モーリス・ルブラン

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:Infobox 作家 モーリス・マリー・エミール・ルブランテンプレート:Lang-fr, 1864年12月11日[1] - 1941年11月6日)は、フランス小説家

怪盗紳士「アルセーヌ・ルパン」の生みの親として知られる。ルブランの「ルパン」は、しばしばイギリスの作家アーサー・コナン・ドイルの生んだ「シャーロック・ホームズ」と対比される。

経歴・人物

フランスノルマンディーの地方都市ルーアンで生まれる。地元のコルネイユ高等学校(Lycée Corneille, Lycée Pierre-Corneille)卒業。数ヵ国で学び、ロースクールを落第後、フローベールモーパッサンらに影響されてパリに引っ越し、純文学作家になる。ルブランの作品は文壇で多少の評価を得たものの収入には結びつかず、40歳を過ぎるまで、うだつの上がらない貧乏作家生活が続く。しかし友人の編集者ピエール・ラフィットに、大衆小説の執筆を依頼されたことから転機が訪れる。

通俗作家への転向に気が進まないながら、金に困っていたルブランは知恵を絞り、当時ヒットしていたシャーロック・ホームズ物のアンチヒーローとして、軽妙で魅惑的な「泥棒紳士」のアルセーヌ・ルパンを創造した。1905年に発表した第一作の短編「アルセーヌ・ルパンの逮捕」が評判を博し、売り上げも上々であったため、以後ルブランは次々とルパンものを書き続け、結果的に作家人生のほとんどをルパンシリーズへ注ぎ込んだ。ルパンは大成功を収め、ルブランに名声と経済的成功をもたらした。

コナン・ドイルはホームズシリーズの成功に対してむしろ困惑し、犯罪小説で成功することを、より「尊敬に値する」文学的情熱から遠ざけるもので、生活を妨害されているようでさえあると感じていたともいわれている。同様にルブランも、もともと純文学・心理小説作家を志していた事もあり、犯罪小説探偵小説であるルパンシリーズで名声を博する事に忸怩たるものがあったといわれる。ドイルがホームズをライヘンバッハの滝に落としたのと同様、ルブランもルパンを一度自殺させている(『813』)。「ルパンが私の影なのではなく、私がルパンの影なのだ」という言葉などにも、その苦悩の跡が見られる。ただ晩年、「ルパンとの出会いは事故のようなものだった。しかし、それは幸運な事故だったのかも知れない」との言葉を残し、その自分の経歴も受け入れられるようになったとも見られている。なお、探偵もの以外の娯楽小説では、SFに分類される『三つの眼』(ファーストコンタクト・テーマ)、『ノー・マンズ・ランド』がある。

ルブランは文学への貢献(直接の理由は「国民的英雄・ルパン」の創造)によってレジオンドヌール勲章を授与され、1941年にペルピニャンで亡くなった。死因の一つは肺うっ血。妹ジョルジェットの死を息子のクロードから伝えられたが、その時にはもう意識が無くなっていた[2]。亡くなる数週間前に、「ルパンが私の周りに出没して何かと邪魔をする」という趣旨の被害届を警察署に出し、そのため警察官が24時間体制で警備し、最期の日々の平穏を守った。

クロード・モネの絵で有名な大西洋岸の町エトルタには、彼の住居を基にしたモーリス・ルブラン記念館、通称「アルセーヌ・ルパンの隠れ家」がある。またモネの絵の題材にもなった有名なエトルタの岸壁は、その頂上に登ると崖の内部に潜れるようになっており、『奇巌城』に登場する暗号がそのまま金属プレートで掲示されている。

伝記ではないが、日本で隆巴が書き下ろした戯曲『ルパン』は劇中劇のルパンと往還する形でルブランの苦悩を描いた作品であり、初演は仲代達矢がルブラン、ルパンの二役を演じた。

お金に細かい所があり、経済的に不自由が無くなっても、出版社に鉄道の割引券(permis de circulation)を無心して、南仏などへの旅行に利用していた[3]

主な作品

アルセーヌ・ルパンシリーズ

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その他の小説

  • Les Trois Yeux 『三つの眼』『三つの目』(1920年)
  • Le Formidable Événement 『驚天動地』『ノー・マンズ・ランド』(1921年)
  • Le Cercle rouge 『赤い輪』(1922年)
  • Dorothée, Danseuse de Corde女探偵ドロテ』『綱渡りのドロテ』(1923年)
  • La Vie extravagante de Balthazar 『バルタザールの風変わりな毎日』『バルタザールのとっぴな生活』(1925年)
  • Le Prince de Jérichoジェリコ公爵』(1930年)
  • De minuit à sept heures 『真夜中から七時まで』(1932年)
  • Le Chapelet rouge赤い数珠』(1934年)(新聞『ラ・ヴォロンテ』連載時の題はLa Clés mystérieuses『謎の鍵』。後に『カリオストロの復讐』に登場するルスラン判事が謎を解く)

脚注

  1. 出生証明書に次のように記載されている。「1864年12月12日午後3時、モーリス・マリー・エミール・ルブランの出生証明。性別男。昨日午前4時に出生。」なお、11月11日とする資料もある。
  2. Derouard, Jacques. Maurice Leblanc –Arsène Lupin malgré lui–. Séguier, 1993. p.312
  3. Derouard, Jacques. Maurice Leblanc –Arsène Lupin malgré lui–. Séguier, 1993. p.302 他

関連項目

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外部リンク