イブラヒム (オスマン帝国)
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イブラヒム(オスマン語:ابراهيم اول, 英:Ibrahim I, 1615年11月5日 - 1648年8月12日)はオスマン帝国の第18代皇帝(在位:1640年 - 1648年)。父はアフメト1世、母はキョセム(Kösem Sultan)。オスマン2世、ムラト4世の弟。子にメフメト4世、スレイマン2世、アフメト2世。
狂人皇帝
1640年、兄ムラト4世の死後即位するが、兄の突然の死の悲しみや宮殿内の皇帝殺害の陰謀による恐怖のために皇帝として即位したことを全く嬉しく思っていなかった。やがて神経衰弱の余り精神を病み、帝冠をつけたのは息子が誕生した時ただ一度のみだといわれている。即位当初は慈悲深く貧しい人々を助けることに努めたが、母太后や当時の首相が実権を握っていたためにあまり多くの業績を残すことはなかった。
イブラヒムは気まぐれで放縦、淫乱な皇帝で、多くの宝石類をプールに放り込んでは、ハレムの女たちが水中で拾い合う様子を眺めて悦に入ったり、1日に24人の女と性行為に及んだり、宮殿の亭から外の道行く人々に矢を射かけて興じたりする等々といった、常軌を逸した数々の奇行を行ったという。さらに、息子で後のメフメト4世を風呂に投げ込むなどの異常な振る舞いが見られるようになり、「狂人イブラヒム」とまで言われるようになった。
1648年、突如自らのハレムにいた側妾や女官、宦官ら280人を皆袋詰めにしてボスポラス海峡に投げ込むという暴挙を行った。これによって彼は人心を完全に失い、廃位されて大宰相ともども殺された。メフメト4世が次の皇帝に即位した。