富田林西口駅
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テンプレート:出典の明記 テンプレート:駅情報 富田林西口駅(とんだばやしにしぐちえき)は、大阪府富田林市寿町一丁目にある、近畿日本鉄道(近鉄)長野線の駅。
駅構造
単式1面1線ホームの地上駅。棒線駅のため、河内長野行きと阿部野橋方面行きが同一ホームに発着する。ホーム有効長は5両分。駅舎(改札口)はホーム古市寄りにある。
- Tondabayashi-nishiguchi Station 01.jpg
プラットホーム
利用状況
- 2010年11月9日の調査結果によると、1日の乗降人員は6,135人[1]。
- 近鉄の全調査対象駅(287駅)中、102位。
- 長野線の駅(8駅、他線接続駅含む)の中では、6位。
- 大阪府内の近鉄の駅(61駅)の中では、41位。
- 2008年11月18日の調査では1日の乗降人員は5,884人、2005年11月8日の調査では6,215人。
駅周辺
- 富田林市役所
- 富田林警察署
- 富田林市消防本部
- 大阪府南河内府民センター
- 富田林保健所
- 富田林郵便局
- 富田林西口郵便局
- 富田林市立富田林小学校
- 富田林市立第一中学校
- 大阪府立富田林高等学校
- 大阪府立河南高等学校
- 大阪府道203号富田林狭山線
- 国道170号
歴史
- 1904年(明治37年)10月12日 - 河南鉄道の富田林 - 滝谷不動間に、学校前駅として新設開業[2]。
- 1912年(明治45年)3月31日 - 営業廃止[3]。
- 1917年(大正6年)1月9日 - 営業再開[4]。
- 1919年(大正8年)3月8日 - 社名変更により大阪鉄道に社名変更。
- 1933年(昭和8年)4月1日 - 富田林西口駅に改称[5]。
- 1943年(昭和18年)2月1日 - 関西急行鉄道が大阪鉄道を合併。同社の駅になる。
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 戦時統合により関西急行鉄道が南海鉄道(現在の南海電気鉄道の前身。後に再独立)と合併。近畿日本鉄道長野線の駅となる。
- 1945年(昭和20年)6月1日 - 営業休止。
- 1946年(昭和21年)7月1日 - 営業再開。
- 2007年(平成19年)4月1日 - PiTaPa使用開始。
隣の駅
- 近畿日本鉄道
- 長野線
- テンプレート:Color急行・テンプレート:Color準急・テンプレート:Color普通(急行は下りのみ運転)
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:Navbox- ↑ 近畿日本鉄道 駅別乗降人員
- ↑ 「停車場設置」『官報』1904年10月15日(国立国会図書館デジタル化資料)による。『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』p.685では10月7日。
- ↑ 「軽便鉄道簡易停車場廃止」『官報』1912年3月30日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ↑ 「軽便鉄道停留場設置」『官報』1917年1月16日(国立国会図書館デジタル化資料)による。『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』p.685では1916年12月営業再開。
- ↑ 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳 8号 関西1』新潮社、2008年、p.27