高遠電気軌道
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高遠電気軌道(たかとおでんききどう)は、長野県伊那市伊那から同市高遠町まで結ぶ鉄道建設を計画した鉄道会社である。
1909年(明治42年)に伊那谷に鉄道(伊那電気鉄道、JR飯田線の前身)が開通したが、高遠町はルートから外れてしまった。同町の衰退を心配した地元の有力者などにより電気軌道敷設が発起され1920年(大正9年)9月14日に上伊那郡伊那町-同郡高遠町間の軌道特許状が下付され[1]、1921年(大正10年)1月に高遠電気軌道が設立された[2]。社長にはこの計画の推進役である高遠町の黒河内一太郎が就任した。当時黒河内は高遠電燈取締役[3]であり県会議員であった。県を動かし高遠までの道路の改修をはじめたが伊那電気鉄道伊那北駅から高遠までは総距離10km足らずであり、採算性への疑問から、計画は進まなくなった。盲腸線化を回避するため、杖突峠を通り諏訪地方へ鉄道をつなげる計画も立ったが、黒河内が1926年(大正15年)6月に急逝する。これにより計画は頓挫し、1930年(昭和5年)7月17日に軌道特許失効となった[4]。現在では、その用地は国道361号として使用されており、JRバス関東のバス路線である高遠線が走る高遠町民の大切な道路となっている。
主な設置予定駅
伊那北駅 - 二条橋駅 - 伊那中央駅 - 日影駅 - 美篶駅 - 芦沢駅 - 高遠駅
脚注
- ↑ 「軌道特許状下付」『官報』1920年9月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 『日本全国諸会社役員録. 第30回』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 『帝国銀行会社要録 : 大正9年(9版)』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)発起人総代の豊島恕平が社長
- ↑ 「軌道特許失効」『官報』1930年7月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
参考文献
- 小林宇一郎・小西純一監修『信州の鉄道物語』 、信濃毎日新聞社、1987年、307-310頁