チマチョゴリ切り裂き事件

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テンプレート:未検証 チマチョゴリ切り裂き事件(チマチョゴリきりさきじけん)とは、1994年平成6年)5月から6月にかけて、登下校中の朝鮮学校女子生徒の制服・チマチョゴリが切り裂かれるという被害が日本各地で発生したとされるもの。

被害状況

警察に出された被害届は22件だが、朝鮮総連は被害件数124件と主張している[1]。22件のうち12件が登下校中に女子生徒が衣服を切り裂かれたとされる事件、8件が暴行および傷害事件、窃盗と強制わいせつ事件が各1件である。検挙された事件のうち、一件は性犯罪、もう一件は中学生同士の喧嘩として、政治的背景はないと警察は判断した[2]

事件の背景と評価

事件が発生した頃は北朝鮮による核開発疑惑をめぐって朝鮮半島情勢が緊迫し、世論の批判が高まっていた時期である。犯行の意図については、(朝鮮総連などが主張するような)政治的・民族的な憎悪を背景に持つ犯行であると判断できる根拠は示されていない。また、根拠になりそうな犯人の犯行声明はなく、検挙実績も少なく、検挙された事件に政治的・民族的憎悪の背景は認められていない。

本件に関する新聞報道は、当初は主要な全国紙が報じたが、最後まで報じていたのは朝日新聞のみだった[3]。フリーライターの金武義がおこなった取材によれば、朝日新聞は朝鮮総連の発表の多くをニュースソースとしてそのまま報道しており、独自の調査はほとんどおこなっていなかったという[3]

金が取材した、ある全国紙社会部記者の証言によれば、記者クラブ内でも事件について疑念を呈する向きがあったが、口に出すと「進歩的な」新聞記者から糾弾されるため、沈黙せざるを得なかったという[3]。金が「情報に何らかのバイアスがかかった時に、チェック機能が働かないということになるのではないか。結果的には一種のフレームアップを生み出しているのではないか」と指摘すると、記者は「フレームアップとまでは言えない」としつつも、日本国内の関心が政治問題(北朝鮮の核疑惑)から人権問題(朝鮮学校女子生徒への迫害)に移ったことを指摘し、(被害状況やマスコミ報道を利用した)朝鮮総連側の政治的キャンペーンだったと感じていると述べた[3]

金が取材をおこなった東京朝鮮中高級学校の関係者は、金の「ほとんど犯人が検挙されていない中で、どうして『民族排外主義的な日本人の仕業』と断定できるのか」との疑問に対し、「同民族の犯行であってはならないし、あってほしくないと思います。状況から見て日本の方と断定できます」と回答した[3]

金は、女子生徒がチマチョゴリを切り裂かれる被害は、北朝鮮情勢が緊迫する以前から存在していたことを、朝鮮学校の卒業生からの取材で明らかにした。また、朝鮮学校が女子生徒のみにチマチョゴリの着用を義務付けている(女性教師については任意)ことを指摘し、「女子生徒は在日の広告塔か」と問題提起した[3]

事件後の動き

朝鮮総連などは、この事件は核開発や、ミサイル発射など政治的抗議を背景とする在日朝鮮人児童・生徒に対する嫌がらせだと日本政府に抗議した。

日本政府は、朝鮮総連の抗議に対して、いかなる思想信条を持っても憲法によりその自由は保障されるが、それを超えて刑法犯罪に至った場合は、以前より厳重に取り締まりを行っていると反論したテンプレート:要出典。また、政府は人種差別撤廃条約に関連してこの事件に言及した[1]

日本全国の朝鮮学校ではこの事件をきっかけに「第二制服」が作られた。いわゆる普通の制服(ブレザー)である。1999年以降はほとんどの朝鮮学校で「第二制服」が着用されている。テンプレート:Main

脚注・出典

テンプレート:Reflist

関連項目

  • 1994年6月16日 朝日新開
  • 参院法務委員会
  • 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 テンプレート:Cite journal