新得町
テンプレート:Infobox 新得町(しんとくちょう)は、北海道十勝総合振興局管内の上川郡にある町。
町名の由来は、アイヌ語の「シットク・ナイ」(山の肩、端)から。また、アイヌ人が用いる酒造のための漆器を「シントコ」といい、これを作るための土地だったとも言われる。
目次
地理
十勝総合振興局西部の山間に位置し、南北に長い地形。十勝川最上流に位置する。町の大半は高山地帯で、北部は2,000 m級の山岳を多く有する森林地帯。町南部は丘陵地帯で、ソバ畑がひろがる。
南東部の平野中央に佐幌高台が南北に横たわり、西部に新得市街、東部に屈足市街、北部の山奥に富村牛地区がある。富村牛地区は、十勝ダムが沿線に存在する北海道道718号忠別清水線沿いのかなり山奥にある小集落であり、僻地5級指定の小中学校がある。
町面積は北海道内では足寄町、別海町、標茶町に次ぎ、全国の町村で4番目に広い。
北海道の断面一次モーメント上の重心に位置する。重心の位置は、[[[:テンプレート:座標URL]]43_28_2_N_142_49_40_E_ 北緯43度28分2秒東経142度49分40秒]。
- 山 : オプタテシケ山(2013 m)、佐幌岳(1059 m)、オダッシュ山(1097 m)、新得山(455 m)、十勝岳(2077 m)、トムラウシ山(2141 m)、ニペソツ山(2013 m)、美瑛富士(1888 m)、丸山(1692 m)
- 河川 : 佐幌川、十勝川
- 湖沼 : 東大雪湖(十勝ダム)、岩松湖(岩松ダム)、サホロ湖(佐幌ダム)、ヒサゴ沼
隣接している自治体
人口
歴史
中世まで
佐幌高台の東側斜面と十勝川沿いに縄文時代の遺跡が残る。ピタラウシ川と佐幌川が合流する付近にある新内チャシは、アイヌ文化期のもの。
近世
十勝地方の内陸であり、近世末期までその様子は知られていない。領地としては、松前藩領であったものの蝦夷地であり、藩の直接統治は及んでいなかった。
- 1799年2月20日(寛政11年1月16日) : 天領となる。
- 1804年 - 1818年(文化年間) : 文献に「とったらし」(=屈足)が初出[1]。
- 1821年12月30日(文政4年12月7日) : 再び松前藩領となる。
- 1832年 - 1834年(天保3年 - 5年) : 「シントグ」のコタンに2戸が居住[2]。
- 1855年4月8日(安政2年2月22日) : 再び天領となる。
- 1857年(安政4年) : クッタラシ(=屈足)8軒、男26人・女17人が居住[3]。
- 1858年(安政5年) : サツテキテ2戸11人、クッタラシ1戸4人、トミタヒラ2戸11人が居住[4]。
- 1859年(安政6年9月) : 仙台藩領となる。
近現代
- 1869年(明治2年) : 東蝦夷地のトカチ場所である町域は、十勝国上川郡に属し、静岡藩の支配を受ける。
- 1871年(明治4年) : 開拓使の直轄となる。
- 1872年(明治5年) : 浦河支庁の管轄となる。
- 1874年(明治7年) : 札幌本庁の管轄となる。
- 1879年(明治12年) : 浦河外十郡役所の管轄となる。
- 1882年(明治15年) : 札幌県に属する。
- 1886年(明治19年) : 北海道に属する。
- 1887年(明治20年) : 釧路外十一郡役所に属する。
- 1889年(明治22年) : 釧路外十郡役所に属する。
- 1897年(明治30年) : 河西外六郡役所に属した後、河西支庁に属する。
- 1898年(明治31年)10月 : 石狩道路が太平洋岸から落合まで開削される。
- 1899年(明治32年) : 山形県北村山郡高崎村(現東根市)から12戸がパンケシントク原野へ入植。
- 8月1日 : 新得地内の広内地区にパンケシントク駅逓所が設置され、以来行政の中心となる。
- 1900年(明治33年) : 芽室外6カ村戸長役場(現芽室町)が設置され、現在の新得町は芽室外6カ村戸長役場の管轄となる。福井県から10数戸が上佐幌原野へ入植。
- 1902年(明治35年) : 鹿児島県から60戸が屈足原野へ入植。1学級23人の新得簡易教育所が開設。
- 1903年(明治36年) : 芽室外6カ村戸長役場から人舞村(後の清水町)外一村戸長役場として分離・独立し、屈足村(後の新得町)は人舞村外一村戸長役場の管轄となる。
- 1907年(明治40年)9月8日 : 狩勝トンネルが開通し、官設鉄道(後の根室本線)の駅として新得駅・新内駅が開業。
- 1908年(明治41年) : 新得簡易教育所が尋常小学校となる。
- 1909年(明治42年) : 青森県から15戸がニュンナイ原野に入植。
- 1910年(明治43年)3月 : 松浦金平らが幕別村より岩松地区に入植。
- 1911年(明治44年) : 岩野伊平らが御影より岩松地区に入植。
- 1915年(大正4年)4月1日 : 人舞村外一村戸長役場から、屈足村(くったりむら)として分離・独立し、二級町村制を施行する。
- 1917年(大正6年) : 新得機関区および新得保線区が、落合から移転設置され、新得市街地が発展した。
- 1918年(大正7年) : 魚菜市場が置かれる。
- 1919年(大正8年) : 北海道亜麻工場が置かれる。
- 1920年(大正9年)6月26日 : 屈足村内に電話が開通する。
- 1921年(大正10年) : 大雪山系の木材輸送を目的に、新得 - 岩松間に馬車鉄道が敷設される。
- 5月1日 : 人舞村(現清水町)字下佐幌の一部100 haを編入する。
- 1923年(大正12年)4月1日 : 一級町村制を施行し、新得村へ改称する。人口は10,614人。
- 1927年(昭和2年)6月20日 : 狩勝峠が日本新八景に入選する。
- 1928年(昭和3年)12月15日 : 北海道拓殖鉄道の新得駅 - 鹿追駅間が開業。
- 1931年(昭和6年)11月 : 新得 - 南富良野間の道路(後の国道38号)が開削される。
- 1932年(昭和7年) : 十勝支庁管轄となる。人口は7,600人。
- 1933年(昭和8年)5月1日 : 町制施行し、新得町となる。
- 1937年(昭和12年)3月14日 : 佐幌岳で初の全十勝滑降スキー大会を開く。
- 1942年(昭和17年) : 岩松発電所が完成。
- 1948年(昭和23年)10月30日 : 北海道清水高等学校新得分校(定時制)(後の北海道新得高等学校)が設立される。
- 1951年(昭和26年) : 十勝川上流の木材輸送を目的に、清水営林署により森林鉄道が敷設される。
- 1955年(昭和30年) : 人口は15,525人。
- 1964年(昭和39年) : 森林鉄道が廃止される。
- 1966年(昭和41年)9月30日 : 新狩勝トンネルが開通[5]。新狩勝信号場、広内信号場、西新得信号場が開業。
- 10月1日 : 新内駅が廃止となる。
- 1968年(昭和43年)10月1日 : 北海道拓殖鉄道廃止。
- 1977年(昭和52年)10月28日 : 十勝川源流部が、環境庁から原生自然環境保全地域に指定される。
- 1981年(昭和56年)10月1日 : 石勝線が開通。
- 1984年(昭和59年)9月17日 : 佐幌ダムが完成。
- 1987年(昭和62年)12月4日 : クラブメッドサホロがオープン。
経済
産業
開拓当初は、ダイズ、ソバ、エンバク、エンドウ、手亡を中心に作られた。明治時代末期には、水田が試作された。
1923年(大正12年)に国有種牡牛馬屈足種付所が設置され、1925年(大正14年)には綿羊飼育組合が結成された。第一次世界大戦後の豆景気が去った後は、離農者が相次いだ。1956年(昭和31年)に集約酪農地域の指定を受け、畑作から酪農への急激な転換が進んだ。
明治時代末期から新内や十勝川上流の森林伐採が行われ、大正時代初期には、製材工場が置かれ、1951年(昭和26年)に十勝川上流の木材輸送を目的に、清水営林署により森林鉄道が敷設され、1954年(昭和29年)に清水営林署から新得営林署が分離独立した。しかし、トラック輸送におされ1964年(昭和39年)に森林鉄道が廃止。昭和40年代頃までは林業でも有名な町だったが、その後の輸入木材による林業不振によって林業は現在は衰退している。
近年は観光の町へと脱皮をはかり、夏季は自然学校の開催を行い、冬季はサホロリゾートなどにスキーヤーが多く訪れる。
また北海道立総合研究機構農業研究本部畜産試験場(旧・北海道立畜産試験場)や北海道立林業試験場道東支場が設置されている。
立地企業
農協
- 新得町農業協同組合(JA新得町)
郵便局
- 新得郵便局(集配局)
- 屈足郵便局(集配局)
宅配便
公共機関
警察
姉妹都市・提携都市
国内
教育
- 高等学校
- 北海道新得高等学校(道立)
- 中学校
- 屈足、新得、富村牛(小中併置)
- 小学校
- 屈足南、新得、富村牛(小中併置)
- 閉校された学校
- 佐幌小学校 2007年3月閉校
- 屈足小学校 2004年3月閉校
- 上佐幌小学校 2004年3月閉校
交通
空港
鉄道
バス
道路
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
1927年(昭和2年)、日本新八景に狩勝峠が入選、1929年(昭和4年)十勝毎日新聞社主催の十勝名所に、新得山からの展望美が入選し、観光地として注目を浴びるようになった。
レジャー
- サホロリゾートスキー場
- サホロカントリークラブ
- サホロリゾート ベア・マウンテン(ヒグマが見られる)
観光
- サホロリゾート
- クラブメッドサホロ
- 大雪山国立公園、特別天然記念物大雪山
- 狩勝峠
- 狩勝高原展望台
- 旧狩勝線(根室本線の旧線):新内駅
- 新得そば
- オソウシ温泉
- 屈足温泉
- 新得温泉
- トムラウシ温泉
- トムラ登山学校
- ヌプントムラウシ温泉
- 噴泉塔
祭り
- そばの里まつり(7月下旬、新得そばの里公園)
- Shintoku空想の森映画祭(9月中旬、新内(にいない)ホール)
- しんとく新そば祭り(9月下旬、新得町保健福祉センターなごみ駐車場)
- 大雪まつり(10月上旬、屈足公園)
その他
- テレビドラマ『北の国から'98時代』において黒板五郎の長女“蛍”が富良野に住む五郎の長男“純”のもとへ金を借りに来、その後根室の落石に住む不倫相手の医者の元へ行く為に釧路行きの夜行列車「おおぞら号に乗るために“純”に車で送ってもらったのが夜半の新得駅であった。
- 現在根室本線と石勝線が乗り入れる(二つの線は狩勝峠の下、新狩勝トンネル内で合流している)新得駅だが、石勝線が計画された当初はこの線は新得町を通らず、国道274号と同じように清水町から十勝に入る予定であった。それを地元の運動によって新得町に合流するように変更し、多くの観光客を呼び込むことに成功している。そのため、石勝線の新狩勝トンネルから新得駅までの間は標高差を解消するためS字状のカーブが連続し、広大な農業試験場の敷地内にトンネル、陸橋、土盛り部分などが続く状態になっている。1994年にはこの土手の上を走る特急列車が強風に煽られて脱線する事故も起きている。
- フロアカーリング(新得町発祥のスポーツ)
- 新得町総合体育館(サホロアリーナ)
- バッタ塚
出身有名人
- 及川光悦(指揮者)
- 菊地敬一(ヴィレッジヴァンガード社長)
脚注
参考文献
- 新得町百年史編さん委員会『新得町百年史』新得町役場、2000年