ウーゴ・フェルナンデス
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テンプレート:サッカー選手 ウーゴ・フェルナンデス(Hugo Fernández , 1945年2月2日 - )はウルグアイ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
来歴
1961年に選手生活をスタートさせ、ウルグアイの他、アルゼンチン、メキシコ、スペインでもプレーした。サッカーウルグアイ代表にも選出された事がある。
1982年に現役を退くとペニャロールのユースチームを率いて優勝に導き、翌年にはトップチームの監督に昇格した。1985年からはメキシコのプエブラの監督を4年間務めた。1991年には東芝サッカー部の特別コーチとして来日している。1994年にウルグアイのナシオナル・モンテビデオの監督をつとめたのち、1995年再びプエブラの監督となった。
1997年、当時Jリーグ入りを目指していた旧JFL・コンサドーレ札幌に招聘された。選手には「ハートでプレイすること」を第一に要求し、自らは試合時間のほとんどを大声で指示を出すことに費やした。「闘志」を大切にするその指導はプロ化間もないチームにうまく合致し、「チームはファミリー」の合言葉の下この年コンサドーレは26勝4敗という成績で優勝することになる。しかし具体的な戦術の指導に乏しかったと指摘する選手もいた。
1998年、待望のJリーグに昇格。苦戦が続きながらもそれでもJ1参入戦は何とかなるだろうと思われた矢先の同年の10月に成績不振と、フロントとの確執から監督を解任された。
監督成績
年度 | 所属リーグ | 大会名 | 試合数 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 順位 | クラブ |
1998年 | J | 1st | 17 | 4 | 13 | - | 16位 | コンサドーレ札幌 |
J | 2nd | 11 | 5 | 6 | - | 10位 |
* 1998年2ndは、第11節終了後に監督を解任された。後任には石井肇ヘッドコーチが昇格した。