芳賀高照

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芳賀 高照(はが たかてる、大永元年(1521年) - 弘治元年(1555年))は戦国時代武将本姓清原氏家系清党棟梁 芳賀氏宇都宮氏那須氏家臣芳賀高経の子で芳賀高継の兄にあたる。

1541年、父・高経が宇都宮尚綱によって殺されると、那須氏を頼って落ち延びた。そして1549年那須高資とともに出陣し、喜連川の戦いで尚綱を討ち取った。しかし1555年、宇都宮氏の家臣である芳賀高定の反撃を受けて自害を余儀なくされた。

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