一世風靡セピア
テンプレート:Infobox Musician 一世風靡セピア(いっせいふうびセピア)は、1980年代に活躍した男性路上パフォーマンス集団・劇男一世風靡から派生したユニット。
目次
メンバー
解散時メンバー
- 小木茂光(おぎ しげみつ、1961年11月28日 - ):リーダー
- 哀川翔(あいかわ しょう、1961年5月24日 - )
- 柳葉敏郎(やなぎば としろう、1961年1月3日 - )
- 西村香景(にしむら かけい、1961年7月14日 - )
- 春海四方(はるみ しほう、1959年3月22日 - )
- 松村冬風(まつむら ふゆかぜ、1961年7月5日 - )
旧メンバー
概要
劇男一世風靡の中で、上の者が「歌やりたいヤツ手挙げろ」とレコード発売などの活動をしたい者を募ったところ、手を挙げたのがこの7名で、そのまま一世風靡セピアとして結成された。「SHIBUYA」のツアーパンフレットにあった柳葉のコメントによると「それぞれの色を持った奴らを混ぜ合わせたらどんな色になるだろう」というのがセピアの由来のひとつだったとしている。
1984年4月25日、「今、我に正直に生きてみたい」でポスターデビュー(2万枚限定)し、その後音楽活動を開始。「前略、道の上より」や「汚れちまった悲しみに」などのヒット曲を出したが、1989年に解散。メンバーは卒団や消滅という言葉を使った。
「夜のヒットスタジオ」の初出演が決まった際は、「階段からメンバーが降りてくるような特別待遇にしろ」との希望が通ったため、「NHK紅白歌合戦」のオファーがNHKから届いた際にも、「劇男一世風靡として寸劇を披露している渋谷のNHK前広場からの生中継にしろ」との希望を出したが、あっさり制作側から拒否されたという話を、哀川翔が自著「俺、不良品」の中で書いている。メンバー内でも出るか出ないかで話し合ったが、出たい者が3人に対し、出たくない者が4人だったため結果的に出なかった。哀川は「あんとき、出ときゃ良かった」と語っている。1984年の『ゆく年くる年(民放共同版)』には出演した。
よく中野英雄や勝俣州和がこのグループのメンバーだと紹介されることがあるが、彼らはセピアの母体の『劇男一世風靡』のメンバーであり、セピアの付き人ではあるもののメンバーではない。
2004年「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」(フジテレビ)にて、約15年ぶりにメンバー7人が揃った。
ディスコグラフィ
シングル
- 前略、道の上より(1984年6月25日)
- 道からの組曲(1984年10月25日)
- 賽を振れ!(1985年3月26日)
- 風の唄(1985年7月25日)
- 花鳥風月(1987年1月1日)
- 善い酔い嘉い(1987年4月8日)
- 我が愛しき犯罪者たち(1987年8月10日)
- 夢色一つ飛び!(1987年10月28日)
- 汚れちまった悲しみに…(フジテレビ「魁!!男塾」主題歌)(1988年3月10日)
- こっちから願い下げだぜ!~OVER THE END~(1989年1月1日)
- SHIBUYA(1989年1月1日)
オリジナルアルバム
- 道が俺達の背を押した。
- 道に落ちていた男
- 街よ、崩れるように笑いなさい
- 花鳥風月
- 遊学人
- SHIBUYA
ベストアルバム
- 道で生まれた唄
- ベストセレクション
- THE BEST20
- SINGLES
- ゴールデン☆ベスト
ライブアルバム
- SEPIA FINAL
VHS
- 現在(いま)が好きです
- セピア ファンタム
- ラ・ボラトワール
- NICE GAME
ザ・パフォーマンス
- SEPIA FINAL
DVD
- セピア ファンタム+現在(いま)が好きです
- SEPIA FINAL
書籍
- 一世風靡流図録 道が俺達の背を押した (1984年)
- 祭 (1985年3月)
- 寓話 (1985年7月)
出演
個人の出演歴については、それぞれの項目を参照。
テレビ番組
ラジオ番組
- 前略、一世風靡セピア(ニッポン放送)
CM
- LoveIII(SUZUKI)
関連項目
- 石井聰亙 - 「前略、道の上より」のプロモーションビデオ監督