金鎰チョル

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テンプレート:Ambox-mini テンプレート:Infobox 金 鎰喆(キム・イルチョル、1933年[1] - )は、朝鮮民主主義人民共和国政治家軍人人民武力部長国防委員会委員を歴任。朝鮮人民軍における軍事称号は次帥

人物

平壌出身。万景台革命学院卒業。

ソ連海軍大学の留学後、軍部から台頭し、1980年朝鮮労働党第6回党大会で党中央委員および党中央軍事委員に選出。1982年より中将、上将、海軍司令官、大将、次帥へと順調に地位を上げ、1997年4月には人民武力部国防省に相当)の第一副部長に就任。

1998年9月最高人民会議では国防委員会副委員長及び人民武力相(2000年より人民武力部長)に選出された。その後、国防委員会副委員長職から退き、2009年2月11日には人民武力相を解任され、人民武力部第一副部長に格下げされていることが判明したが[2]、朝鮮民主主義人民共和国指導部序列第13位に推定されるなど、北朝鮮軍部の実力者であった。

2010年5月13日朝鮮中央通信の報道により、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会告示で、金鎰喆が『高齢である』ことを理由に国防委員及び人民武力部第一副部長の職務から解任されたことが判明した[3]

プエブロ号事件に関係のあった人物とされる。金正日の誕生日には海軍協奏団(音楽隊)を動員して、演奏会を開くほどの政治軍人。

経歴

  • 1958年 - 海軍大学卒業
  • 1962年~1965年 - ソ連海軍大学留学
  • 1980年 - 労働党中央軍事委委員
  • 1985年 - 海軍司令官(上将)
  • 1992年 - 人民軍大将
  • 1997年 - 人民軍次帥、人民武力部第1副部長
  • 1998年9月5日 - 国防委員、人民武力相
  • 2000年9月9日~2009年2月11日 - 人民武力部長
  • 2009年2月11日~2010年5月13日 - 人民武力部第1次官

脚註

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  1. 「80歳であるとされる」と記載があるため、1929年若しくは1930年生の可能性もある。北朝鮮序列13位の国防委員、高齢理由に解任 讀賣新聞 2010年5月14日記事文中参照。
  2. 北、金鎰喆前人民武力相を第1副部長に降格 中央日報 2009年2月19日
  3. 北朝鮮序列13位の国防委員、高齢理由に解任 讀賣新聞 2010年5月14日閲覧