存在論

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存在論(そんざいろん、テンプレート:Lang-en-shortテンプレート:Lang-de-short)は、哲学の一部門。さまざまに存在するもの(存在者)の個別の性質を問うのではなく、存在者を存在させる存在なるものの意味や根本規定について取り組むもので、形而上学ないしその一分野とされ、認識論と並ぶ哲学の主要分野でもある。

概要

「存在論」の原語は、ドイツ語でOntologie、ラテン語でontologiaであるが、この表現はギリシア語で「存在するもの」(存在者)を意味する「オン」(on)と「理論」を意味する「ロゴス」(logos)を結んで、17世紀初頭ドイツのアリストテレス主義者ルドルフ・ゴクレニウス によって作られたものである[1]。その後、ヨハン・クラウベルクを経て、クリスティアン・ヴォルフに至り用語として定着した[1]。日本では、1870年に西周がヴォルフのOntologieを「理体学」と訳したのが最初であり、以後、「実体学」、「本体論」、「実有論」などさまざまに訳され、1930年後半以降に入り「存在論」の訳語が定着し、一般にハイデガーのOntologieに対する訳語として用いられることになった。

存在論の歴史は古代ギリシアに遡る。ことにアリストテレスの第一哲学は存在への問いを明確に立てたものであり、以後の西洋哲学の中心は近代に至るまで存在論が占めてきた。

カント以降の哲学は、認識論への傾倒をみせるが、第一次世界大戦後の19世紀の末からニコライ・ハルトマンの批判的存在論や マルティン・ハイデッガー基礎的存在論などによって「認識論から存在論へ」というモットーのもとに復活をみせるようになった。

歴史

古代

パルメニデス

パルメニデスは、「ある」(希:estin)ということはどういうことか、という問題を明確化した最初の人物とされている[2]。彼の哲学は叙情詩の形をとっており、その解釈は一様でないが、彼によれば、感覚で捉えられる世界は生成変化を続けるが、そもそも「変化」とは在るものが無いものになることであり、無いものが在るものになることである。パルメニデスは感覚よりも理性に信を置いて真に在るものは不変だと考えた。

  1. 哲学は、真理(希:Alêtheia、アレーテイア)の道と、思いなし(希:doxa、ドクサ)の道に分けられる。
  2. 理性(希:logos、ロゴス)が真理、感覚はドクサの道である。
  3. 理性によれば、「無」から「有」が生じたり、「有」が「無」になるのは矛盾であるが、現実の存在者は「あり、かつ、あらぬ」(希:einai te kai ouchi)であり、生成流転する(希:gignesthai te kai ollysthai)。したがって、感覚でとらえられる運動・変化・多なるものは、死すべき人間のドクサにすぎない。これに対し、真に「ある」とは、同時に「あらぬはありえない」(希:estin te kai hôs ouk esti mê einai)ということである。したがって、真に「ある」ところのものは連続一体・不生不滅で変化もしなければ運動もしない全体として、同質の球体を形づくっている。この全体はヘラクレイトスのように対立物の合一したものではない。なぜなら、対立というものも存在しないからである。

パルメニデスは、ソクラテス以前の哲学者の中でも、自然・万物の根源について探求したイオニア学派、それまでのミレトス学派と異なり、宇宙論に先立って、「真理」を問い、これを現実の存在者でなく、存在と結びつけるという新しい哲学態度を示している。

プラトン

プラトンイデア論は、パルメニデスの不生不滅の考えとヘラクレイトスの万物流転の考えを調和させようとした試みであると言われ、この現実の世界は仮象の生成流転する世界であって永遠に存在するものはなにもなく、イデアの世界こそ真実在であるとし、最高のイデアは、のイデアであるとし、存在と知識の最高原理であるとした。

プラトンは、『国家』篇第五巻において、哲学者は、を愛するが、そのの対象は、イデアの世界の「あるもの」であるのに対し、ドクサを抱くにすぎない者の愛の対象は、仮象の世界の「あり、かつ、あらぬもの」であるとして存在論と知識を結び付けている。彼によれば、この宇宙は、神が質料(ヒュレー)からイデアを範型として制作したものであって、無から創られたものではない。彼の宇宙ないし自然に対する見方はソクラテス以前の哲学者のそれと決定的に異なっており、これがアリストレスに受け継がれていくことになった。

アリストテレス

アリストテレスは、存在への問いを明確に立て体系化した最初の人物である[2]。彼は、その学問体系を、「論理学」をあらゆる学問成果を手に入れるための「道具」(organon)であるとした上で、「理論」(テオリア)、「実践」(プラクシス)、「制作」(ポイエーシス)に三分し、理論学を「自然学」と「形而上学」、実践学を「政治学」と「倫理学」、制作学を「詩学」に分類した。アリストテレスによれば、形而上学は存在するものについての「第一哲学」であり、始まりの原理についての知である。すなわち、存在者のさまざまな特性を問う個別科学とは区別され、その上位に位置づけられる究極の学問として、「存在者である限りでの存在者」、「全体としての存在者」、すなわち「存在とは何か」を問う学問を構想し、これを「第一哲学」と呼んだのである。

アリストレスは、まず、道具である論理学において、「述語」(命題「PはQである」というときの「Qである」にあたる)の種類を10のカテゴリに区分し[3]、次いで、形而上学において、存在者を多義的なものであるとして、存在をカテゴリに従って10に分類した。

パルメニデスは、存在を当時の通念に従って完全な「球体」であり、それは「一つ」であるとしたが、アリストテレスは、それを比喩にすぎないとして、現実の個物を実体とし、「多様」な存在をカテゴリに従って分類し体系化したのである。

アリストテレスは、その著書『形而上学』において、有を無、無を有と論証するのが虚偽であり、有を有、無を無と論証するのが真であるとした。そこでは、「有・無」という「存在論」が基礎にあり、これを「論証する」という「判断」が支えている。そこでは、存在論が真理論と認識論とに分かちがたく結び付けられている。

彼の学問体系は、その後、トマス・アクィナスらを介して古代・中世の学問体系を規定することとなったが、そこでは、認識論的な問題は常に存在論と分かちがたく結び付いていた。そのため、形而上学の中心的な問題は、近代に至るまで常に存在論であったのである。

アリストテレスは、質料が形相と結び付いて、その可能性を実現して目的を達成するすることを「デュナミス」と「エネルゲイア」ないし「エンテレケイア」の概念を区別することによって行なったが、中世のスコラ哲学では、この区別が、「○○が何であるか」という「本質存在」(essentia)と、「○○があるかないか」という「事実存在」(existentia)の区別として概念化され、「本質存在の優位」が説かれるようになった。これらは○○という事実にイデアないしエイドスという本質が優先するという考えである点で共通しており、いずれも神によってモデルに従って制作ないし創造された宇宙・自然という見方と繋がっている。アリストテレスは、プラトンのイデア論を厳しく執拗に批判したが、その肝要部分は決して手放していないのであった。

中世

アンセルムス

アンセルムスは、理性によって神の存在を証明しようとした[2]。彼の神の存在証明は、『プロスロギオン』の特に第2章を中心に展開されたもので、おおよそ以下のような形をとる。

  1. 神はそれ以上大きなものがないような存在である。
  2. 一般に、何かが人間の理解の内にあるだけではなく、実際に(現実に)存在する方が、より大きいと言える。
  3. もしもそのような存在が人間の理解の内にあるだけで、実際に存在しないのであれば、それは「それ以上大きなものがない」という定義に反する。
  4. そこで、神は人間の理解の内にあるだけではなく、実際に存在する。

トマス・アクィナス

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トマス・アクィナス(1225年頃 - 1274年

トマス・アクィナスは、アリストテレスの存在論を承継しつつも、その上でキリスト教神学と調和し難い部分については、新たな考えを付け加えて彼を乗り越えようとした。

彼は、アリストテレスの「形相質料」(forma-materia)と「現実態-可能態」の区別を受け入れる。アリストテレスによれば、存在者には「質料因」と「形相因」があるが、存在者が何でできているかが「質料因」、その実体・本質が「形相因」である。存在者を動態的に見たとき、潜在的には可能であるものが「可能態」であり、それが生成したものが「現実態」である。「形相-質料」は主に質量を持つ自然界の存在者に限られるが、「現実態-可能態」は自然界を超越した質量を持たない形相のみの存在者にまで及ぶ。すべての存在者は可能態から現実態への生成流転の変化のうちにあるが、すべての存在者の究極の原因であり、質料をもたない純粋形相が「神」(不動の動者)と呼ばれるのである。

しかし、トマスにとって、神は、万物の根源であるが、純粋形相ではあり得なかった。旧約聖書の『出エジプト記』第3章第14節で、神は「私は在りて在るものである」との啓示をモーセに与えているからである。そこで、彼は、アリストテレスの存在に修正を加え、「存在-本質」(esse-essentia)を加えた。彼によれば、「存在」は「本質」を存在者とするため「現実態」であり、「本質」はそれだけで現実に存在できないため「可能態」である。「存在」はいかなるときにおいても「現実態」である。神は、自存する「存在そのもの」であり、純粋現実態である。

人間は、理性によって神の存在を認識できる(いわゆる宇宙論的証明)。しかし、有限である人間は無限である神の本質を認識することはできず、理性には限界がある。もっとも、人間は神から「恩寵の光」と「栄光の光」を与えられることによって知性は成長し神を認識できるようになるが、生きている間は恩寵の光のみ与えられるので、人には信仰・愛・希望の導きが必要になる。人は死して初めて「栄光の光」を得て神の本質を完全に認識するものであり、真の幸福が得られるのである。

トマスは、存在論に基づく神中心主義と、理性と信仰に基づく人間中心主義の統合を図り、後世の存在論に多大な影響を与えることになった。

近世

ライプニッツとヴォルフ

テンプレート:Multiple image 存在論を初めて哲学体系に組み入れたのは、18世紀ドイツのクリスティアン・ヴォルフである。彼は、ライプニッツ表象概念を基礎にした体系的な形而上学を構築したので、彼とその後継者の哲学は「ライプニッツ=ヴォルフ学派」といわれることがある。彼の学問体系は、哲学を理論的哲学と実践的哲学とに分け、前者を「形而上学」と呼び、この形而上学を構成するものとして、存在論、合理的心理学、宇宙論、合理的神学を掲げた。このなかで存在論は「存在者が存在するかぎりにおいての存在者一般の学」であり、優越した特殊な存在者(神や魂)を扱う特殊形而上学(合理的心理学、宇宙論、合理的神学)に「先立つ」一般形而上学として位置づけられた。このようにして、ライプニッツにおいては、神の存在証明、つまり神学と分かち難く結びついていた存在論を分離し、哲学を神学から独立させたのである。

認識論への転換―カントによる批判

カントもまたヴォルフと同様に存在論を自身の哲学大系に組み込んでいるが、ヴォルフと異なるのは、存在論を「人間のアプリオリな認識の諸原理・諸要素の哲学」(先験哲学)と説き、存在者を悟性で分析する次元から、対象のアプリオリな「認識」の次元へと転換した点にある。すなわち、存在論の定立は自明なものではなく、そもそも人間の有限な認識によって存在論的認識が可能であるか否かを、批判によって確定することが先決条件であるとしたのである。彼は、純粋理性のアンチノミー(二律背反)のうちの一つとして、世界の第一原因と神の存在証明を挙げ、ライプニッツ=ヴォルフ学派の形而上学、その背後にあるアリストテレス=トマス・アクィナス的な神学そのものを批判したのである。このカントの批判哲学によって、ショーペンハウアーが「『純粋理性批判』は存在論を分析知論に変えてしまった」と指摘したように、哲学の中心は認識論に置かれることになる。

ヘーゲル

カントは、デカルト的な主観/客観の二項対立図式を前提としつつ、現象物自体を厳密に区別したのであるが、ヘーゲルによって完成を見たドイツ観念論は、理性によって現象と物自体の区別を乗り越えるような形で発展した。

ヘーゲルによれば、カントの認識論は、認識の限界を認識するという循環論法的な議論であって、それはあたかも水に入る前に水泳を習うようなものである。カントの反省哲学の過ちは、二項対立図式を静的で固定なものと考えたところにあり、反省とは「見る自分」と「見られる自分」を区別することから始まるが、自己意識の構造から判明するように、両者が同一であることを「自分」は知っている。彼は、これを「区別のない区別」と呼び、無限という動的な観点を入れれば、見る自分/見られる自分、主観/客観という二項対立図式構造そのものが消滅するとした上で、それは、神が自身を分裂させて、本質を現象させて自己認識を達成することによってその分裂から自分を取り戻し同一性を回復する過程で成し遂げられるとした。

このようなヘーゲルの存在論は、弁証法という論理学を基礎に、認識論とネオプラトニズムを統合するというべきものであるが、ヘーゲルの死後、ヘーゲル学派は分裂・対立を繰り返して崩壊し、かえって哲学の危機の時代を招いた。

現代

存在論の復権

カント以降の哲学は認識論への傾倒をみせたが、19世紀の末から第一次世界大戦後の存在論は、「認識論から存在論へ」というモットーのもとに復活をみせる。

大陸哲学

フッサールとハイデッガー、ハルトマン ドイツ現象学の潮流

エトムント・フッサールは、デカルト的な主観・客観の2項対立図式を乗り越えたノエシス/ノエマ構造を本質とする志向性意識についての認識論的考察と、志向対象としての存在者への考察を現象学的還元を介して批判的に記述することにより、限定的ながらも存在論への道を開いた。もっとも、フッサールの存在論はあくまで認識論の範囲内でのものであり、その限りで消極的なものである。

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マルティン・ハイデッガー(1889年 - 1976年

20世紀に存在論の復権を高々に掲げたのが、マルティン・ハイデッガーである。彼は、主書『存在と時間』において、西洋哲学の根本をなしてきたものは、「存在とは何か」という問いであるが、従来の存在論(形而上学)はその問いに対して神や自然といった存在を持ち出して応えようとしてきたとする。つまり、従来の存在論は、「存在者」(das Seiende)と存在者を存在者たらしめている「存在」(das Sein)との区別、すなわち「存在論的差異」を忘却してきたのである(存在忘却 Seinsvergessenheit)。彼は、この点を批判し、あくまで存在そのものの「意味」を問おうとし、そのための方法論として現象学を採用し、志向性を「関心」(Sorge)と呼び、「存在的」(ontischen)なあり方と「存在論的(ontologisch)なあり方を区別した。彼によれば、すべての存在者の中でも、存在論的な在り方において、存在の意味について関心を持ち、理解し得る可能性のあるのは、理性ある「人間」のみであるが、「ひと」(das Man)は、日常においては、存在忘却のため、本来の自己をもたず、他人一般に支配され「世間」に埋没している。したがって、存在忘却から脱し、存在そのものの意味を解明する準備として、人間たる現存在がどのような構造をもつかを分析する必要があるとし、この現存在の分析論を「基礎的存在論」(Fundamentalontologie)と呼び、すべての存在者の意味に関する存在論の基礎を与えるものとした。彼によれば、基礎的存在論は、個人の実存的体験を基礎としない心理学的な人間分析であってはならず、また、個人の実存的体験のみを基礎とする「実存的分析」であってもならず、これと区別された「実存論的分析」(existentiale Analytik)でなければならない。この分析の結果、ハイデッガーは、現存在の根本的存在規定である「関心」の意味が「時間性」(Temporalität)にあるとした。ハイデッガーは、現存在が自己を「時間化」する方法は本来的なそれと非本来的なそれの二つがあり、それに応じて存在了解も変わってくると自説を展開した。存在の意味が変われば、その視点のもとに見られる存在者全体の在り方とそれとの現存在の関わり方、すなわち、文化の形成の仕方も変化する。本来的なそれにおいては、その時間化はまず未来への先駆として生起し、そこから過去が反復され、そして現在は瞬間として生きられるが、存在忘却の下にある世人は非本来的なそれの中に生きており、未来は漠然とした期待のうちで開かれ、過去は忘却され、現在は現に眼前にある事物への現前として出現するだけである。したがって、人間が自己を本来的に時間化することができれば、未来が優越する緊密な時間の流れの中で、反復される歴史を解体し、現在の瞬間を自由に生きることが可能になる。そして、ハイデッガーは、哲学の歴史、すべての形而上学の「解体」(Destruktion)を始める。彼によれば、西洋哲学の歴史は、プラトン・アリストテレスに起源を有し、スコラ哲学によって定式化された「本質存在の優位」という思想が形を変え、品を変え登場するだけであり、それはデカルト・カントの近世哲学からニーチェに至るまで何ら進歩も変化もしていないとする。それは、何らかの本質によって制作されて存在するという宇宙・自然という見方であり、人間以外の存在者、宇宙・自然界の存在者すべてを「道具」とみる人間中心的な「閉存」の立場である。それは、ソクラテス以前の哲学者が宇宙・自然を機械的・道具的なものではなく、生き生きとした自ら成るものという見方をしていたことと対照的である。ハイデガーは、プラトンに端を発する上のような見方に基づく西洋哲学の歴史すべてを解体し、存在忘却が勢力をふるう近代を転換し、歴史を支配する存在そのものに耳を傾け従いながら、それを守蔵することを試みたのである。後期ハイデッガーの哲学は、「故郷の喪失が世界の運命となる。それゆえに、この世界を存在史的に思索することが必要となる」として、一種の静寂主義へと向かった。

ニコライ・ハルトマンは、もともとは新カント派に属していたが、やがてフッサールの現象学の影響を受けて、これを独自に発展させ、理念的・意味的な存在者をも自身の存在論の射程に収めるなど、認識さえも人間が他の存在者と結ぶ存在関係の一つとみなし、批判的存在論を展開した。ハイデッガーの基礎的存在論があくまで現象学を方法論として採用し、その射程内に収まっているのに対し、ハルトマンの存在論は認識論に対する存在論の優位を認めるものであった。

サルトルとメルロ=ポンティ フランス実存主義

ドイツ発祥の現象学は、その後、フランスにおいて受容されたが、その影響は、フッサール自身の思想も時期により異なる内容を持つだけでなく、ハイデッガーにおいては現象学は方法論としての限定的な意義を有するにすぎなかったため様々である。サルトルとメルロ=ポンティが誰のどの時期のどの著作を読んで影響を受けたのかが両者の存在論の違いを生んだ。サルトルはフッサールのイデーン1巻とまだ存在論の優位か実存論的分析の優位が決めかねていた時代のハイデッガーしか読んでいなかったが、メルロ=ポンティはフッサールの未完成稿を含めた後期思想を含む本を読んでいたのである。

フランス実存主義の祖サルトルは、主著『存在と無-現象学的存在論の試み』(1943年)において、今まさに生きている自分自身の存在である実存を中心とする存在論を展開した。サルトルの思想は、特に無神論的実存主義と呼ばれ、自身の講演「実存主義はヒューマニズムであるか」において、プラトン・アリストテレスに起源を有する「本質存在が事実存在に先立つ」という伝統的形而上学のテーゼを逆転して実存は本質に先立つと主張し、「人間は自由という刑に処せられている」と述べた。もし、すべてが無であり、その無から一切の万物を創造した神が存在するならば、神は神自身が創造するものが何であるかを、あらかじめわきまえている筈である。ならば、あらゆるものは現実に存在する前に、神によって先だって本質を決定されているということになる。この場合は、創造主である神が存在することが前提になっているので、「本質が存在に先だつ」ことになる。しかし、サルトルはそのような一切を創造する神がいないのだとしたらどうなるのか、と問う。創造の神が存在しないというならば、あらゆるものはその本質を(神に)決定されることがないまま、現実に存在してしまうことになる。この場合は、「実存が本質に先だつ」ことになり、これが人間の置かれている根本的な状況なのだとサルトルは主張するのである。サルトルにとって、現象学によって把握される即自存在と対自存在の唐突で無根拠な関係は、即時存在の幻影的な存在の根拠になっている。いずれにせよ、そこでは現象学に還元し得ない存在としての実存が問題にされている。

メルロ=ポンティは、後期フッサールの生活世界に焦点を当てて、これを乗り越えようとした。彼は、『知覚の現象学』(1945年)において、知覚・身体を中心に据えて幻影肢の現象を分析し、自然主義と観念論を批判する。その前提となる、デカルト的なコギトにとって「私の身体」は世界の対象の一つであり、仮に、そのような前提が正しいとすれば、私の意識が、客観的にない脚に痒みを感じることはないはずである。彼は、デカルト的伝統を受け継ぐサルトルのように対自主体、即自客体を明確に二分することに誤りがあり、両者を不可分の融合的統一のうちにとらえられるべきであると主張する。主体でも客体でもあると同時に主体でも客体でもない裂開の中心である両義的な存在、それが身体である。生理的な反射でさえ、生きた身体が環境に対して有する全体的態度、意味の把握を伴うし、その全体性は決して私の反省的意識に還元し尽くされることはない。私と世界の間の身体による関係は、全体的な構造であるばかりでなく、時間的に発展する構造でもある。彼にとって即自存在と対自存在の対立は、以上のような構造を有する、より一層深い媒介の所産であり、ここでは現象学より存在論が優位するのである。

その後、フランスの現代思想において、サルトルとクロード・レヴィ=ストロースの論争をきっかけに、1960年代に入って構造主義が台頭するが、メルロ=ポンティの身体論は構造主義の準備ないしその橋渡しになったと評価する向きもある。

新トマス主義

トマスの思想は、近代的認識論の成立により、急速に衰え始めたのであるが、19世紀になると、新トマス主義の存在論として復活した。

新トマス主義には、人格神たる神が存在するという神学的な立場を前提に、トマスの哲学を研究しようとするもの、そのような立場については判断を留保し、現代的な哲学・科学の成果を取り入れ、修正すべき点は修正した上でトマス哲学を研究しようとするものの二つに大きく分かれるといってよい。特に論争となっている点は、カントによる批判哲学、認識論の研究成果については、エティエンヌ・ジルソンのように、存在論に対する認識論的優位を認めてしまうと、結局は観念論に行き着いてしまうことからする消極的な立場と、むしろトマスの哲学には認識論的に示唆に富む記述が多いとしてこれを現代的に修正していこうとする立場がある。

分析的形而上学

論理実証主義の失敗とクワイン

ウィーン学団から始まった論理実証主義は、けっして一つの主張で固まっていたわけではないものの、経験主義を基礎に実在論を主張するものが多くいた。そして、経験主義の伝統においては、真理とは、観念と実在の対応であり、その場合の観念とは、一つの名辞を単位に考えられていた。カルナップらの論理実証主義は、この単位を一つの言明に置き換えた。つまり、ここでは、直接的経験によるセンス・データ(感覚所与)言語に翻訳可能であれば、この言明は有意味であると考えられたのである。

しかしながら、ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインによれば、このように実在と観念の対応を一つの名辞、一つの言明に分解していく還元主義は不可能であり、われわれの認識は一つの言語体系であり、したがって、とある信念を検証するにあたっては、一つの理論の全体との関係で、経験の審判を仰がねばならず、そのコロラリーとして、分析的真理と総合的真理は区別することはできないのである。クワインは、これを「全体論」と呼んだが、これによれば、経験による改訂の可能性を原理的に免責されている信念はなく、もし対立する二つの理論があるときは、どのような経験によっても、そのどちらかが完全に否定されることはなく、どのような信念でも保持しつづけることができることになる。

論理実証主義は、哲学に数学、論理学を基礎とした確固たる方法論を基盤に実験や言語分析に科学的な厳正さを求め、存在論を含め形而上学的問題を哲学的に無意味なものと見なしたのであるが、クワインの批判をきっかけに反論が強まり、哲学的に失敗したものとみなされるようになった。現在では「分析的形而上学」と呼ばれる分野で、存在論だけでなく、時間・自由など伝統的な形而上学的なトピックのほぼすべてについて分析哲学の手法を用いた議論がなされているといってよい。詳細は、なぜ何もないのではなく、何かがあるのかを参照。

メタ存在論

メタ存在論と呼ばれている議論では、「何が存在するのか、との問いに客観的な答えはあるのか」という問いに対して、これを肯定する「存在論的実在論(ontological realism)」と、否定する「存在論的反実在論(ontologicalanti-realism)」が対立している。

存在論の現在と未来

ドイツでは、戦後しばらくの間はハイデッガーが学派とまではいえないにせよ一定の影響力を持っていたが、1960年ころから、いわゆる「ドイツ社会学の実証主義論争」を経て、英米系の言語哲学、科学哲学、現代的認識論の発展の成果を受容する流れがドイツ哲学会では強くなり、ハイデガーの影響力は減退していった。

経験論プラグマティズムの伝統の下、論理実証主義分析哲学が発展し、形而上学を否定する傾向のある英米系の哲学では、特にハイデッガーを評価する向きは少ないようであるが、近年、存在論も含め形而上学的な問題がやや形を変えた形で議論され、分析的形而上学と呼ばれている。英米系の哲学では、クワインの主張が以後の存在論の流れを方向付けた。存在論は認識論と同様自然化されなければならないとされ、いわゆる存在論的問題は自然科学によって解答が与えられるべきものであり、そのプロジェクトは科学者が共同して遂行していくものとのされたのである。そこでは、専門訓練を受けた科学者が、それぞれの専門分野で、物理学の哲学生物学の哲学といった個別の分野ごとに存在論的問題を論じていくことになる。それでは存在論は単に科学の一章にすぎないのであろうか、それともやはり哲学固有の問題は残り続けるのであろうか。この点はついては、現在も肯否両論の立場から議論が続けられており、その解決は未来に残された問題といえるだろう。

脚注

  1. 1.0 1.1 『岩波哲学小事典』「存在論」の項目
  2. 2.0 2.1 2.2 後掲加藤
  3. 『カテゴリー論』第4章

参考文献

文献情報

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  • Wolff, Christian. 1728. Philosophia rationals, sive logica methodo scientifica pertractata et ad usum scientiarum atque vitae apatata. Frankfurt and Leipzig.

関連項目

外部リンク

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