喜多郡
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喜多郡(きたぐん)は、愛媛県(伊予国)の郡。テンプレート:郡データ換算
以下の1町を含む。
- 内子町(うちこちょう)
名称の由来
郡名は『日本三代実録』を初見とする。宇和郡の北部という意味の「きた」に「喜多」を当てたものと推察されている。古くは「岐多」「北」とも書かれる。
歴史
- 866年(貞観8年)11月8日、宇和郡北部が分立し、喜多郡成立。
- 1878年(明治11年)7月22日 - 郡区町村編制法施行により、改めて発足。(4町71村1島)
- 1879年(明治12年)1月 - 大洲町(おおずまち、現大洲市)に郡役所を設置。
- 1882年(明治15年) - 下浮穴郡境村(さかいむら)を田処村(たどころむら)に編入。
- 1889年(明治22年)12月15日 - 町村制施行により以下の町村が成立。
- 大洲町(おおずちょう) - 大洲町(おおずまち)、柚木村(ゆのきむら)の一部が合併。郡役所設置
- 長浜町(ながはまちょう) - 長浜町(ながはまちょう)、青島(あおしま)、上老松村(じょろうまつむら)の一部が合併
- 内子町(うちこちょう) - 内子村(うちこむら)、知清村(ちせいむら)が合併
- 喜多村(きたむら) - 常盤町(ときわまち)、中村(なかむら)、若宮村(わかみやむら)、五郎村(ごろうむら)が合併
- 新谷村(にいやむら) - 新谷町(にいやまち)、新谷村(にいやむら)が合併
- 南久米村(みなみくめむら) - 北只村(きたただむら)、松尾村(まつおむら)、梅川村(うめがわむら)、長谷村(ながたにむら)、久保村(くぼむら)、正信村(まさのぶむら)、稲積村(いなづみむら)、野佐来村(やさらいむら)、黒木村(くろぎむら)、柚木村(ゆのきむら)の一部が合併
- 久米村(くめむら) - 阿蔵村(あぞうむら)、大洲村(おおずむら)、高山村(たかやまむら)が合併
- 平村(たいらむら) - 田口村(たぐちむら)、市木村(いちきむら)、徳森村(とくのもりむら)が合併
- 粟津村(あわづむら) - 八多喜村(はたきむら)、米津村(よなづむら)、手成村(てなるむら)が合併
- 三善村(みよしむら) - 春賀村(はるかむら)、多田村(ただむら)、東宇山村(ひがしうやまむら)が合併
- 上須戒村(かみすがいむら)
- 菅田村(すげたむら) - 菅田村(すげたむら)、大竹村(おおだけむら)、宇津村(うづむら)が合併
- 喜多山村(きたやまむら) - 喜多山村(きたやまむら)、恋木村(こいのきむら)が合併
- 柳沢村(やなぎさわむら)
- 田処村(たどころむら)
- 大成村(おおなるむら) - 成能村(なるのむら)、森山村(もりやまむら)が合併
- 蔵川村(くらかわむら)
- 山鳥坂村(やまとさかむら)
- 奥南村(おくなむら) - 川崎村(かわさきむら)、宮谷村(みやたにむら)、植松村(うえまつむら)、橡谷村(とちだにむら)、中津村(なかつむら)、横山村(よこやまむら)が合併
- 大谷村(おおたにむら)
- 宇和川村(うわがわむら) - 宇和川村(うわがわむら)、名荷谷村(みょうがだにむら)、中居谷村(なかいだにむら)が合併
- 喜多灘村(きたなだむら) - 今坊村(こんぼうむら)、黒田村(くろのだむら)が合併
- 櫛生村(くしゅうむら)
- 出海村(いずみむら)
- 豊茂村(とよしげむら)
- 相生村(あいおいむら) - 穂積村(ほづみむら)、下須戒村(しもすがいむら)の一部、上老松村(じょろうまつむら)の一部が合併
- 柴村(しばむら) - 柴村(しばむら)、下須戒村(しもすがいむら)の一部が合併
- 滝川村(たきがわむら) - 戒川村(かいのかわむら)、加屋村(かやむら)、大越村(おおこしむら)が合併
- 満穂村(みつほむら) - 袋口村(ふろくむら)、論田村(ろんでんむら)、河内村(かわのうちむら)が合併
- 立川村(たつかわむら) - 立山村(たちやまむら)、河中村(かわなかむら)が合併
- 五城村(ごじょうむら) - 五百木村(いよきむら)、城廻村(しろまわりむら)が合併
- 大瀬村(おおせむら)
- 村前村(むらさきむら)
- 五十崎村(いかざきむら) - 古田村(ふるたむら)、大久喜村(おおぐきむら)が合併
- 天神村(てんじんむら) - 平岡村(ひらおかむら)、重松村(しげまつむら)、宿間村(しくまむら)、福岡村(ふくおかむら)が合併
- 御祓村(みそぎむら) - 北表村(きたおもてむら)、只海村(ただのうみむら)が合併
- 1899年(明治32年)2月 - 西宇和郡平野村が喜多郡へ移行、喜多郡平野村(ひらのむら)となる。(3町34村)
- 1908年(明治41年)4月1日 - 平村、喜多村が合併し、大洲村(おおずむら)となる。(3町33村)
- 1908年(明治41年)9月30日 - 伊予郡下灘村の一部(石畳)を満穂村に編入。
- 1909年(明治42年)4月1日 - 田処村を柳沢村に編入。(3町32村)
- 1909年(明治42年)4月1日 - 山鳥坂村、奥南村が合併し、河辺村(かわべむら)となる。(3町31村)
- 1920年(大正9年)5月21日 - 五十崎村が町制施行し、五十崎町(いかざきちょう)となる。(4町30村)
- 1921年(大正10年)11月1日 - 大成村、蔵川村が合併し、大川村(おおかわむら)となる。(4町29村)
- 1922年(大正11年)1月1日 - 柴村、滝川村が合併し、白滝村(しらたきむら)となる。(4町28村)
- 1922年(大正11年)4月1日 - 豊茂村、相生村が合併し、大和村(やまとむら)となる。(4町27村)
- 1922年(大正11年)4月1日 - 喜多山村を新谷村に編入。(4町26村)
- 1925年(大正14年)8月10日 - 南久米村の一部(亀山)を大洲町に編入。
- 1929年(昭和4年)12月26日 - 村前村を分割し、五城村,大瀬村,天神村に編入。(4町25村)
- 1934年(昭和9年)1月1日 - 久米村、大洲村を大洲町に編入。(4町23村)
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 河辺村、大谷村、宇和川村、上浮穴郡浮穴村の一部(北平、川上)が合併し、肱川村(ひじかわむら)となる。(4町21村)
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 肱川村の一部を大川村に編入。
- 1951年(昭和26年)1月1日 - 肱川村が肱川村、河辺村に分割される。(4町22村)
- 1954年(昭和29年)9月1日 - 平野村、粟津村、三善村、上須戒村、大洲町、南久米村、菅田村、新谷村、柳沢村、大川村が合併し、大洲市(おおずし)が発足、郡より離脱。(3町13村)
- 1954年(昭和29年)9月1日 - 天神村、御祓村、五十崎町が合併し、五十崎町となる。(3町11村)
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 喜多灘村、長浜町、櫛生村、出海村、大和村、白滝村が合併し、長浜町となる。(3町6村)
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 満穂村、立川村、内子町、五城村、大瀬村が合併し、内子町となる。(3町2村)
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 東宇和郡貝吹村の一部(西の一部)、東宇和郡横林村の一部(予子林の一部)を肱川村に編入。
- 1959年(昭和34年)11月3日 - 肱川村が町制施行し、肱川町(ひじかわちょう)となる。(4町1村)
- 2005年(平成17年)1月1日 - 内子町、五十崎町が上浮穴郡小田町が合併し、新しい内子町(うちこちょう)となる。(3町1村)
- 2005年(平成17年)1月11日 - 長浜町、肱川町、河辺村が大洲市と合併し、新しい大洲市が発足、郡より離脱。(1町)