一和会
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一和会(いちわかい[1])は、神戸市に本部を置き、昭和59年(1984年)6月13日から平成元年(1989年)3月30日まで活動した日本の暴力団。
来歴
山口組内の四代目跡目問題で山本広擁立に関わった陣営が、1984年6月の竹中正久四代目山口組組長襲名を機会に山口組を脱退。山本を会長として「一和会」を結成した。分裂当初は7000人対6000人と山口組より数で優勢であったものの、切り崩しにより次第に劣勢に立たされていった。これを挽回するために竹中暗殺を計画し、竹中行きつけのマンションに部屋を借りるなど周到な準備を行って、1985年1月、竹中と、若頭・中山勝正、警護役の若中・南力の3名を射殺し、山口組の序列1位、2位を一挙に倒し衝撃を与えた。しかし、このことが逆に山口組側からの激しい報復を招くこととなった。
山口組との抗争(山一抗争)の長期化で勢力は激減し、1988年5月には、一和会序列2位の副会長兼理事長・加茂田重政が引退して加茂田組を解散。会長の山本宅に爆発物を用いた攻撃やダンプトラックが突入するなどが行われたことなどもあって、それから数ヵ月のうちに最高幹部のほとんどが会を脱退するに至った。
最高幹部
- 会長・山本広(山広組初代組長、元三代目山口組組長代行)
- 副会長兼理事長・加茂田重政(加茂田組組長、元三代目山口組若頭補佐)
- 幹事長・佐々木道雄(佐々木将城とも名乗った。旧地道組若頭、佐々木組組長、元三代目山口組若中)
- 本部長・松本勝美(後に幹事長代行。松美会会長、元三代目山口組若中)
- 組織委員長・北山悟(北山組組長、元三代目山口組若中)
- 風紀委員長・松尾三郎
- 最高顧問・中井啓一(中井組組長、元三代目山口組舎弟)
- 常任顧問・溝橋正夫(溝橋組組長、元三代目山口組若頭補佐)
- 常任顧問・白神英雄(本名は白神一朝、1923年3月16日[2] - 1987年)白神組組長、元三代目山口組若頭補佐、いわゆる『南道会八人衆』の一人)
- 特別相談役・大川覚(大川組組長、元三代目山口組若中)
- 特別相談役・井志繁雅(井志組組長、元三代目山口組若中)
- 特別相談役・坂井奈良芳(坂井組組長、元三代目山口組若中)
- 常任理事・加茂田勲武(政勇会会長)
- 常任幹事・中村清
- 常任理事・片山三郎
- 副本部長・中川宣治(中川憲治とも名乗った[3]。中川連合会会長)
- 副幹事長・吉田好延
- 理事長補佐・加茂田俊治(神竜会会長、元三代目山口組若中)
- 理事長補佐・河内山正義(後に本部長)
- 理事長補佐・福野隆
- 理事長補佐・浅野二郎(旧菅谷組舎弟頭、浅野組組長)
- 理事長補佐・徳山三郎
- 事務局長・末次正宏
- 幹事長補佐・赤坂進
脚注
- ↑ 発足時の名称はかずわかいであったが、マスコミがいちわかいと呼称したため、以後「いちわかい」を使用するようになった。
- ↑ 溝口敦『山口組ドキュメント 血と抗争』三一書房、1985年、ISBN 4-380-85236-9のP.292
- ↑ 山平重樹『北海道水滸伝』双葉社<双葉文庫>、1999年、ISBN 4-575-50698-2のP.380
参考文献
- 溝口敦『撃滅 山口組vs一和会』講談社<講談社+α文庫>、2000年、ISBN 4-06-256445-9
- 溝口敦『山口組ドキュメント 五代目山口組』三一書房、1990年、ISBN 4-380-90223-4