藤井寺駅
テンプレート:出典の明記 テンプレート:駅情報 藤井寺駅(ふじいでらえき)は、大阪府藤井寺市岡二丁目にある、近畿日本鉄道(近鉄)南大阪線の駅。
藤井寺市の代表駅であり、かつては、往年のプロ野球球団・近鉄バファローズの本拠地・近鉄藤井寺球場の最寄り駅でもあった(プロ野球開催日は急行が臨時停車していた)。その藤井寺球場は2005年(平成17年)1月末に閉鎖、2006年(平成18年)8月に解体された。
駅構造
改札口は1ヶ所のみ。自動改札機は、オムロン製が設置されている。赤い自動改札機(U-PG)は、出場時2枚一括処理、PiTaPa・ICOCA対応。
- のりば
1・2 | テンプレート:Color南大阪線(下り) | 古市・橿原神宮前・吉野・河内長野方面 |
---|---|---|
3・4 | テンプレート:Color南大阪線(上り) | 大阪阿部野橋行き |
内側2線(2番線と3番線)が主本線、外側2線(1番線と4番線)が待避線である。
- Fujiidera st02 960.jpg
コンコース
引上線の配置による問題
当駅折返し列車の引上線は、1番線の大阪阿部野橋寄りに設置されており、列車は1番線到着後に方向転換をして引上線に入り、さらに方向を変えて3番線に入線、もう一度方向転換して発車する操車となっている。引上線から4番線へは線路の構造上入線できないため、3番線に始発列車が停車している場合には、特急や急行などの通過列車は待避線である4番線を通過することになる。4番線の制限速度は東側が35km/h、西側が45km/hと低速で走行しなければならず、通過列車の所要時間が伸びる要因となっている。しかし、現在の南大阪線の上りダイヤは日中以降特急・急行が藤井寺駅を通過した直後に普通が発車するダイヤが組まれており(河内松原駅で準急と普通との緩急接続を行うためにこのダイヤパターンが崩せない状況にある)、上り通過列車が4番線を徐行して通過することが多い現状にある[1]。
日中に運転される普通列車のうち、1時間に1 - 2本の割合で古市駅まで運転している。この場合、普通列車は1・4番線に入線して通過待ちをする。藤井寺~古市間で準急が普通の役割を果たしているにも関わらず 古市まで運転する普通列車が一部組み込まれているのは、車両運用上のため古市車庫へ入出庫するためであり、上り特急が藤井寺駅で本線側を通過できるように時間を合わせて運行されている。なお、夕方以降は車両運用の都合で古市まで運転できないため、ほぼ全ての特急・急行が4番線を通過する(急行は日中も4番線を通過)。
また、引上線とホームの間に踏切があるが、頻繁に運転されるダイヤの上に折り返し列車が往復するため、日中でも数分間遮断機が下りたままの状態となる場合がほぼ10分間隔で起こり、通行人が多い踏切の前が踏切待ちの通行人で溢れる光景が見かけられる。
特徴
- 普通列車の大半がこの駅で折り返す(昼間時は一部古市駅まで運用している)。そのため、準急はこの駅を境に古市方面は各駅に停車する。
- 南口の入口部分の屋根側面は、かつては当時の近鉄バファローズのイメージカラーである、赤・白・青で塗り分けられていた。しかし現在は、紫色(藤色)と灰色のツートンカラーに塗り替えられている。また、ホームの屋根を支える柱にもバファローズのイメージカラーが塗られている箇所があったが、それも現在はマルーンレッドと白のツートンに塗り替えられている(近鉄の一般車両(シリーズ21を除く)の配色に準ずる)。
- 前述の通り、藤井寺球場でのプロ野球開催時には急行が臨時停車していた。現在では、近くの私立学校での入試開催日の朝のみ急行が臨時停車することがある。
- 定期券・特急券は、専用の自動発売機で購入が即刻可能。
- なお手売りの駅窓口でも定期券・特急券の購入が可能だが、2009年(平成21年)1月16日より営業時間が縮小され、現在は朝夕のみの販売となっている(午前7時から9時までと、午後5時から7時まで。かつては時間制限が設けられていなかった)。またこれと同時に特急券は専用の自動券売機のみでの発売となっている。
- 2009年(平成21年)春頃より、車内アナウンスで、当駅到着時に「四天王寺大学へお越しの方はこの駅でお降りください」とアナウンスされるようになったが、当駅に河内天美駅(阪南大学前)や長瀬駅(近畿大学前)のような副駅名は付いていない。
- 駅長が置かれ、南大阪線の布忍駅 - 道明寺駅間と、道明寺線の各駅を管理している[2]。
利用状況
2012年11月13日の1日乗降人員は36,917人である[3]。南大阪線の駅では大阪阿部野橋駅に次ぐ第2位で、単独駅では最も多い。
近年の特定日における1日乗降・乗車人員数は下表のとおりである。
年度 | 調査日 | 乗降人員 | 乗車人員 | 出典 |
---|---|---|---|---|
2000年(平成12年) | 43,719 | 21,799 | [4] | |
2001年(平成13年) | - | - | - | |
2002年(平成14年) | - | - | - | |
2003年(平成15年) | 39,135 | 14,876 | [5] | |
2004年(平成16年) | - | - | - | |
2005年(平成17年) | 11月テンプレート:08日 | 39,555 | 19,926 | [6] |
2006年(平成18年) | - | - | - | |
2007年(平成19年) | - | - | - | |
2008年(平成20年) | 11月18日 | 40,354 | 20,193 | [7] |
2009年(平成21年) | - | - | - | |
2010年(平成22年) | 11月テンプレート:09日 | 38,075 | 19,187 | [8] |
2011年(平成23年) | - | - | - | |
2012年(平成24年) | 11月13日 | 36,917 | 18,530 | [9] |
藤井寺市の人口そのものは1990年以降ほぼ横ばいであるにも関わらず当駅の利用客が減少しているのは、団塊の世代の定年退職等により通勤需要が減っているものと推測される。しかし、藤井寺球場撤退後に学校が進出したことから通学需要は旺盛であり、午前8時頃は当駅で下車する学生と当駅より大阪方面へ通勤する利用客が交錯し、改札口は非常に混雑する。これは、学校が概ね8時30分頃に始まるため通学する生徒と、8時台終盤から9時頃に大阪市内の勤務先で始業する通勤客とが8時頃にバッティングするためである。
駅周辺
駅前は北口はロータリーが整備されている。南口は道が狭くロータリーがない。商店は駅の南北に広がっている。また、古墳など史跡も多数見られる。南側は、1920年代に当時の大阪鉄道が「藤井寺経営地」として開発した住宅街で、現存しない藤井寺球場や藤井寺教材園も宅地開発の一環として建設されたものであった。また北口のロータリーの辺りは当初池であったものを、駅橋上化と同時期に埋め立てて作ったものである。
- sol'ya(ソリヤ) 近鉄所有の商業施設【トイザらス、TSUTAYA、COSPA、ジェイコムショップ他多数の飲食店を含む】
- イオンモール藤井寺
- ジャンボカラオケ広場
- 上新電機
- 藤井寺市役所
- 藤井寺駅前郵便局
- 葛井寺 (西国三十三所第5番)
- 辛国神社 (大阪みどりの100選)
- 小山善光寺 (長野の善光寺の元祖)
- アイセルシュラホール
- 藤井寺市立藤井寺小学校
- 藤井寺市立藤井寺西小学校
- 藤井寺市立藤井寺中学校
- 大阪女子短期大学・高等学校
- 大阪府立藤井寺工科高等学校
- 四天王寺学園小学校(旧藤井寺球場跡地)
- 四天王寺学園中学校・高等学校
- 春日丘団地
バス
近鉄バスが運行
南口発(近鉄バス松原営業所羽曳野線の追記も参照のこと)
1・2番のりば(駅舎側)は藤ヶ丘・野中経由(系統番号70番台)、3番のりば(駅向かい側)は野々上経由(系統番号60番台)。いずれも羽曳野線を名乗る。バスは駅前で折り返すことができず、西側(野々上方向)から来たバスは全て東側(藤ヶ丘方向)に通り抜けることになる(逆方向も同様)。なお、藤井寺駅へ向かうバスは古市駅前発を除き、野中経由が70番、野々上経由が60番に統一される。
- 1番のりば
- 71番 四天王寺大学 行(藤ヶ丘・野中経由)
- 78番 四天王寺大学 行(藤ヶ丘・野々上経由)
- 2番のりば
- 3番のりば
- 61番 四天王寺大学 行(野々上・羽曳山住宅前経由)
- 62番 羽曳ヶ丘 方面循環(野々上経由、羽曳ヶ丘八丁目→西三丁目回り)
- 63番 羽曳ヶ丘西三丁目 止(野々上・羽曳ヶ丘西二経由)
- 64番 古市駅前 行(野々上・軽里三経由)
- 65番 羽曳ヶ丘 方面循環(野々上経由、羽曳ヶ丘西三丁目→八丁目回り)
- 66番 羽曳ヶ丘西二丁目東 止(野々上・羽曳ヶ丘八丁目経由)
- 83番 学園前五丁目 行(野々上・羽曳山住宅前・桃山台二丁目経由)
北口発
八尾線が発着する。また、藤井寺市公共施設循環バス(市の自家用バスで運行、近鉄バスが受託)も発着。
なお、70・71番は南口発着の路線と系統番号が重複するが、無関係である。また、北口からはかつて堺東駅 - 国分駅前を結ぶ堺線も発着していた。
- 横浜駅西口・東京駅八重洲通り・東北急行バス東京営業所 行「フライングライナー号」(東北急行バスと共同運行)
歴史
- 1922年(大正11年)4月18日 - 大阪鉄道の布忍 - 道明寺間延伸時に開業。
- 1943年(昭和18年)2月1日 - 関西急行鉄道が大阪鉄道を合併。関西急行鉄道天王寺線の駅となる。
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 戦時統合により関西急行鉄道が南海鉄道(現在の南海電気鉄道の前身。後に再独立)と合併。近畿日本鉄道南大阪線の駅となる。
- 1974年(昭和49年)11月28日 - 橋上駅舎化(南北に通り抜け可能となる)。橋上化以前は南北に駅舎があり、ホームへは構内地下通路を通っていた。
- 2007年(平成19年)4月1日 - PiTaPa使用開始。
隣の駅
- 近畿日本鉄道
- 南大阪線
- テンプレート:Color急行・テンプレート:Color区間急行
- 通過(ただし、周辺の学校での入学試験実施日に臨時に急行が停車することがある)
- テンプレート:Color準急(当駅から土師ノ里方の各駅に停車)
- テンプレート:Color普通
- 高鷲駅 - 藤井寺駅 - 土師ノ里駅
- テンプレート:Color急行・テンプレート:Color区間急行
その他
当駅のソラリーには「準急」「普通」の他に、「快速急行」「急行」「臨時急行」「区間急行」「臨時区間急行」の表示が入っている。
脚注
- ↑ ただし駅のすぐ東側に制限速度70km/hの急カーブが存在するため、本線側を通過したとしても速達効果は限定される。
- ↑ 『HAND BOOK 2010』、近畿日本鉄道総合企画部編、2010年9月
- ↑ 近畿日本鉄道|駅別乗降人員 南大阪線 吉野線
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