トルコ風呂 (性風俗)
トルコ風呂(トルコぶろ)は、字義どおりにはトルコ風の浴場という意味である。
一般的には、中東の都市でみられる伝統的な公衆浴場であるハンマームを指すことを意図する名詞とみなされる。ただし、日本では、かつて個室付特殊浴場(ソープランド)の名称として「トルコ風呂」の語が使われていた。しかし、1984年にトルコ人留学生の抗議運動がきっかけになって「ソープランド」と改称され、それ以降日本では、「トルコ風呂」は性風俗用語として用いられることは無くなった。同様に、ダッチワイフもオランダ人に考慮して最近では、「ラブドール」と呼ばれるようになった。
「トルコ風呂」の誕生
中東圏の外に「トルコ風呂」の名で伝えられたハンマームは、本来、ごく一般的な伝統的な公衆浴場である。歴史的には、中東の伝統的な社会のあり方に則って、男性社会から隔離され、自由に外出することを制限されてきた女性たちが素顔をさらして集うことのできたハンマームは、女性の社交の場として活用された経緯があり、オスマン帝国時代にトルコの都市を訪れた西欧の旅行者たちは、富裕な階層から庶民に至るまで様々な出自の女性たちが、ベールで顔を隠して浴場に赴く様をしばしば奇異と驚きの目をもって外国に伝えた。
こうしたイメージの伝播はしかし、ハマム本来の社交的な機能とは裏腹に、ベールに包まれた女性たちが素顔をさらして集う様が、東洋の神秘的でセクシャルなハーレムに対する幻想と相まって、西欧社会にある種の誤解をもたらすこととなった。西欧では古くから、「トルコ風呂」はエキゾチシズムを感じさせるオリエンタリズムのイメージとしばしば結びつけられてきた。
日本に初めて紹介された「トルコ風呂」も、こうしたオリエンタリズム的なイメージをもった西欧人の「トルコ風呂」である。中東では男性客には男性の垢すり師がつくのが原則であるが、日本を含む外国に紹介されたトルコ風呂では、しばしば男性に対しても女性の垢すり師がつけられるものと考えられていた。
こうした男性に対しても女性が垢すりを行う「トルコ風呂」が日本で始まったのは1951年に銀座の「東京温泉」に設けられたのが始まりとされる。定着していく過程で、1966年にトルコ風呂が個室付浴場(サウナ)として許可された。1964年東京オリンピック開催時には、世界中の観光客の手前、トルコ嬢によるサービス自粛など当局の風紀取締りが強くなった事情に加え、赤線の廃止によって行き場を失った性風俗店と結びついたことで、性風俗店としての「トルコ風呂」が発展していった。その後、1984年12月19日に後述の理由で「ソープランド」と改名された[1]。日本の隣国である韓国では、日本のトルコ風呂に感銘を受けた韓国人が、自国でも同じようにこの種の性風俗店を誕生させ「トッキータン(トルコ風呂)」と名づけて広まっていった。
松沢呉一は『エロスの原風景』(ポット出版、2009)で、戦前の1940年ころ、上海に日本人の「トルコ風呂」が存在したことを示して定説に修正を迫っている。
名称問題と改名
日本での動き
1960年代後半頃より、性風俗店としての「トルコ風呂」は日本で広く通用する言葉になっていた。「トルコ風呂」はさらにしばしば「トルコ」と略して呼ばれ、「トルコ」という名詞から第一に連想されるものは中東にある国よりもむしろ性風俗店であるかのような状況で、日本に滞在するトルコ人の間では、祖国の名称や伝統文化がセックス産業と結び付けられて使用されていることに対する憤慨を呼び起こしてきた。ただし、これはトルコを含むイスラム社会で歴史的・伝統的にセックス産業が存在しなかった訳ではない。「トルコ風呂」名称のはらむ問題はトルコと性風俗が関係あるか否かではなく、本来性風俗文化とは直接の関係のないトルコの浴場文化が性風俗のイメージと混同されて用いられたことや、「トルコ」が性風俗店の呼称として使われたために、本来は国名である「トルコ」が性風俗のイメージと結び付けられてしまうことにあった。
1981年〜1983年に東京大学に留学していたトルコ人留学生、ヌスレット・サンジャクリも「トルコ風呂」の名称にショックを受けた一人である。再来日した1984年8月に当時の厚生大臣である渡部恒三に「トルコ風呂」の名称変更を直訴するなど、改名運動を行った[2]。
この運動は小池百合子(後に政治家)の協力を得て、日本のマスコミにも大きく取り上げられた。その結果、同年10月に横浜市の特殊浴場協会が「トルコ風呂」の名称を用いないことを決定、愛知県と神戸市でも横浜に続いて「トルコ風呂」の名称が撤廃された[2]。しかし、代わりとなる名称が決まらず、暫定的に「特殊浴場」「特浴」「湯房」などの名称が使われた[2]。東京都特殊浴場協会は新しい名称を一般公募し、同年12月19日に赤坂プリンスホテルで会見を行い、新たな名称である「ソープランド」を発表した[2]。2,400通以上の募集があり、最も多かった名称は「ロマン風呂」「浮世風呂」だった[2]。ほか、「コルト」「ラブリーバス」「オアシス」「ロマンス風呂」「ラブユ」などの名称が提案された[2]。
以降、性風俗店を意味する「トルコ風呂」「トルコ」の呼称は(基本的に)公的に使われる事がなくなり、発表済みの小説や漫画作品などにおいては文章やセリフの削除もしくは「ソープランド」「ソープ」等への修整が行われた。しかし、性的なイメージと離れた「ソープランド」の名称に当初は反発する声もあった[2]。これらの風俗店で性的なサービスに従事する女性を指す名前も、「トルコ嬢」から「ソープ嬢」「ソープレディ」に改められたが、新しい名前は馴染みが薄いために「ホステス」「コンパニオン」の名前が使われることもあった[2]。
タイ王国での動き
タイでも、かつては性サービスを行う店に「トルコ風呂」の名称が使われていた。詳しい時期や経緯は不明ではあるが、「マッサージパーラー」という名称に変わっている。
韓国での動き
韓国では日本とは事なり、「터키탕(トルコ風呂、トーキッシュバス)」の名称が問題視されることがなく、長らく「トルコ風呂」の名称が存続した。ようやくこのことが問題視されるようになったのは、1990年代後半からのことである。 韓国の「トルコ風呂」名称問題では、トルコから政府レベルでの抗議をされ、1997年、韓国政府はトルコ政府の申し立てを受け、公衆衛生法施行令を改正し「터키탕」(トルコ風呂)の呼称を公式に「증기탕」(蒸気風呂)に変更することにした[3]。テンプレート:要検証範囲、2010年代になっても「トルコ風呂」の名称は広く使用されている[4]。