一環として名づけたもので、札幌の味噌味のラーメンを「札幌ラーメン」として売り出したのを追って、函館のラーメンを「ご当地ラーメン」とするにあたり「函館ラーメン」なる呼称を与えた。1996年(平成8年)に日清食品から発売された「日清のラーメン屋さん」において、「札幌みそ風味・旭川しょうゆ風味」と共に「函館しお風味」が商品ラインナップに並び、これが「函館=塩ラーメン」のイメージ形成に一役買った可能性もある[1]。
函館の中華料理店でメニューに「塩ラーメン」の文字が現れたのはごく最近である[1]。もともとラーメンは透明スープの塩ラーメンであり、地元においては「函館ラーメン」という呼称は一般的ではない。