メフメト4世
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メフメト4世(Mehmed IV, 1642年1月2日 - 1693年1月6日)はオスマン帝国の第19代皇帝(在位:1648年 - 1687年)。父イブラヒムが殺害された後7歳で即位。母はウクライナ人のトゥルハン(Turhan Hatice)。スレイマン2世、アフメト2世の兄。ムスタファ2世、アフメト3世の父。
生涯
在世中はキョプリュリュ家を登用、テンプレート:仮リンク、キョプリュリュ・アフメト・パシャ、カラ・ムスタファ・パシャと相次いで大宰相に任じた。この人事は成功し帝国は再び拡大、過去最大の領土を有することとなった。しかし、1683年に第二次ウィーン包囲に失敗したカラ・ムスタファを処刑してからは大トルコ戦争に対して有効な手を打てず、1687年のモハーチの戦いでオスマン帝国軍が敗北すると反乱が起こり退位、弟のスレイマン2世に帝位を譲り死ぬまで幽閉された。
政治は専らキョプリュリュ一族に任せ、自身は趣味の狩猟三昧な日々を送っていた。その耽溺ぶりはエディルネの狩場に勢子として数千人もの農民を動員したという逸話が伝えられるほどで、アヴジュ(狩人)という愛称もここから来たものである。