前田孫右衛門
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前田 孫右衛門(まえだ まごえもん、1818年8月29日(文政元年7月28日) - 1865年1月16日(元治元年12月19日))は、江戸時代末期(幕末)の長州藩士。諱は利済、字は致遠、通称は岩助、号は陸山。甲子殉難十一烈士の一人。
萩藩出身。藩校の明倫館で学び、長州藩の代官や奉行を歴任後、1862年に上京して直目付に就任して軍備の整備に当たるが、奉勅攘夷の為出奔。1863年の八月十八日の政変により直目付を罷免されるが、9月に表番頭格用談役に登用され、後に直目付に復職。1864年7月、山田亦介・天野謙吉らと共に東上するが京師の変の報を聞いて帰国し、伊藤俊輔と共に応接使となる。禁門の変の後、直目付を再び罷免され、謹慎処分に処される。その後野山獄に入れられ、楢崎弥八郎・松島剛蔵・毛利登人・山田亦介・大和弥八郎・渡辺内蔵太ら6人と共に処刑される。