京阪山科駅
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京阪山科駅(けいはんやましなえき)は、京都府京都市山科区安朱桟敷町にある京阪電気鉄道京津線の駅。
目次
駅構造
相対式2面2線のホームを持つ地上駅。駅舎(改札口)は上下線ホームの浜大津寄りにそれぞれ設けられており、互いのホームは構内踏切で連絡している。 かつては「びわこ号」用の追い抜き線が設置されていたが、撤去後は先発先着の平行ダイヤ[1]となった。
大津線の他駅と同様に、京阪本線系統の各駅への連絡乗車券は購入できない。但し、京都市営地下鉄烏丸線の丸太町駅や四条駅などへの連絡乗車券は購入可能であるため、誤購入防止のための注意書きがなされている。
この駅のすぐ南に京阪バスのターミナルがあり、山科各地の住宅地や醍醐・六地蔵方面への足となっている。同ターミナルは、かつては京阪の線路より北側のJR駅と挟まれた狭い場所にあったが、再開発にともなって移転した。
のりば
(北側) | テンプレート:Color京津線(上り) | 浜大津方面 (石山寺・坂本 - 浜大津乗り換え)方面 |
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(南側) | テンプレート:Color京津線(下り) | 三条京阪・京都市役所前・太秦天神川方面 京阪線(出町柳・大阪(淀屋橋・中之島) - 三条京阪乗り換え)方面 |
※当初は1両長、次いで2両長のホームであったが、地下鉄東西線開業時に西方向に延伸され4両化された。案内上ののりば番号は設定されていない。
乗降客数
1日:4,301人(2009年11月10日調べ)[2]
駅周辺
当駅に近接して、JR西日本および京都市営地下鉄東西線の山科駅がそれぞれ設置されている。
※詳しくは、山科駅#駅周辺を参照。
路線バス
※山科駅#路線バスを参照。
歴史
沿革
- 1912年(大正元年)8月15日 - 京津電気軌道古川町(後の東山三条) - 札ノ辻(後に廃止)間開通時に毘沙門道駅として開業。
- 1921年(大正10年)8月13日 - 山科駅前駅に改称。
- 1925年(大正14年)2月1日 - 会社合併により(旧)京阪電気鉄道京津線の駅となる。
- 1934年(昭和9年)4月12日 - 駅を70m京都側に移設、待避線が造られ島式ホーム2面4線の緩急接続可能駅になる。
- 1943年(昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄の駅となる。
- 1949年(昭和24年)12月1日 - 会社分離により、(現)京阪電気鉄道の駅となる。
- 1953年(昭和28年)4月1日 - 京阪山科駅に改称。
- 1955年(昭和30年)8月20日 - 国鉄駅側に東改札口新設。
- 1973年(昭和48年) - ホームがそれまでの島式2面4線から相対式2面2線に改造される。
- 1977年(昭和52年)8月15日 - 大津線で初めて券売機設置。
- 1994年(平成6年)4月6日 - 東改札口が仮駅舎化[3]。
- 1996年(平成8年) - 地下鉄東西線開業に伴う駅改良工事を行い、東改札口の改築および列車の4両編成化に伴うホーム有効長の延長(2両から4両)。
- 2002年(平成14年)1月15日 - 自動改札機使用開始。
- 2008年(平成20年)8月 - 医療法人より寄贈を受け、自動体外式除細動器(AED)を設置[4]。
最初で最後の浜大津発・京阪山科行き電車
京津三条 - 御陵間3.9kmの最終営業日となった1997年(平成9年)10月11日。京津三条を最後の列車(浜大津行き準急)が発車した22時14分以降、御陵 - 京阪山科間では線路の切り替えが行われ、同区間は京阪バスによる代替輸送が行われたほか、京阪山科 - 浜大津間では、600形および260形を用いて鉄道による輸送が確保された。このさい、一時的に「浜大津 京阪山科」の方向板を設置して運行された[5]。この日の最終電車が運行された後、600形は1,500Vへの昇圧のために錦織車庫へ、そして260形は解体までの留置場所となった九条山駅付近へと回送された。
隣の駅
- 京阪電気鉄道
- テンプレート:Color京津線
直通運転と2つの「山科駅」の運賃問題
部分廃止前の京阪電気鉄道京津線と、のちに建設された京都市営地下鉄東西線との重複区間は、三条(三条京阪) - 京阪山科(山科)間である。当初、京阪電気鉄道(京阪)は京津線の三条 - 京阪山科を廃止し、京阪山科から京都市営地下鉄(地下鉄)東西線へ乗り入れる予定であったが、地下鉄東西線の線形(京都府道外環状線を北上し、京阪京津線と十字に交差)などの理由から物理的に不可能となり、接続駅が御陵に変更された。このため、山科には地下鉄駅が新設されたほか既存の京阪山科駅も存置されたことから、御陵 - 京阪山科間は両線が並行している。
- 運賃不整合と案内の実際
京都市内中心部と行き来する場合は地下鉄山科駅を利用すれば地下鉄線の運賃のみとなる反面、京阪山科駅を利用すると京津線と地下鉄線の運賃が合算されることから、運賃は後者が比較的高額となる[6]。
また、京都市内中心部から山科へ向かう場合にこの事情を知らない利用者が両社局の駅を区別せず、京阪山科駅で下車してしまい追加運賃を支払う事例が発生していることから、乗り入れている京阪の車両では始発駅発車時および両社局の接続駅である御陵駅到着時に車内アナウンスで運賃に関する注意喚起が行われている[7]ほか、運賃に関する車内吊りの注意書きが掲示されている。
この問題については、地下鉄開業に際して京阪と京都市の間で運賃調整の協議が行われたが、特段の配慮をしないこととして協議を終了した経緯がある。なお、地下鉄線内では他にも、先に建設された烏丸線の京都 - 竹田間で既存の近鉄京都線と並行しており、同様の事例が発生している[8]。
- 乗車カードへの対応
地下鉄東西線では2000年4月1日から「スルッとKANSAI」が利用可能となったが、当時は京津線側は対応していなかったため、連絡運輸の場合は券売機で切符を購入する必要があった。しかし、2002年3月1日から京津線でも利用が可能となったことにより、両線の各駅相互間でも使用できるようになった。
なお、京阪山科駅を含む大津線の各駅では地下鉄山科駅までの連絡乗車券を発売していないほか、地下鉄山科駅でも御陵経由の京阪線連絡乗車券を発売していない。但し、実際に大津線の各駅から乗車カード(ICカード、スルッとKANSAI)を利用してこれらの相互間を乗車した場合は特段の問題なく利用が可能であり、両社局の運賃を合算した金額が引き落とされる。
脚注
- ↑ 大津線系統の各線共通。
- ↑ 京阪100周年記念誌『京阪百年のあゆみ』資料編105頁「駅別乗降客数の推移」
- ↑ 「くらしの中の京阪」(駅置きの広報誌) 1994年5月号
- ↑ 沿線(京都市山科区)などで総合病院などを運営する「洛和会ヘルスケアシステム」より寄贈。京阪3駅にAED寄贈 - おとまる健康ニュース(2008年10月7日)
- ↑ 600形には方向幕に「京阪山科」の行先表示は用意されていない。また、260形は方向幕を装備していない。これは、260形の最後の運行になったほか、方向板も最終日の運用のために新しいものが用意されたことになる。
- ↑ 御陵駅に行く場合のみ京阪山科駅利用のほうが運賃が安くなる。
- ↑ 地下鉄東西線開業当初は地下鉄線の乗車券で京阪山科へ行くと不足運賃が必要とアナウンスされていたが、後に差額運賃と表現が変更されている
- ↑ この事例は地下鉄の方が高額になるため、地下鉄直通列車側で車内アナウンスによる注意喚起が行われている。
関連項目
外部リンク
- 駅情報局:京阪山科駅(おけいはん.ねっと) - 京阪電気鉄道