1954 FIFAワールドカップ
テンプレート:国際サッカー大会情報ボックス 1954 FIFAワールドカップ スイス大会(テンプレート:Lang-en-short)は、1954年6月16日から7月4日にかけて、スイスで開催された第5回目のFIFAワールドカップである。
目次
予選大会
出場国
出場選手は1954 FIFAワールドカップ参加チームを参照。
大陸連盟 | 出場 枠数 |
予選大会 | 組 予選順位 |
出場国・地域 | 出場回数 | |
---|---|---|---|---|---|---|
UEFA/CAF | 1+11 | 開催国 | テンプレート:SUIf | 4大会連続4回目 | ||
欧州予選 | 1組 | 1位 | テンプレート:FRGf | 2大会ぶり3回目[1] | ||
2組 | 1位 | テンプレート:BELf | 2大会ぶり4回目 | |||
3組 | 1位 | テンプレート:ENGf | 2大会連続2回目 | |||
2位 | テンプレート:SCOf | 初出場 | ||||
4組 | 1位 | テンプレート:FRAf | 2大会ぶり4回目 | |||
5組 | 1位 | テンプレート:AUTf | 3大会ぶり2回目 | |||
6組 | 1位 | テンプレート:TURf | 初出場 | |||
7組 | 1位 | テンプレート:HUN1949f | 2大会ぶり3回目 | |||
8組 | 1位 | テンプレート:TCHf | 2大会ぶり3回目 | |||
9組 | 1位 | テンプレート:ITAf | 4大会連続4回目 | |||
10組 | 1位 | テンプレート:YUGf | 2大会連続3回目 | |||
CONMEBOL | 1+1 | 前回優勝国 | テンプレート:URUf | 2大会連続3回目 | ||
南米予選 | 11組 | 1位 | テンプレート:BRA1889f | 5大会連続5回目 | ||
CONCACAF | 1 | 北中米カリブ海予選 | 12組 | 1位 | テンプレート:MEX1934f | 2大会連続3回目 |
AFC | 1 | アジア予選 | 13組 | 1位 | テンプレート:KORf | 初出場 |
本大会
概要
FIFA創立50周年であったため、大会は本部のあるスイスで行われることとなった。スイスは第二次世界大戦で中立を保ち、戦災を免れたため、スタジアムなどの施設・環境整備が容易という理由もあった[2]。大会史上初めてテレビ中継されることになり、記念コインが初めて発行された。また、第二次世界大戦後に会費未納などで除名されていたドイツサッカー連盟(DFB)がドイツ連邦共和国(西ドイツ)の協会として復帰し[3]、日本蹴球協会の再加盟が認められ、この大会で初めて予選に参加した日本とともに国際サッカー界に復帰し、予選を突破した。
グループリーグに初めてシード制が導入され、シードされた2チームはグループリーグでの対戦は組まれなかった。16チームが各地区予選を突破して選ばれ、4チームずつ4つのグループに分けられた。各グループの上位2チームは準々決勝に進出することになっていたが、2位と3位の勝点が同一の場合は、進出をかけて再試合(順位決定戦)が組まれることになっていた。全体としてはシード国優位でリーグが進んだが、ノーシードだったスイスはイタリアを、西ドイツはトルコをそれぞれ破り、同じカードで行われた順位決定戦でも、スイスが4対1でイタリアを下し、西ドイツがトルコを7対2で下し、ベスト8に進出した。
またこの大会では韓国がアジアの独立国として初めて出場したが[4]、ハンガリーに0対9で、トルコにも0対7で敗れ、大惨敗であった。
準々決勝は各組の1位と2位によるオープンドローで行われ、ハンガリーがブラジルを4対2で下したが、両チームを合わせて3人が退場となり、試合終了後も喧嘩になるなど、「ベルンの戦い」と後に呼ばれるほど醜い試合であった。前回優勝国のウルグアイはイングランドを4対2で下し、西ドイツはユーゴスラビアを2対0で下した。オーストリア対スイス戦は点の取り合いになり、ワールドカップ史上最多ゴールとなる7対5でオーストリアが勝利した。
準決勝で西ドイツがオーストリアを6対1で下したが、最も重要な試合はハンガリー対ウルグアイであった。ここまでワールドカップで無敗のウルグアイは後半開始1分の時点でハンガリーに2対0とリードされていたが、そこから2対2に追いつき、延長戦に持ち込んだ。しかし、延長ではコチシュ・シャーンドルに2点を挙げられ、ウルグアイはハンガリーにワールドカップにおける初の敗北を喫した。ウルグアイは3位決定戦でもオーストリアに敗れ、4位で大会を終えた。
決勝の舞台はバンクドルフ・スタジアムであり、6万人の観衆が西ドイツ対ハンガリー戦を見るために集まった。2チームはグループリーグでも同じ組であり、この試合はハンガリーが8対3で勝利していた。ハンガリーの中心選手、プスカシュ・フェレンツは怪我を押して出場し、開始6分で先制点を挙げた。2分後にチボル・ゾルターンが点を加え、この時点で国際試合で4年間無敗のハンガリーが、優位に試合を進めていた。
しかし、前半終了前に西ドイツはマックス・モーロックとヘルムート・ラーンの得点で追いつき、後半は西ドイツが優勢となった。ラーンが2点目を決めて西ドイツが3対2でリードし、残り時間2分でプスカシュが決めたシュートはオフサイドのため取り消され、西ドイツが史上3カ国目の初優勝を遂げた。テンプレート:要出典
ハンガリー代表のコチシュはこの大会で11得点を決め、これまでの記録を3つ更新し、得点王となった。
結果
グループリーグ
グループ 1
順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | テンプレート:BRA1889f | 3 | 2 | 1 | 1 | 0 | 6 | 1 | +5 |
2 | テンプレート:YUGf | 3 | 2 | 1 | 1 | 0 | 2 | 1 | +1 |
3 | テンプレート:FRAf | 2 | 2 | 1 | 0 | 1 | 3 | 3 | 0 |
4 | テンプレート:MEX1934f | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 2 | 8 | -6 |
グループ 2
順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | テンプレート:HUN1949f | 4 | 2 | 2 | 0 | 0 | 17 | 3 | +14 |
2 | テンプレート:FRGf | 2 | 2 | 1 | 0 | 1 | 7 | 9 | -2 |
3 | テンプレート:TURf | 2 | 2 | 1 | 0 | 1 | 8 | 4 | +4 |
4 | テンプレート:KORf | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 16 | -16 |
プレーオフ
グループ 3
順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | テンプレート:URUf | 4 | 2 | 2 | 0 | 0 | 9 | 0 | +9 |
2 | テンプレート:AUTf | 4 | 2 | 2 | 0 | 0 | 6 | 0 | +6 |
3 | テンプレート:TCHf | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 7 | -7 |
4 | テンプレート:SCOf | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 8 | -8 |
グループ 4
順 位 |
チーム | 勝 点 |
試 合 |
勝 利 |
引 分 |
敗 戦 |
得 点 |
失 点 |
点 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | テンプレート:ENGf | 3 | 2 | 1 | 1 | 0 | 6 | 4 | +2 |
2 | テンプレート:SUIf | 2 | 2 | 1 | 0 | 1 | 2 | 3 | -1 |
3 | テンプレート:ITAf | 2 | 2 | 1 | 0 | 1 | 5 | 3 | +2 |
4 | テンプレート:BELf | 1 | 2 | 0 | 1 | 1 | 5 | 8 | -3 |
プレーオフ
決勝トーナメント
準々決勝
準決勝
3位決定戦
決勝
優勝国
得点ランキング
ベストイレブン
脚注
関連項目
- ワールドカップ・スイス大会決勝戦に於ける西ドイツ代表チームの歴史的勝利を基軸に、戦争により引き裂かれた家族の再生をテーマとした2003年制作のドイツ映画。