上ノ太子駅
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上ノ太子駅(かみのたいしえき)は大阪府羽曳野市飛鳥にある近畿日本鉄道(近鉄)南大阪線の駅。
駅構造
相対式2面2線ホームを持つ地平駅。駅舎(改札口)は双方のホームの尺土寄りにあり、互いのホームは構内踏切で連絡している。また駅員は上り線側の駅舎にのみ配備され、下り線側の駅舎は無人化されている。便所は上り線側にあり、男女別の水洗式。上り(南側)改札口は、2004年に駅舎が出来るまでは、ラッシュ時対応の臨時改札口として運用していた。
自動改札機はオムロン製が設置されている。赤い自動改札機(U-PG)は出場時2枚一括処理、PiTaPa・ICOCA対応。
のりば
1 | テンプレート:Color南大阪線(下り) | 橿原神宮前・吉野・御所方面 |
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2 | テンプレート:Color南大阪線(上り) | 古市・大阪阿部野橋・河内長野方面 |
利用状況
- 2010年11月9日の調査結果によると、1日の乗降人員は4,632人[1]。
- 近鉄の全調査対象駅(287駅)中、124位。
- 南大阪線・吉野線の駅(43駅、他線接続駅含む)の中では、17位。
- 大阪府内の近鉄の駅(61駅)の中では、49位。
- 2008年11月18日の調査では、1日の乗降人員は4,502人。2005年11月8日の調査では4,355人。
駅周辺
羽曳野市東部をはじめとする地域は葡萄の産地で、駒ヶ谷駅から上ノ太子駅までにかけての沿線には、山の斜面にブドウ畑が広がる光景である。 下り線改札をでると旧竹内街道の国道166号線がある。当駅から駒ヶ谷方面へは国道とはいえ古街道そのままの道幅で、普通乗用車より大きい車両の通行は困難、中型トラックの通りぬけは不可能である。車両がすれ違う場合は民家の敷地に退避してゆずりあう光景がみられる。
鉄道路線のない太子町の最寄駅としても機能しており、南口からは同町中心部へのバスが発着している。
- 叡福寺(上之太子)
- 聖徳太子御廟所
- 西方院
- 小野妹子の墓
- 壷井八幡宮(源氏三神社の一つ)
- 通法寺跡(源氏菩提寺)
- 河内源氏の墓(源頼信、源頼義、源義家)
- 近つ飛鳥の里
- 鹿谷寺跡
- 竹内峠
- 上の太子観光みかん園(近鉄指定)
- 近鉄指定観光地最寄駅であることから、毎年秋季(10月1日から11月30日まで)の土休日に急行が臨時停車する
路線バス
- 太子線 喜志駅前 行(春日・太子前経由)
歴史
上ノ太子付近は、後に鎌倉幕府を開いた源頼朝の先祖の河内源氏の本拠地であり、東国の武士を郎党とした八幡太郎義家の頃は、全国の武家の棟梁の地とされた。
2004年の南阪奈道路開通に伴い、片側改札から上り線にも改札とバスロータリーが作られた。金剛バスが運行されているが、運行数が少なく、太子町の主要住宅地内に乗り入れていないことも手伝って朝夕は送迎の車で混雑することがある。
- 1929年(昭和4年)3月29日 - 大阪鉄道古市 - 久米寺(現在の橿原神宮前)間延伸時に開業。
- 1929年(昭和4年)4月14日 - デニ500形電車が二上山駅側の上り勾配から退行し、駅構内で大鉄電車三重衝突事故発生。
- 1943年(昭和18年)2月1日 - 関西急行鉄道が大阪鉄道を合併。関西急行鉄道天王寺線の駅となる。
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 戦時統合により関西急行鉄道が南海鉄道(現在の南海電気鉄道の前身。後に再独立)と合併。近畿日本鉄道南大阪線の駅となる。
- 2004年(平成16年) - 南駅舎新設。
- 2007年(平成19年)4月1日 - PiTaPa使用開始。
- 2009年(平成21年)3月20日 - 大阪阿部野橋駅構内工事に伴い、営業距離が0.1km短縮された(22.1km→22.0km)ことで当駅から大阪阿部野橋間の運賃が430円から390円に値下げ。
隣の駅
- 近畿日本鉄道
- 南大阪線
- テンプレート:Color急行・テンプレート:Color区間急行
- 通過(但しみかん狩り輸送時には急行の臨時停車あり)
- テンプレート:Color準急・テンプレート:Color普通
- テンプレート:Color急行・テンプレート:Color区間急行