岩戸景気
岩戸景気(いわとけいき)とは、日本の経済史上で1958年(昭和33年)7月~1961年(昭和36年)12月まで42か月間続いた高度経済成長時代の好景気である。
経緯
神武景気、いざなぎ景気と並び、戦後高度成長時代の好景気の一つ。景気拡大期間が42か月と神武景気の31か月をしのぎ、神武景気を上回る好景気から、神武天皇よりさらに遡って「天照大神が天の岩戸に隠れて以来の好景気」として名付けられた。
過剰な投機熱による技術革新によって支えられた。設備投資が景気を主導し、順調に発展していた。一社の民間企業の設備投資が、別の会社の設備投資を招き、「投資が投資を呼ぶ」といわれた。特需の役割は神武景気時代より低比重の一方、外国資本の流入が急増(外国資本の純流入額は外貨調達源として12%)し本邦資本の流出の増加を大きく上回ったことによって資本取引面の比重が上昇。
なべ底不況の景気後退で停滞的傾向の強まった石炭や海運産業等と、景気後退をほとんど受けなかった電気機械・精密機械・自動車など、あるいは受けたが回復の早かったいわゆる成長産業(鉄鋼・化学・石油精製等)との格差が目立ってきた。これは基本的には技術革新による産業構造の変革期である。
- 好景気によって若年サラリーマンや労働者の収入が急激に増加し、国民の間に「中流意識」がひろがっていった。各企業はこの頃から技術・管理・販売部門の拡大に乗りだしたが、いわゆるホワイトカラー層の増加と賃金の大幅な上昇が大企業のサラリーマンを中産層に押しあげていった。中産層は大量消費社会のリード役を果たす。
- 中産層の増大と消費ブームの到来は、生産と消費に介在する流通システムにも大きな変革を促した。大量生産・大量消費の時代には、従来の伝統的な流通チャネルだけでは、もはや適応できなくなった。食料品・繊維製品・台所用品・化粧品・医薬品などの小売市場に、スーパーマーケット、スーパーストアなどの大型店舗が出現、豊富な品ぞろえと大幅な値引き販売で顧客を集め始めた。スーパーを代表とする大型量販店の出現は、「生産者→問屋→小売」という、従来の流通経路に革命的な変化をもたらしたという意味で流通革命と呼ばれた。物情騒然とした状況がつづき、一国の総理大臣が代わっても、日本経済はそんなこととは関わりなしに右肩上がりに突っ走っていった。
昭和34年度
- 実質経済成長率は前年度比11.1%増
- 鉱工業生産は25.0%増
- 民間企業設備投資(実質)は32.6%増加
- 国民総生産(GNP)前年比17.5%増と戦後最高を記録
昭和35年度
- 実質経済成長率は12.1%と2年続いて2桁成長。
- 国民総生産(GNP)前年比14.0%増
後退
投資が活発となり景気は好調となったが、実体経済の成長に伴って、景気はずるずると下降線を引いていった。池田勇人首相内閣により「所得倍増計画」提唱、技術革新と近代化で高度成長が可能になるという理論をもとに主張された。この計画のもとで、経済は予想を大きく上回る成長を遂げたが、1960年度末になると徐々に好景気も末期症状を見せるようになって、それまで安定していた消費者物価が上がり始めた。
岩戸景気の後、短期間(10か月)の不景気(転型期不況、転換型不況、昭和37年不況)を経て、1964年東京オリンピックによる好景気、いわゆる「オリンピック景気」がある。